和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

私の好きな歌手 その2.キルステン・フラグスタート(ソプラノ歌手)、その3. デュゼッペ・ディ・スティファーノ(テノール歌手)

2.キルステン・フラグスタート(ソプラノ歌手)
1895年7月12日ノルウェーのハーマル生れ。1962年12月7日死去。
父は指揮者、母はピアニストである。
1913年オスロ国立劇場で「低地」のヌリ役(子供)でデビュー。1933年にバイロ
イト音楽祭に出演。34年ジークリンデとグートルネに抜擢され一躍第一級のワグナ
ーソプラノとなる。
1935年が歌劇場でワルキューレの練習に際して、彼女が歌い始めたその瞬間、そ
の余りの歌唱の素晴らしさに指揮者は驚嘆のあまりバトンを落としてしまい、ジー
クムント役の歌手は茫然として自分の出を忘れてしまったと云う。

第2次大戦後夫のヘンリー・ヨハンセンと共にドイツ占領軍に加担した罪を問われ
たが、全くの事実無根の事であった。1947年から再び、演奏活動を開始した。

私が聴いたのは多分1950年3月スカラ座のライブ録音であったろう。1955年の事と
記憶している。フラグスタートの声は透明感と高貴で、しかも巧みな表現力はまさ
に「神に声」であると評されるにふさわしく「ブリュンヒルデ」は彼女の為にある
役であった。
私が就職した時、初回のボーナスは3、500円で、暮れのボーナスは9,000円であっ
た。先ず買ったのは「指輪」の内「ワルキューレ」であるが、東銀座デパートのレ
コード店には「ビルギット・ニルソン」盤しかなく止むなく購入したが、満足でき
るものではなかった。「電蓄は大分あとに買い、やっと聴いた」。

55年あたりからは高音部が苦しそうになり、痛々しい感はしたが、それでも「神の
声」は健在でソプラノで誰が好きかと問われゝば、文句なくフラグスタートを上げ
るに躊躇しない。


3.デュゼッペ・ディ・スティファーノ
1950~60年代のイタリアオペラ黄金時代を代表し、人気を2分した2大テノール
はマリオ・デル・モナコとディ・スティファーノであった。
1946年デビューするや、あっと云うまに世界的スターとなった。

現代の歌手には見られない、ためらいのない自信に満ち溢れた、甘い高音と直接心に
訴えかける情熱溢れる歌声こそスティファーノの特徴であった。
彼の唄う「トスカ」の「星も光りぬ」は友人の政治犯アンジェロッティを助けた罪で
トスカに横恋慕する警視総監スカルピアから死刑宣告されたカヴァラドッシが処刑を
前にして、トスカとの愛の日々に思いを馳せて切々と歌う。これこそスティファーノ
の真骨頂である。助命を願うトスカにスカルピアは助けてやる代わりに自分の思いを
受け入れるように迫る。裏切られたことを知ったトスカはスカルピアを刺し殺して、
自分は城壁の上から身を躍らすのである。

このトスカをマリア・カラス(このドラマッチックな役は彼女にふさわしい)カヴァ
ラドッシをスティファーノ、スカルピアをティト・ゴッピで上演されCDも出ている。
過去にも将来にもこれ以上望むべくもない陣容であった。

1952年のメキシコ公演のライブ録音があり、ドサ回りのせいかカラスも音を度々外
しており、スティファーノに至っては、自分の好きなように羽目を外して歌っている。
その気持ちの良さそうな歌い振り、このやりたい放題にみえる「リゴレット」が観客
の反応と相俟って、実に楽しい。大好きな一枚である。カラスとの共演が多く、多く
のオペラ全曲の名盤を残している。
そのスティファーノが最も輝くのはイタリヤ民謡で、この分野では他の追従を許さな
い。皆魅力的だが、特に「彼女に告げてよ!」は素晴らしい絶品である。
日本にも3度来て1974年の来日で「星も光りぬ」を歌ったが、既に往年の輝きは失
われていた。私生活でも遊び人であったようで、自分の生きたいように生き、何処で
も歌いたいように歌って生きた人で音楽家で現在こんな人物はお目にかゝれない。

オペラで世に出る前に、ニーノ・サローリオの名でナポリを中心にレビューやショー
で歌っており60年代後半にはウィーンでオペレッタにも出演している。