2020年に読んだ本 (その3)

㊼ 美しい国 安倍晋三 文芸春秋社 

    3月30日付け ブログ掲載 

 

㊽ おかめ笹 永井荷風  新潮文庫 

  大正7年「中央公論」新年号に掲載された作品で主人公の凡庸稚拙な画工 鵜崎巨石

  はその弟で陸軍中尉と妹で学校教師に比して入試に悉く失敗し、画家内山海石の弟子

  として何とかくいつないでいる。海石の子息で遊び人翰とつるんで日常生活を過して

  いる。海石の姻戚で狡猾な骨董商の妾の子蝶子と翰が結婚するに及び、ひょんな事か

  ら巨石に幸運が舞い込み、安芸者小花と快飲する幸を味わう。金満家の「帝室技芸

  員」内山や骨董商の大須賀の偽善性を仮借なく抉っている反面、巨石や小花にはあ

  る暖かみをもたせており、荷風の心情が良く窺える。

 

㊽ 濹東綺譚     永井荷風  

  昭和12年4月~6月にかけて東京朝日新聞の夕刊に連載された。

  この小説は「失踪」と題する腹案ができ、これを作品としてする為に作中人物の生

  活を描写する意味合いから、主人公 種は先生の潜伏する場所を本所か深川か、もし

  くわ浅草のはずれ、又はそれに接した旧郡部の陋巷(ロウコウ)にもっていくこと

  としたとして荷風は背景の描写を精細にし、季節と天候とにも注意しなければなら

  ないとしている。

  作品は二重構造となっており作中人物の生活と、作品を描く為に路傍で逢った娼婦

  との出来事を語る形となっている。

  荷風の詳細を極めた文章は例えば古本屋の主人について「主人は頭を綺麗に剃った

  人柄な老人。年は無論60を越している。その顔立ち、物腰、言葉遣いから着物の着

  様に至るまで、東京の下町生粋の風俗をそのまゝ崩さずに残しているのが私の眼に

  は稀覯の古書よりも寧ろ尊くまた懐かしく見える。震災の頃までは芝居や寄席の楽

  屋に行くと一人や二人こういう江戸下町の年寄りに逢うことができた。

  たとえば音羽屋の男衆の留爺やだの、高嶋屋の使っていた市蔵などという年寄達で

  あったが、今はいずれもあの世に行ってしまった」 

  この文章によって一挙に荷風の世界に我々をを引き込むのだ。作品はとりたてゝ筋

  を追うものでなく、当時のさびれた場末の花街を描いて一部のすきもない。

  挿絵の木村荘八の絵は荷風の作品にピッタリと寄り添って情緒満点である。

 

㊾ 渡辺一夫著作集第12巻から   

  ー 腹黒い計算について ー 人間ドック余談として

  検査の結果「胆石」と診断された。「胆石」とはフランス語で計算の意味があり又

  怒りの変欝と云う字を元にした形容詞であり、死の「腹黒い計算」の象徴かもしれ

  ない。我々は日常死の「腹黒い計算」の網に包まれている筈であり、知らぬが仏で

  あるだけの話である」として、仏の16世紀作家フランソワ―・ラブレーの「第42

  書パンダグリュエル物語」から色々な奇妙な例を引いている。

 1.ギリシャの有名な悲劇作家アエスキュロスは物が崩れ落ちてそのために死ぬだ

  ろうと占い師に言われたのであらゆる落下物がないと思われる野原にいたとこ

  ろが、空を飛んでいた鷲の爪から落ちてきた亀がアエスキュロスの禿げ頭に当

  り、頭蓋骨が粉砕されてしまったという。

 2.ローマのクラウディウス皇帝の前で放屁をこらえていた為に頓死した男がいた。

 3.ローマにフラミナ街道にある墓碑銘には牝猫に小指をかまれて死んだ男の名が

  ある。

 4.クィントウス・ルカニウス・バッススは右手の親指を針でチクリと刺した為に頓

  死した。

 5.ノルマンディー生れの医師クヌローは小刀で手から一匹の蝨(シラミ)を斜めに

  ほじくり出した為にモンペリエという町で急死した。

 6.フィレモンはのそのそ家に入ってきた大睾丸の驢馬が無花果をむしゃむしゃ食べ

  ているのを見て、おかしくなりげたげたと笑い出し、止めどがなくなり脾臓が動き

  すぎて息がつまって死んだという。

 7.スプウリウス・サウフェィウスはお湯から上がりしなに半熟卵を啜った為に死んで

      いる。

 8.鼠尾草(ソージュ)で歯を磨いたのがもとで急死した男がいる。

 9.古い借金を支払って気がゆるんだか、今まで貧乏だったのに頓死した男もいる。

 10.画家のゼウクシスは自分が描いた一人の老婆の肖像を眺めながら笑いに笑って死ん

     でしまった。   

   が紹介されている。

   死は昔からあらゆるところで、あらゆる瞬間に我々をその「腹黒い計算」の網で包ん

  でいるのだ。

   ちなみに私の伯母も定期健診で病院に出かけ、医師に「お婆ちゃんどこも悪いところ

   はありませんよ。安心してくださいね」と云われ、病院の玄関を出たところで急死し

   ている。

   著者の渡辺一夫はフランス文学者でラブレー研究の第一人者でもある。(12月1日)

 

㊿ 定本 後藤田正晴   保坂正康  ちくま文庫

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