ロシア紀行(二度のロシアの旅を振り返って 1度目 )

2010年9月15日~22日 1度目のロシア行き

 

9月19日にサンクト・ペテルブルグにあるエルミタージュ美術館で個展の話があり、

又国立宗教博物館に佛画21点寄贈の件もあり、サンクト・ペテルブルグへ行くことに

なった。当初個人で行くつもりであったが、池坊のツアーが同時期企画されており、

便乗する事にした。ツアー参加者は90人程、大諷一行は12名である。

 

1. 9月15日モスクワ到着。空港から市内まで交通は大渋滞、社会主義時代にはなかっ

たことである。モスクワ観光はモスクワ大学、ノヴォデヴィッチ修道院、院内には壁

一面にイコンが飾られていた。トルストイ博物館は大貴族の質素ではあるが、内部は

立派な邸宅であり調理室は別棟である。ノヴォデヴィッチ修道院前の白鳥の湖、この場

所でチャイコフスキーは「白鳥の湖」の楽想を練ったと言われている。

 

クレムリン宮殿、赤の広場とレーニン廟、広場に隣接する聖ワシリー寺院はイワン雷帝

の命で造られたが、雷帝はこれ以上の建物が以後決して造くられないように製作者の目

を刳り貫たという。同じく隣接するグム・デパートは高級品のみ置いてある店で誰も買

う人がなく、広告収入のみで成り立っていると云う。

 

赤の広場では休日の為か結婚式のカップルが6~7組いて写真を撮っていた。

ロシアの女性は皆、小柄で美しい。ちなみに「赤の広場」の赤は美しいの意味である。

ウスペンスキー大聖堂(1575年創設)白亜の教会で丸い屋根は金色に輝いていた。

聖堂のグルージン広場の鐘は吊るす前に破損して何度修理しても直らないので、そのま

ゝここに鎮座している。鐘に施されている彫刻は精緻である。同広場にはもう一つ巨大

な大砲がある。1586年製であるが一度だけ試し射ちをしたが6mしか砲弾が飛ばず、

以来ここに置かれている。アルハンゲイ大聖堂と、教会を回ることが多かった。

 

2. さて今回の目的地サンクト・ペテルブルグである。

 イ. サンクト・ペテルブルグの空港に日本語に堪能なサンクトペテルブルグ大学の学生クバーゾフ・ヒョードル(日本語表記 兵取)24才が迎えに来ていた。

彼は江戸時代の古文書の研究をしていて、過去1年間三重県に忍者の研究に滞在、三重大学に留学していた。漢字は得意で何でも聞いてくれとのこと要望があり、バラ、ユウウツ等聞いたところ漢字でスラスラと書いて得意げであった。長身で二枚目、優しく「モデルの仕事に向いているのでは」と聞くと実は日本でモデルの仕事をしていたと云う。

彼の案内で市内を観光、どこが観たいかとの問いに地下鉄、と市場(マーケット)、ドストエフスキー記念館、本屋等揚げると案内してくれた。

 

地下鉄の入口と出口は別、料金は60円均一。出口を出なければどこまでも乗れる。但し地下鉄内は写真撮影禁止であり、それはテロ防止の為だそうだ。

スーパーマーケットは肉、魚は大きく、買った品物は店内に木の切り株が鉈と共に置か

れてあり、各自が切断するのだとの事。蜂蜜は巣のまゝのものも売っており、チーズ

も多い。野菜や果物も多かった。食品は総じて豊富であった。又路上のマーケットもあり、主に老人が商品を持ち寄って並べていた。

 

エルミタージュ美術館に面して流れるネバ川を川越しにみるペトロパーウロフスク大聖

堂の美しい眺め、ネバ川とネフスキー通りはドストエフスキー記念館と並んで「罪と罰」でおなじみで、見たときは感無量であった。記念館はビルの一角に目立つ訳でもなく、

又見学者も居らずにヒッソリと建っていた。内部は思ったよりも広く、書斎も食堂もキ

チンとしており、子供たちの人形等も飾られており、小説からみるとドストエフスキー

より生活はしっかりしているようにみえた。尚ドストエフスキーのデスマスクもあった。

 

 ロ.16時から宗教博物館にて寄贈佛画についての契約書を取り交わす。

  作品一つづゝ明記してあった。署名は博物館館長。

 

 ハ.19時から日本総領事館にて歓迎の晩餐会出席。参加者は川端総領事夫妻、

   松山副総領事、職員1名、池坊宗匠池坊専永氏外1名、次期家元御夫君雅史氏、

   池坊教授中村福宏氏及び井口寒來氏、山田みどり氏(池坊ロシア支部創設者で

   ロシア支部長)、和田大諷の11名。

  当日の献立

  1.先附 手毬寿司の三種(鯛、サーモン、ハマチ)

  2.前菜 無花果の白和え、海老、雲丹の〇焼き、小芋田楽、湯葉のさしみ 

  3.椀物 変わり土瓶蒸し 4.焼き物 鴨の照り焼き 

  5.揚げ物 海老変り揚げ2種 6.酢の物 帆立、茄子、しめじ茸の黄身酢がけ

  7.食事 鮭おこわ、みそ汁、香の物、甘味 チョコレートと抹茶のムース、

    フルーツゼリー  料理人は領事館専属料理人。

 

 ニ.翌日 聖カザン大聖堂

ネフスキー大通りに面したロシア正教の総本山。ナポレオン率いるフランスに対する

ロシア軍の戦勝記念碑とも云うべき大寺院で、寺院にはロシア正教の聖宝物のイコン

「カザンの聖母」が保存されている。このイコンは戦時中クトゥーゾフ将軍とともに遠

征している(1801~1811)建設。

社会主義の間この地に宗教および無神論博物館が置かれており、イコンや礼拝用道具な

どはあまり保存されていない。大聖堂ではこの建物が一番りっぱであった。

 

 ホ.ワシリエフスキー島の要塞

ピョートル一世の構想ではこの島は未来の都の中心地になる筈であった。島内にはサンクト・ペテルブルグ大学、ロシア科学アカデミー、ロシア美術アカデミーの建物である。

ペトロパーヴロフスク要塞があるが実際には使用されなかったか、聖ペテロ・パウロ寺院(1731年創)もあり、皇帝の墓もある。旧市街地は18世紀クッウゾフーナポレオンのフランス侵略軍からロシアを護った国民的英雄の史跡と呼ばれるように、当時のまゝに良く保存されている。

 

 ヘ.エルミタージュ美術館で個展の展示見学

エルミタージュ劇場での館長あいさつと作品の紹介。

 

 ト.エルミタージュ美術館の見学

1530年代ミケランジェロの「うずくまる少年」、ゴヤの「アントニアサラティの肖像」、カラバッジョの「リュートを弾く人」、ダヴィンチの「ベヌアのマドンナ(通称花を持つマドンナ)」「リッタのマドンナ(通称聖母子)」、ジョルジョーネの「ユーディット」、レンブラントの「放蕩息子の帰還」「サスキア」「ダナエ」「自画像」、

アントニオ・カノーヴァの「三美神」これは美しいが彫刻としてはミケランジェロには

遠く及ばない。美術館で購入した時点ではカノーヴァの評価が高かったのであろう。

「三美神」は工芸品としては比類を絶する出来栄えを誇っているが第一級の彫刻とは言

えないのではと思われる。

 

 .ツアー旅行はそれなりに効率よく見学はさせられたが、印象はさほどの事もなか

った。しかし大寺院の威容は予想以上の見事さであった。街は整然としており、旧市街

は一般の建物の建設が禁止されて保存されている。日本でみられる夜のネオン等はほと

んど見る事がなく、真に美しい。

資本主義に変わって車の増加が著しく、駐車場が全くない為に車は舗道に止められており、旧い建物が立ち並ぶ為に駐車場をつくるスペースが無いのが実情である。

ツアーは日本も同じであるが食事が不味く、ホテルで出される水も有料で硬水で極めて

まずい。そして街に出るとトイレが全く無く、商店内にもトイレは使わせてもらえない。現地の人々はどうしているのであろうか。又社会主義時代には無かったスリや置き引きが増えて、他のヨーロッパの事情と急速に近づいてきたようであった。