日比谷 松本楼について     2023年9月9日

日比谷 松本楼について  2023年9月9日

私達は結婚60年を記念して11月「祝う会」を日比谷松本楼でおこなう事になった。

参加者人数は30人前後の予定である。

 

その日比谷松本楼は明治36年(1903年)誕生した日比谷公園内に時を同じくしてオープンしたものである。

1900年以降清朝の列強に対する屈辱外交は一段と強まり1905年中国最初のブルジョア政党中国革命同盟会が結成された。

対抗する清朝も様々な対抗策を講じたが、国民の清朝に反対する機運は一層高まり、1912年南京に中華民国臨時政府が誕生する。

いわゆる辛亥革命である。(1911年が干支で辛亥にあたることによる) 孫文が臨時大総統となる。

清朝から軍事、政治の大権を与えられていた袁世凱は臨時政府の切り崩しを図り、12月孫文は職を辞し、袁世凱が臨時大総統となり、革命は失敗したが、その後の反帝、半封建の時代の先駆けとなった。

 

孫文は日本に亡命、松本楼の梅屋庄吉の援助を受け大正4年(1915年)梅屋邸で宋慶齢とめぐり合い、結婚。

有名な宗氏3姉妹の二女である。長女の靄齢(アイレイ)は国民党の実力者孔祥煕夫人で、慶齢はその後中華人民共和国の副首席となった。末っ子の美齢は蒋介石の後妻となり対米国外交に大いに活躍している。

 

また弟の子文は国民党政府の財政担当者である。梅屋庄吉はその生涯を通じて孫文を支援し続けた。

 

2008年、当時の胡錦涛国家主席の訪日に当たって、招待の席をどこに設定するか政府が考慮していたところ、胡主席が松本楼を希望して決まったものである。

また松本楼 1階受付ロビーに設置されているピアノは1907年製造の日本最古のものの一台であり、宋美齢が帰国するまで梅屋邸におかれていたこのピアノを弾いたり、歌を歌ったりして過ごしていた。

(左上) 胡錦涛国家主席(当時)を迎えて 福田総理(当時) 主催の夕食会 (2008/5/8)

(右側) 孫文(右)と梅屋庄吉 (1915年当時)  松本楼パンフレットより

 

(左)慶齢夫人 (右) 慶齢夫人が梅屋庄吉邸で弾いていたピアノ 現在は日比谷松本楼ロビーにある