和田 大諷

東京都 葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作。

個展は都内、ひたちなか、米国のロスアンゼルス、ロシアのサンクトペテルブルグで開催、20数回に及ぶ。

過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

鳩居堂「和田 大諷 の個展」終了の

お知らせ

  2022年4月の第7回の個展を

  持ちまして個展開催は終了と

  致すことになりました。

  

  これ迄度々個展に足を運ん

  で下さいました皆様に心より

  お礼申し上げます。

 

  作品の作成および発表は本

  ホームページにてこれ迄通

  り行います

  引き続きご覧くださいます

  ようお願い致します。

     2023年 1月 1日

     

 

   

著 書

 2014年2月

  「大諷の映画狂時代」

  2018年1月「大諷のへそ曲り

            読書日記」

  2019年7月  「大諷の観音の道」

  2020年11月  「大諷の無辺楽事」

  2021年11月「続 ・大諷の無辺楽事

         ボクシング編」

  2022年 10月

          和田大諷「金泥の世界 」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

作品紹介 千字文

千字文

唐の李綽(リシャク)の尚書故実に「梁の武帝は子供たちに書を習わせる為、王羲之の

筆蹟の中から重複しない文言1,000字の模本を作らせたが、一字づつの紙片であって順

序はなかった。武帝は周興嗣(註)を呼び出しこれを韻文になるよう考えてくれと命じ

た周は一晩かかってこの1,000字を用いた整然とした韻文一編を作り上げ武帝に奉じた

がその苦心の為に頭髪が真っ白になったと」述べている。

 

(註)周興嗣(シュウコウシ)南北朝時代 南朝の人。

梁の武帝が即位した天監元年(502年)『休平の賦』という韻文を奉って大いに賞美され、彼の官位は以来昇進を続けた。彼は文集10巻の外に歴史などの著述百余巻があったといい、文学の才能が高く評価されいた人であった。