和田 大諷

東京都 葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作。

個展は都内、ひたちなか、米国のロスアンゼルス、ロシアのサンクトペテルブルグで開催、20数回に及ぶ。

過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

鳩居堂「和田 大諷 の個展」終了の

お知らせ

  2022年4月の第7回の個展を

  持ちまして個展開催は終了と

  致すことになりました。

  

  これ迄度々個展に足を運ん

  で下さいました皆様に心より

  お礼申し上げます。

 

  作品の作成および発表は本

  ホームページにてこれ迄通

  り行います

  引き続きご覧くださいます

  ようお願い致します。

     2023年 1月 1日

     

 

   

著 書

 2014年2月

  「大諷の映画狂時代」

  2018年1月「大諷のへそ曲り

            読書日記」

  2019年7月  「大諷の観音の道」

  2020年11月  「大諷の無辺楽事」

  2021年11月「続 ・大諷の無辺楽事

         ボクシング編」

  2022年 10月

          和田大諷「金泥の世界 」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

「中華が生んだ遊牧民」 松下 憲一  2023年8月15日

「中華が生んだ遊牧民」  松下憲一   2023年8月15日

 鮮卑属(モンゴル系かあるいはトルコ系の可能性もある)は南下して次第に遊牧から農耕化し西晋の末に代国を建設。その後華北の混乱(五胡十六国)に乗じて、拓跋珪の時代乱立した諸国を統一し華北に統一国家を建設。398年大同に都を移した。華北に在住をした漢民族の裕福層は肥沃で豊かな温暖な太平洋側に移住し、資力の乏しい人達が華北に残された。部族連合的性格をもった新国家北魏は遊牧社会から専制国家へと変貌して行く。

 

北魏帝国は諸部族長や投降した漢人に奴隷を与えて支配の基礎とした。

ここで問題である。

1.華北統一した時点での鮮卑の総数と華北に残っっていた漢人の数はどうだったのであろうか。軍隊は華北侵入の鮮卑の軍隊で当面凌ぐとして、人数を把握しない限り手の打ちようがない。

2.都の建設にかゝる人員の確保。

3.国民の総数の把握をどう確保したのかその体制は。

4.権力を維持する体制、その人員をどうするのか。

国民の人数の把握と税収の特定と徴税業務の地方役人はどうしたのか。

5.法律を定める為の専門的人員の確保。

6.行政担当の為の専門的人員の確保。

7.国家の財政の基盤はどのように考えたのか。等国家として機能する為に取り組まなければならない事は多く、専門的知識を有する人材も揃えなければならない。

これらを短期間で成し遂げなければならない。更に軍隊はどうするか。専門化した軍隊が当然必要になるが、これをどうするか。

等々難題は山積みしている。

 

統一国家をつくりあげるまでは長く遊牧生活を営んでいた拓跋珪がどれ程優秀であったとしても、先ず、華北を統一した時点で

⓵ 多くの部族の中から、成功報酬が思った程でない等の不満から、不協和音が出て、反乱がおこっても無理はない。

② 五胡十六国の残った勢力からの攻撃はどうだったのか。

③ 支配下に置かれた漢民族からの反撃は無かったのか。

④ 南朝に逃れた漢民族からの反転攻勢は無かったのか。⑤ 遊牧生活を送っていた民族が都を建設する能力が果たしてあったのか。

⑥ 大国になってかつ他民族の集合体の困難な国づくり、官僚の育成や法律制定、戸籍作成、税制の決定や、徴税の仕組み等鮮卑にとって経験した事のない難事業をどのように短期間に成し遂げたのか。

がこの本読んでの最大の疑問であった。

 

更に都づくりと強力な軍隊、その上雲崗石窟(大同石窟)に信じられない規模の大きなの取り組みを考えると、財政的保証と人材の確保が何よりも求められるが、どう考えても不可解としか言いようがない。