「猶予」自由への道 三部作の内2 サルトル

1.1938年の「分別ざかり」から3ヶ月後の9月23日から30日までの出来事である。

 

2.さてナチスは1938年3月オーストリア併合後チェコスロバキアに侵略の矛先を向

ける。ドイツと国境を接するズデーテン地方は1916年以降深刻な民族的対立が引き起こされてきたが、この時期ドイツ人党が結成され、ナチスと連絡をとりつゝ「カールズバート綱領」を作成。チェコ政府にドイツ人の自治を要求運動が起きた。

チェコ政府はナチスの圧力のもとほとんどこれを受け入れたが、ドイツ人党はさらにドイツへの帰属を求めた。これに乗じたヒトラーはズデーテン地方問題の解決の為には世界戦も辞せずと表明。一気に戦争の危機は高まりフランスに動員令が下る。
1938年9月29日~30日ヒトラー、ムッソリーニ、チェンバレン、ダラディエ(注1)の英仏独伊の首脳によるミュンヘン会談が行われた。しかしチェコと同盟を結んだソ連は会談に参加する事は出来なかった。ソ連を仮想敵国とするイギリスの考えが根強くあったのである。
「ドイツ、大英帝国、フランス、イタリアの四大国はズデーテン地方のドイツ人の領土をドイツに譲渡する事に合意した」ミュンヘン会談。

 

3.30日の新聞に載ったこの記事をみてフランス全土の多くの人達は平和が戻って来たと手放しで安堵し喜ぶ。招集令状が来てもフランス国民はこれはナチスの脅しであろう、フランスが何らかの譲歩をすれば何とかなると思っていたし、政府も同様だったようだ。召集令状を出したにも拘わらず兵士用の軍服も充分間に合わなかったのであるから。

しかしこれは全面戦争までのつかの間の猶予であり平和であった。
1939年3月ドイツ第三帝国にチェコ全体が併合されたのである。

 

4.第一部の主人公マチュ、兄のジャック、ダニエルとその妻ローザ、文盲のグロルイ。将軍の息子フィリップ、カリエスで寝た切りのシャルル、旅芸人のモウ他数多くの人物が登場し、入り乱れて自分の職業、生活、戦争についての思いを詳細に語る。

 

(注1):ダラディエ(フランスの政治家)
1936年に社会協力なって人民戦線結成。同5年総選挙で大勝レオンブルムは首相となる。1938年4月これを引きついだダラディエは人民戦線を解体に追い込み、政府への援助「国際旅団」をも解体し、スペインをフランコのクーデター勝利へと力を貸す事となる。更に大戦後はフランス共産党を弾圧したが1940年3月ヴィンー政権に逮捕されている。