いわゆる受けうりについて          2022/1/24

いわゆる受けうりについて

2018年10月2日の朝日新聞に「居酒屋で考えた」が掲載されていた。甲南大学教授田中貴子氏である。「ある居酒屋のカウンターで明日も仕事なのでビールを一杯だけ、あとは秋刀魚でを焼いてもらおうかなと考えていると、隣り合わせた男性が話しかけてくる。『山廃がどうの』『ひやおろしがどうの』と日本酒の蘊蓄を語りたいようだだった」「しかし何かで得た知識を披露するだけで、そこには自分独自の視点やユニークな感想は見当たらない場合が大半である。そんなものを聞かされるのは迷惑千万である」と要旨を語っていた。

しかし「山廃」も「ひやおろし」も酒造りの方法の定義であり、その事に個人の視点の入り込む余地はない。田中氏は人の受けうりは価値がなく、自分の独創性こそが大事だと力説しているが、田中氏は大学の講義で受けうりは一切ないとでも言うのであろうか。又まさか自分の言動、考えが総て独創的であると考えている訳でもあるまい。田中氏の言動の99%以上は過去の人々の積み上げてきた知識のいわば剽窃であり、独自性など殆んど取るに足りないものなのではないか。現代の思想、学問、文化、芸術等の中心的役割を占めているのは、中国、西欧から得た知識から剽窃したものであり、他からの受けうりが悪いとすれば今日の日本は存在しないのだ。「何かで得た知識を披露する」のがそれ程卑下すべきものであろうか。他からの受けうりこそ大いに結構、人間にとって大切なものであると思うのだが・・・・。

ちなみにアナトール・フランスは「他人から自分に適したもの、特になるものだけを取る作家、選択することを心得ている作家については、それは立派な人間である」と。