私の好きな歌手 その11. ポール・ロブスン その12.へルマン・プライ

その11. ポール・ロブスン
1898年ニュージャージー州、プリンストン生まれ。ラトガス・カレッジ在学中フット

ボール、野球、バスケットボール、短距離の有名選手となっており、同校開校以来の最

優秀成績で卒業。フットボールでは2年連続で全米最高選手に選ばれている。
その後コロンビア大学で法律を学び1923年卒業後、法律事務所で就職したが、白人

の書記が黒人のロブスンから口述される事を拒んだ事件によりロブスンは法律と縁をきり、1924年俳優として友人ユージン・オニールの劇「すべて神の子に翼あり」と「皇帝ジョーンズ」は出演、劇中で黒人霊歌を歌って絶賛を浴び、俳優として又歌手として不

動の地位を確立した。1930年ロンドンでシェークスピア劇「オセロ」に出演するなど舞台で活躍。又黒人の完全自由解放への情熱、国際的な反ファシズムと平和擁護活動への

積極的参加。1949年パリで開かれた世界平和会議における活躍等により非米活動分子とみなされアメリカ国務省はロブスンの海外渡航を禁止する。
1958年にはついに8年間の闘いによって旅券取り消し措置も撤回させたのである。
彼の歌は「オールマン・リヴァー」「ディープ・リヴァー」「ウオーター・ボーイ」

「セントルイス・ブルース」等いずれも高い精神性を感じさせる深味ある力強さと共に

哀愁を感じさせるのである。

 

その12. ヘルマン・プライ
オペラ、リート歌手としての人気はフィシャー・ディスカウと並んでいた。
オペラ、オラトリオ、リート歌手として輝かしい成功を納め「宮廷歌手の称号をもち、
バッハのカンタータからミュージカルまで幅広いレパートリーを有して活躍、1993
年に来日し鮫島有美子と一緒の舞台に立った。生で聴くヘルマン・プライの声は
低音部分でも硝子をふるわせるような音量であった。
この幸運な出来事はプライの伴奏者としてのヘルムート・ドイチュ、鮫島夫妻とプラ
イ夫妻が個人的にも親しくしていた事によるもので有難い事であった。
プライの「冬の旅」はフィシャー・ディスカウの歌とは又一味異なる味わいで聴き比
べると、曲の解釈の違いが良く分かるのも楽しみである。