身近にみる日本の伝統技術の衰退

1 和紙販売の老舗で佛画を描く為に長く使用していた和紙を購入しようとしたところ、既に製造を中止していた旨告げられた。それまで全国様々な和紙を使用してきてやっと理想の紙に巡り合った、越中小原紙である。従来大小2種類あったが、使用していたのは30×45判でこれが無くなった。大判の方は小判とは異質でこれに礬砂(ドウサ)を引いたり胡粉を塗ったりしたが思うにまかせず、満足いくものとならず、替るべき紙を探す事となった。極めて残念としか言いようがない。

 

2 馴染の書道用品店で、金・銀泥の書に使う濃茶に染めた和紙を注文したが、6ヶ月経っても出来上がって来ない、紙漉き職人か染色職人かは不明であるが、職人が不足している為、仲々注文に応じられない為と説明を受けた。更に銀泥4gを10袋注文したがいつ店に届くしか分からないと云う。私のライフワークである金・銀泥で書く日本の古典文学はこの紙と銀泥がないと継続不可能であり、唯々困惑している。

 

3 以前京都の名旅館「俵屋」の主人、佐渡年さんが語っていた「この建物が建て直しの時期が来たらもうそれは不可能である」と、京壁を塗れる職人がいない素材の稲荷土等が無くなっている事、手斧を使える職人や良いブリキ職人等、集める事が困難となった事等があげられていた。

 

4 日本の誇るべき職人は仕事に対する応分な報酬が払われておらず衰退しているのが至るところで見る事が出来るのだ。