和田 大諷

東京都 葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作。

個展は都内、ひたちなか、米国のロスアンゼルス、ロシアのサンクトペテルブルグで開催、20数回に及ぶ。

過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

2022年鳩居堂の個展のご案内

2021年の個展は(2021年4月)新型コロナウィルス感染防止の為延期となり、新たな開催予定が決まりました。

  2022年 4月 5日(火)~

      4月 10日(日)

  時間 午前11時~午後 7時 

    最終日は 午後 5時 迄

 

  

著 書

 2014年2月

  「大諷の映画狂時代」

  2018年1月「大諷のへそ曲り

            読書日記」

  2019年7月  「大諷の観音の道」

  2020年11月  「大諷の無辺楽事」

  2021年11月「続 ・大諷の無辺楽事

         ボクシング編」

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

絵                      2022/1/10

一、称名寺 弥勒菩薩立像       62 ⅹ 90㎝  

称名寺は真言律宗の寺院で奈良西大寺の末寺 文永4年(1267年)創建 鎌倉幕府滅亡で衰退したが江戸時代家康の援助によって復興した。

弥勒菩薩は菩薩形の弥勒に蓮華を執り、その華上に宝塔載せる。菩薩形と如来形の複合形をとっている。その唯一の彫像の遺例である。大型の宝髻を結い宝冠、胸飾、腕釧を付け両肩に垂髪を垂らし、衲衣を右肩に着し、さらに右肩に別の衣を懸ける。左手屈臂して蓮華を執り、その華上に宝塔を載せる。宝冠前面に3個の円相形を取り付けそのうち2個に化佛を付ける。これは過去佛としての釈迦、現在佛としての阿弥陀と推定され、本来の弥陀と合わせて過去、現在、未来の三世を表したものと云われる。本像の像内に建治2年(1276年)の墨書像あり。像内納入品の中に建治3年~弘安元年(1278年)11月の日付けが書かれている。

 

称名寺 弥勒菩薩立像   62 ⅹ 90㎝ 

書 酒杯觸 テヘンに発 詩情動 

      書巻招邀病眼開       

          宋代 范石湖

 

二.聖林寺  十一面観音立像        30  x  44cm   

聖林寺は奈良桜井市にあり藤原鎌足の子 定恵の庵に始まるとつたえられるが、実際は江戸中期に文春が石造りの延命地蔵菩薩を安置したのが始まりである。本像は近くの大神神社の神宮寺 大御輪寺の本尊として祀られていたが、明治初年の廃仏毀釈の煽りを受けて縁の下に放置されていたが聖林寺が大八車に乗せて引き取ったと云われている。現在は聖林寺の宝物館の全面ガラス張りに納まっている。木心乾漆、漆箔の像で檜の一木彫刻の上に乾漆を盛り上げ全身に金箔を押して仕上げている。六重蓮華座の上に両足を揃えて直立する均整のとれた見事な天平佛である。(像の高さ 196.4㎝)張りのある豊かな顔、体の肉づき、衣文の起伏とゆったりと造られて、乾漆像特有の美しさを表わし、天平理想の具現像である。

聖林寺  十一面観音立像

書 吾道以一貫之  論語 

 

三.慈恩寺 普賢菩薩    30  x  44㎝    

山形県寒河江市にある慈恩寺は法相宗より真言、天台両宗を経て第二次大戦後より慈恩宗となる。本尊は弥勒菩薩 神亀元年(724年)に行基が開山。慈恩寺では12世紀末に大規模な写経が行われており、寺院には法華経に準拠した群像が現存しており、この普賢菩薩は法華経勧発品に説かれる佛であり、これに付属する10羅刹女は法華経を護持する存在である。この像には見事な截金など豊富な装飾がみられ、繊細な造形を待徴としている。尚10体の羅刹女のうち5体が現存している。 

慈恩寺 普賢菩薩

書 清帯山林気香来筆硯邊

 

四.室町時代 九面観音立像          

室町時代に製造されたと思われる金銅佛で法隆寺の白檀一木造りの九面観音立像を模して造られたみえる。風貌は童児形である。  

室町時代 九面観音立像  30  x  44cm   書 謙 慎    漢書

 

五、醍醐寺 三宝院 弥勒菩薩      33 x  45cm   

真言宗醍醐派の総本山 延喜7年(907年) 醍醐天皇によって創建。 天暦(952年) 五重塔建立 文明2年(1470年) 兵火によって五重塔を残して悉く焼失。秀吉によって再建される。弥勒菩薩は上醍醐岳東院の本尊でのち菩提寺 金剛輪寺に移されたおあと三宝院の本尊となった。高い髻を結い、それが隠れるような高い五佛宝冠を被る。両肩に垂髪が懸かり、冠帯、胸飾り瓔珞(ヨウラク)などの装身具を付ける。両手で法界定印を結び、その掌上に五輪塔を載せている。建久3年(1192年)の秋後白河法皇の御料として醍醐寺の権僧正勝賢が如法にこの像を造立している。本像の像内に権僧正勝賢が願主となり建久3年8月5日から造り始め同年11月2日に供養し巧匠は快慶だったという旨の朱漆銘がある。木造金泥塗 玉眼嵌入

醍醐寺 三宝院 弥勒菩薩      33 x  45cm   書 鳥啼簷角飛無定風剪林梢寒有声                                            竇遴寺 

 

六.西提寺 菩薩立像    33  x  45cm   

書 辞賦文章純者   稀難者莫過詩  唐 社荀鶴

 

七、聖林寺 十一面観音立像   24  x  33cm     

書 額田王 近江の国に下る時に詠んだ歌一首

 

八、宇治平等院  阿弥陀如来座像  33  x  37cm   

宇治市蓮華にある単立寺院 阿弥陀如来像は平等院の本尊で定朝 天喜元年(1053年)の作である。定朝晩年の作で寄木造り、漆箔を施し、定印を結ぶ。華麗な飛天の光背をもち、木造の天蓋の下、九重の台に座し円満な顔広く薄い胸法衣の衣文など貴族の趣味にあった和様彫刻の完成を示す名品である。

宇治平等院  阿弥陀如来座像   33 x 37cm

書 筆花開処墨花濃                    

                   清    ガンダレに叔 朝桂

 

九、 善光寺式 阿弥陀三尊像 脇侍 観音菩薩像        33  x  44cm      

鎌倉時代には特筆すべき金銅仏がつくられた。中尊は手に刀印を結び、脇侍が丈の高い宝冠を戴き、両掌を胸前で合わせ一光三尊の光背を負う形である。この観音像は両手を別鋳として取り外し可能となっている。

 善光寺式 阿弥陀三尊像 脇侍 観音菩薩像        33  x  44cm  

 書 冷暖自知  大慧

 

十、善光寺式 阿弥陀三尊像 脇侍 観音菩薩像        23  x  34cm            

書 筆墨生涯成冷淡筍蔬盤鐉易経営 

 

十一、法隆寺 献納 48体仏    23  x  34cm     

小金銅佛は飛鳥時代に造られ始めた。平安時代までが最盛期である。その中心にいたのは止利仏師の一派であり、北魏の様式が百済、新羅を経由して日本に入ってきたのである。町の貴族達が病気の平癒を願い又故人の菩提を弔うものが中心であった。

明治初年の神仏分離令から始まった廃仏毀釈によって、財政的に追い詰められた法隆寺は49具57躯からなる宝物を皇室に献納した。明治11年の事である。皇室から下賜されたのは当時の金額で1万円であった。昭和22年国有に帰し、東京国立博物館に小金銅仏48体が保管されている。以前は東洋館に天候の良い日に限って毎木曜日に公開されていたが、現在は新しい建物にかわって48体すべてプラスチックのケースに納められ、前後左右どこからも見ることができる。大きさは 30~40㎝以内が大半で、童顔、童形の誠に愛すべき姿が多い。  

法隆寺 献納 48体仏  23  x  34cm   

書 詩酒共為楽竹梧相興清

 

十二、法隆寺献納 48体仏   15  x  22㎝     

書 学者如登山  六朝除幹

 

十三、慈恩寺 普賢菩薩     30  x  44㎝    

書 外適内知 体寧心恬     白楽天

 

十四、室町時代 九面観音   30  x  44㎝  

書 其言必信其行必果已諾必誠不愛其軀   司馬遷