和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

顔真卿「王羲之を超えた名筆」展 東京国立博物館に関連して(そのニ)

5.王義之

400年続いた漢帝国の滅亡のあと、魏・呉・蜀の3国並び立つ時代に入ったが、魏の王位を簒奪した司馬一族は3国を平定して、晋帝国を建設する。

王義之は西晋時代に生れ東晋時代に活躍した名門の出身で護軍将軍等を歴任。351年会稽内史に任じ、353年3月3日の佳節に同地方の名勝蘭亭に地元の名士とその一族等41名を招いて曲水を流れる盃(サカズキ)を手に自作の詩を朗詠した。そのときの詩27編を編んだものが「蘭亭集」であり、その巻首に義之が毫を揮って書いた序文が「蘭亭序」である。

唐代に入って本人も能書家である太宗皇帝が「蘭亭序」を切望し、やがて義之7代の子孫の智永の所蔵となっていた「蘭亭序」は太宗の陰謀の果てに略奪に等しい手段で我が物にして、当時の名だたる欧陽詢、虞世南、褚遂良に下命して臨書させた。「定武本」「張金界奴本」「神龍平印本」等数多く残る。太宗の死後、遺命によってその昭陵に倍葬されて、永遠に元本は失われたが、写本によって残された「蘭亭序」がみられる事は誠に有難い事であると云わねばならない。その点での太宗の役割は大きかったのである。

 

6.北魏の書

中国で439年北魏が華北を統一。江南の宗と対立してから589年隋王朝が起るまでの、漢人の南朝と鮮卑族の北朝が対立した150年を南北朝時代と云う。

北魏代6代孝文帝の時代、親政期の政策は漢化政策と称され、鮮卑の言語、衣服の使用を禁じ、姓を漢族的に攻める。帝は詔勅も自ら書く等の中国的教養が深く、朝廷の儀礼も中国風に攻められた。均田制、祖庸調制、俸禄制などを断行した。これは唐代まで歴代国制の基本となっている。

文化的にも隔絶された北魏は独特な文化の発展をみる。多くの石碑が残され、中でも白眉の作品が523年に造られた「張猛龍碑」である。

孝文帝の親漢政策の結果とも云うべき北魏の名品である。癇症の強い、清潔で力強い楷書で北魏様式の一つではあるが、良く精錬されており、鄭道昭の一群と「張猛龍碑」は北魏の楷書の頂点に立つものだと思う。欧陽詢の楷書につながるものであろうか、私も一時期「張猛龍碑」の臨書にのめり込んだことがある。

 

7.初唐の3大家

初唐に古今その比を見ない名人・大家が排出して、中国書道史上の黄金時代を創りあげている。久しく南北両朝によって分断されていた中国は、新しく文化も統一融合をみるに至った。

中国史上稀に見る英主といわれる太宗の時代は文化の統一が完成した時代であるが、南朝の文化は純漢民族の文化であり、鮮卑族に支配された北朝の文化に対して圧倒的に優位を占めたのは当然とも云うべきであり、書も当時栄えた貴族政治を反映したものとなった。

 

イ.虞世南

南朝の陳生まれ、やがて隋に使え、唐に帰している。太宗の信頼が極めて厚く、天下の名蹟の鑑定も任されている。智永の指導を受け南朝の優雅な書風を継承した。孔子廟堂碑は原石が亡失して、三井氏聴永閣に残る唯一の唐拓本によってみる事が出来る。均斉美を保った貴族的な匂いを感ずる柔らかな美しい作品であり、書を始めた女性に好まれる作品でもある。

 

ロ.欧陽詢

彼も虞世南と同様な経過をへて、唐に帰し天才的な頭脳をもっていたと云われて後年天子の最高顧問・給事中という要識についている北朝の書(特に張猛龍碑)を学んだのではないかと思わせる俊抜さに及てほかの追従を許さない楷書の代表格の位置づけは今日に至るも変わることがなく、群を抜いている。現代の様々な書展を見ても「九成宮」を臨書しているのは極めて少ない。ごまかしのきかない作品で、実力が剥き出しになる事は勿論、書いた人物の人格や人間性まで曝される事になるからである。永遠の楷書である。一般的に書家の間では「つまらない」と考えているご仁が多いようである。あまりに無表情にみえるからであろう92年の春にさるグラフ誌に九成宮の特集が出され、当代一流の書家の面々が、各々に自分の臨書を載せたのは良いが、いずれも九成宮とは似てもにつかぬ縁もゆかりもない字ばかりであった。欧陽詢の書は刃物で紙の上から下の机までも切り裂くような力強さと切れ味が命であり、筆で捏ねて書く字ではない。