在日ロシア大使館 レセプション       2022年12月7日 

大ホールでの演奏会に招待された。今回2回目となる。

中心の演者はテノールのアレクセイ・コサレフである。

 

1.プッチーニの「トスカ」から『星も光りぬ』

第3幕 サンタンジェロ城

脱獄した友人の政治犯アンジェロッティの逃亡を助けた罪で獄中の人となったトスカの恋人カヴァラドッシはトスカに横恋慕する警視総監スカルピアから死刑を宣告される。

死刑を間近にしての明け方、トスカと田舎で過ごした幸福ははかない夢だったと激情的に歌うのが ”この歌" である。従ってこの歌は万感を込めて切々と歌うもので、コサレフのように高らかに、朗々と歌うものではない。なおスカルピアは自分の思いを受け入れてくれゝば、カヴァラドッシを助けてやるとトスカを騙す。しかしカヴァラドッシは銃殺され、裏切られたトスカはスカルピアを刺し殺し、自分はサンタンジェロ城から身を躍らせるのだ。

1953年録音のヴィクトール・サバータ指揮ミラノ スカラ座管弦楽団から出されているトスカをマリア・カラス、マリオ・カヴァラドッシをジュゼッペ・ディ・ステファーノ、スカルピアをティト・ゴッビの配役で、これ以上の布陣で構成されたものは将来も聴くことは出来ないであろう。マリア・カラスは今日でも圧倒的な人気を有しており、ティト・ゴッビは特にオテロのヤーゴが素晴しく、日本ではオペラの団十郎と云われて演技も凄かった。

さて、ジュゼッペ・ディ・ステファーノである。絶妙にコントロールされた甘い高音と心に直接訴えかける情熱的な歌唱は類をみないもので、このCD録音の時代はステファーノの絶頂期でもあり、彼を越える歌唱は未だ現れていない。それが『星も光りぬ』だ。

 

2.プッチーニの「トウーラン・ドット」の『誰も寝てはならぬ』

王子カラフが彼の名を探りあてようと寝もやらぬトウーラン・ドット姫を想うアリアで、今は亡きパヴァロッティが得意中の得意としており、コンサートの締めくゝりに必ず歌っていたものである。パヴァロッティの歌声も情緒が足りないかなと思われたが、エネルギーに満ちていたがコサレフの歌声は金属的な響きが強すぎて聴きずらい感があった。

声量は凄いものがあり聴衆を圧倒するが暖かさや、やさしさ、柔らかさに著しく欠けており、一本調子のところがあった。

 

3.イタリア民謡の『私の太陽』『帰れソレントへ』は可もなく、不可もなしと云ったところ。

 

4.レハールの「メリーウイドウ」から第三幕のフィナーレを飾る『愛の二重奏』である。

パリ在住のマルコ・ツェーク男爵は公国の財政に大きな役割を担っている。老人の夫が亡って大金持となった若き後家ハンナ・グラバラリー夫人が外国人と結婚して、財産を国から持ち出される事を警戒、元の恋人ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵と結婚させようと画策する。ダニロは今や金持ちとなったハンナと結婚することに抵抗して悪所通いにうつゝを抜かしているが、ハンナの策略に引っかかって愛を告白する羽目に追い込まれる。その第3幕の終盤に歌われる二重唱で「高鳴る調べに いつか 心の悩みもとけて 言わねど知れる 恋心 想う人こそ 君よ」と歌って大円団となる。いわゆる愛の二重唱であり、もっとやさしく、柔らかに愛に満ちたように歌って欲しいものであった。

コサレフは190㎝を超える偉丈夫で、確かに声量はもの凄いが、どの歌も目一杯歌うので、聴く方は疲れてしまうのだ。内容に合わせて強弱をつけて、甘さも含めて歌って欲しいものである。

天野 加代子の歌は言及する事でもなかった。演者は他にピアノのユーリー・コジュバートフと吉田 和子、ヴァイオリンは森 茜莉汀、バレエは佐々木 美緒、武藤 桜子の二人であった。

 

ロシアのウクライナ侵略を考えると、その現実を度外視して音楽を楽しむという気分にはなれなかったのは仕方がない事であった。