私と落語(Ⅳ) 3代目 桂 米朝

3代目 桂 米朝 本名 中川 清 1925年11月6日生まれ 2015年3月19日89歳没
1947年4代目桂米団治に入門。米朝を名乗る。上方落語の発展の為に尽力、落語研究者としても第一人者である。96年に人間国宝に認定されている。著書も多い。


1.はてなの茶碗
京の清水、音羽の滝の前に茶店があり、そこでお茶を飲んでいた大店の主とみえる客が、飲み終った茶碗をひっくり返したりして見ていたが「はてな」と云って立ち去る。

これを見ていた荷を担いでの油売りが、茶店の主に聞くと有名な茶道具屋のあるじ茶金であると云う。油屋はこの茶碗を2両で買うや、直ぐに茶金の店に持ち込むが、番頭に一蹴されてしまうが、奥から出てきた主茶金から3両で引き取ってもらう。

実はキズもないのにポタポタと漏るので「はてな」と云ったことが解るのだが。
これが町の評判となり大阪の豪商 鴻池善右衛門がこれを千両で買いたいと申し出る。

茶金は半分の五百両を油屋に渡すが油屋はこれに味を占めて、大きな水瓶の漏るのをみ

つけてくる。

 

2.宿屋仇
兵庫の威勢のよい3人組が宿屋に泊まる。宿屋の番頭伊八とのやり取りが面白い。

そこに武士が1人宿泊。3人は酒盛りで芸者も呼んで大いに盛り上がるがその騒ぎも武士から苦情が出る。一旦は静かになるが、暫くしすると忘れたように騒ぎ出す。一向に止まないうるさゝに業を煮やした武士はまた始まった隣室の源兵衛が話すのろけばなしから始まる2人の殺人に至る自分の諸行(実はうそ)を聞いて、実はその2人は自分の弟夫婦で自分はその兄であり長く仇を捜して旅していたと明かし、あだ討ちを申しでる。

明朝の出会仇を言い渡し、もし逃したら宿の者を皆殺しにすると脅す。まんじりともせずに朝を迎えた3人組と宿の人々を前に実は寝かしてもらう策だったと明かす。

 

3.質 屋 蔵
質屋の蔵に夜な夜な化け物が出るという噂が町に広まる。主人は番頭に確かめるように指示するが、これがいたっての臆病者で助太刀が欲しいと云う。出入りの職人で喧嘩自慢の熊五郎を頼むが、これも実は臆病者でそれでも2人で寝ずの番をするが夜も更けていよいよ化け物が登場する。・・・・・

 

4.菊江仏壇
上方落語の中での大ネタである。道楽息子が嫁をもらうが直ぐに飽きて遊びを始める。

嫁はこれを苦にして病に伏して実家に養生の為に戻るが、息子は勿怪の幸い遊びにはげむ。船場の大店の親旦那は嫁をいたわり、息子の極道を責めるが実家で嫁は病死。

一度も見舞いに行かなかった息子は行くに行けずに父親のみ駆けつけるが、息子は親父の留守に店に芸者等を大勢呼んで店の者も合せてドンチャン騒ぎを繰り広げる。

そこへ親旦那が帰ってきて・・・・・・・・

 

5・地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)
何んと云っても米朝の噺でこれを外す事は出来ない。実に1時間を超える大作である。

終始賑やかにお囃子、鳴物が入る。よそから大きな鯖をもらって、3枚に下ろし片一片は戸棚に納めて、それを刺し身にして一杯飲んでゴロッと横になり気が付いてみると前に行く者、後から来る者は各々額に三角の布を当てゝいる。そこへ大金持ちの若旦那が出てくる。遊びたいだけ遊んで、もうやる事もなくなって、一つあの世へでも行って遊ぼうかと云う事となり、取り巻きの芸妓、舞妓から料理屋の女将から太鼓持ちまで、大勢がこれのお供となり、ふぐの肝を皆で食べて地獄にやってくると云う咄である。

 

米朝はこれら上方の噺を中心に語るが古くなって誰も語らなくなった噺を丹念に発掘して、新しい解釈をして高座に乗せている。
東京に押されてすっかり衰退していた上方落語の復活に精力を注ぎ、上方ことばの柔らかさで、噺に深みを持たせて、上方落語を今日に復活させた大功労者である。
噺はいづれも知性に溢れて、品も良く、無理なく構成され上方落語の面白さを全国に知らしめたのである。ー 米朝は80話、全集 ー 
若くから親しんだ志ん生、圓生、文楽、正蔵、米朝のCDは100枚を超えて手元にあり、日常的に聴いており、現在は米朝を聴く事が圧倒的に多い。