「真贋」小林秀雄 (昭和26年1月作)読む

小林秀雄は良寛の「地震後作」と題した詩軸を得意になって掛けていた。

友人の吉野秀雄(注1)がやって来て、言下に否定されて、いまいましいと縦横バラバラにしてしまった。

 

雪舟のホン物は専門家の説によれば10数点しかないが、雪舟を掛けたい人が1万人ある以上、ニセ物の効用を認めなければ書画骨董界は危殆に瀕するという。

業界では、ニセ物とは言わず、二番手、ちと若い、ショボたれていると云う。

 

友人の商売人のところへ、アメリカ人が品物を見てほしいと言って来た。一見して明ら

かなニセ物なので、その由を言うと、客は博物館の鑑定書を見せた。近頃鑑定書にもニ

セが多いと言うと了解して還ったそうである。

 

又、小林は青山次郎(注2)に仕込まれて病み付きとなった挙句、呉須赤絵の皿を買って青山に話すと、図柄や値段を聞いただけで馬鹿と言われた。見る必要もないと言われて、納得できず「壷中居」を訪ねて主人に黙って見せると、彼は箱を開けてちょっと覗き、

すぐ蓋をして、つまらなそうに紐をかけ 「これはいいですよ」 と言った。

そこへ小僧がお茶を持って来た。主人は皿を出して「これイケないんだから、見とけ」

と言った。

「瀬津」の主人の話も出てくる。

 

尚、「壷中居」「瀬津雅陶堂」「繭山龍泉堂」は日本橋に現在もあって、老舗中の老舗

の日本3大骨董商で一見の客は受け付けない。

「骨董の世界では真筆、伝、二番手、三番手などと評価。作られた時代、作品の出来で

それぞれ相当の値段がしっかりとついている。

特に「円山応挙」「富岡鉄斎」の贋作は夥しい数にのぼっていて、その人気の程が窺わ

れる。

 

30年程前に、南麻布の仏教美術店「シルクロード」で手に入れた高さ30cmの金銅仏は

魚子(ナナコ)紋が打たれ、裏面には如来像が美しく線彫りされ、台座には敬造、観世音像、身孟自為、仁寿2年と刻されている。作品の出来は非常に良かったが、暫く家に置いておくと次第に疑問が湧いてきた。
仏像から発する、いわゆる「気」がない事に気がついた。「瀬津雅陶堂」の主人、瀬津巌氏に見てもらったところ、彼は一目したところで「これはいけませんなあ」と一言。

ほうほうのていで店を辞したことを思い出す。
以後これに懲りて他人に鑑定を依頼したことはない。自分の審美眼を信じて書画、骨董のいくつか手許に集まったが、真贋の程は当然の事ながら定かでない。

 

小林秀雄のこの文章には骨董にのめり込んだ人の心情が良く表されている。

 

(注1) 吉野秀雄 
    昭和期の歌人、会津八一に傾倒し、歌人としての道を歩む。
    歌集に「天井凝視「苔径集」「良寛歌集」等がある。その生涯はたえず病気

    との闘いであった。

(注2) 青山次郎
            昭和期の美術評論家、装幀家。小林秀雄、河上徹太郎、中原中也など幅広い

      文化人と親交をもち、多数の評論、装幀を発表した。