巻子 「売茶翁の詩選」について 2024年3月12日

              写真アップ 2024年4月21日

巻子「売茶翁の詩選」について  

「売茶翁の生涯」ノーマン・ワデル著 樋口章信訳 出版社 思文閣

売茶翁(1675~1763年)は肥前国佐賀藩の城下に生れる。

その第一期 誕生から32歳頃までの修業時代、その第2期、第1期の後半から肥前の龍津寺住職の化霖道龍(ケリンドウリュウ)に仕え、ついには事実上の住職として生きた時代。

その第3期 38年間 月海元昭という僧名をもって肥前蓮池藩の黄檗宗寺院の龍津寺に住む。50歳になった月海は京都に向けて旅立った。放浪して暮らそうと決意して関西圏に住み始めてからの10年間の消息は不明である。60才になって漂泊の暮らしが難しくなった月海は京都東山、鴨川のほとりに小さな庵を借りて茶を売っての生活を始めた。

やがて、そこかしこに茶店を開き、自らを ” 売茶翁  と称して日暮しをしていたが、やがて京都の作家や画家、書家や学者が翁の茶店を訪れて、さながら文化サロンの様相を呈していたのである。

伊藤若冲や池大雅等多くの画家が翁の肖像画を描いており、当時日本中の文化人の中心に位置していたかの木村兼葭堂(本人は書画を良くしてる文人、本草家(註))自ら翁の所有する茶道具を総て模写している。

翁は一杯の茶の代金を決定せず、ただで飲んでいっても良いが、「ただ飲みも勝手、たゞよりはまけもうさず」と客に言っていた。67歳になって翁は僧の身分を捨てゝ一介の俗人となり、自らを「高遊居士」と号して生き、宝暦13年(1763年)89歳で没しているが特に第3期に多くの漢詩を残している。

 

参考文献:「木村兼葭堂のサロン」中村真一郎 新潮社

註:本草家:中国に由来する薬物についての学問「本草学」を修めた人。