水木しげる ねぼけ人生(4)ちくま文庫(2021年に読んだ本)

4.ねぼけ人生 水木しげる  ちくま文庫

 

洋画研究所でデッサンばかりやらされていた水木は上野美術学校に入るべく、その入学

資格になる学歴欲しさに、日大付属中学の夜学2年に編入。しかしここにも軍国主義の

波が押し寄せてきていた。校長はやたらと「非常時」を口にし、昭和16年12年8日ラジオが軍艦マーチを流しており戦争が始まった。校長は日の丸の鉢巻きを締めて建国体操

を始めるし、新聞や雑誌では文化人や有名人といった連中が、若者は国の為に戦争で死

ぬのが当たり前で、天皇陛下のために死ぬのは名誉なことだというような事を自分の都

合のいい万葉集の歌なんかを引用して力んでいた。

 

やがて菓子屋から菓子が消え、砂糖が配給制になりだし、18年夜間中学3年の時水木に

召集令状が届く。鳥取連隊に入隊するや、連日のビンタの洗礼を受けて、1ヶ月目いつ

沈められても惜しくないようなボロ船が入港、これで我々が最前線に送られるのだ。

水木が乗せられた船も、ひどいボロ船だった。舷側に手をついていると、鉄板がぽろっ

と取れるのだ。それも道理でこの船は日露戦争の時、バルチック艦隊を発見し、「敵艦

見ユ」を打電した信濃丸だというのだ。浮いているだけでやっとだという感じで、ス

ピードも出ない。「これよりラバウルに向ヶ出航する」という船内放送があった。

船員に聞くと「まあ、やられると思えば間違いありませんな、はははは・・・」といっ

たぐあいである。

 

命がけでラバウルに上陸すると同時にビンタだった。以後、ビンタだらけの毎日が続く。既に日本は制海権を失っていたのである。ココボにつくと遺書を書かされ、2,3日後

部隊長と云う大佐が訓示をし、やたらに決死、決死と口走った。次いで大尉が訓示をし、これはやたらに玉砕、玉砕と口走った。あとは食料、武器とろくな装備もなく、ジャン

グルを逃げまどう毎日、次々と兵士は死んで行く。水木は爆撃で左手を失い、半死半生

で生き延び、やがて敗戦となる。

 

1936年の2.26事件の後から明らかに日本侵略戦争を拡大し、軍部が政治をコントロー

ルする軍国主義となって行く典型的なファシズムである。大きな特徴の一つは言論、表

現の自由の弾圧であり、新聞、雑誌等言論機関の言っている事がおかしくなって来て、

各政党は解党して合流、大政翼賛会へと移行していくのだ。軍部は先の見通しもないまゝ戦線を拡大、アメリカとの経済力、軍事力のケタ外れの違いもかえりみる事なく、軍隊

内部の面子とその場の成り行きで無謀極まる全面戦争に突入、破滅へと突き進んだのだ。

しかし軍人が悪かったのは云うまでもないが、国民の支持がなければあれだけの戦争は

出来ない。侵略戦争は犯罪である。日本社会は何故それを許したのかという事である。

戦争勃発で日本中が沸き立ったのは紛うかたない事実であった。日本のファシズムを止

めたのは日本国民でなく、アメリカであり、日本の民主化はアメリカの都合の良い形で

つくりあげられた。従って、戦後の日本を支配して行く人達の多くは戦前の支配者であり、戦犯であったのである。

今日憲法違反の軍隊を保持し、世界有数の軍事力有して海外派兵も現実のものとなりつ

ゝあることや、公文書の偽造、破棄、国会での首相の嘘の発言の数々、審議拒否の数々。まさに民主主義国家の否定とも云うべき事態となっている。国民の多くは憲法違反の自

衛隊を容認し、こうした政府を必ずしも否定してはいない。菅総理は記者会見で「緊急

事態宣言」発令に際し、記者に「これで収まらなかったらどうする」の問いに「考えて

いない」と答えている。戦前の軍部と全く同じである。

 

「ねぼけ人生」の中で軍隊中部の私的制裁の実態が描かれているが、当時の日本社会を

そのまゝ映し出している。農家の二,三男は農地も与えられず小作人同然で人間として

の尊厳も奪われて、非人間的な地位におとしめられていた。

一方の都市住民は半封建的な上・下関係の中で人格も自由も失われており共に自己実現

とは無縁の生活を送っていたのである。彼等が軍隊の中でそのウップンを晴らしていた

のは容易に考えられる事であり、自分の尊厳が守られなかった者に、敵方の人々に残虐

行為に及んだのも充分理解出来る事であるのだ。

ドイツがナチス戦犯の時効を認めず、今でも追っているのとは大変な違いであり、第二

次大戦の清算を日本国民の手で行うことが不可避である。

 

尚水木しげるは「ラバウル戦記」「ヒットラー」「白い旗」「総員玉砕せよ」「姑娘(クーニャン)」等の作品もある。