TVで映画「アフリカの女王」みる

1951年 米・英にて製作された

監督・脚本はジョン・ヒューストン

 

第一次世界大戦下のドイツ領東アフリカ奥地

突然やって来たドイツ軍に赴任地の村を焼き払われ住民は連行される。気の弱い宣教師の兄はショックを受けて間もなく死亡。残された勝気な妹が郵便物と日用品を運搬するボロ蒸気船アフリカの女王号の船長に軍事戦略上重要なカギを握るドイツ砲艦への攻撃を持ちかける。船長は実現不可能な話にも拘らず女の強引さにひきづられて激流の方にスクリューや舵を破損しながらも困難をのり越えて、ついに敵艦までたどりつく。

手製の魚雷をつくって艦ごと体当たりする筈のところ嵐の為、転覆するが…。

 

やくざな船長と頑迷なオールドミスの取り合せが面白い。困難を乗り越えて行くうちに次第に心を通わせて行くがハンフリー・ポガードとキャサリン・ヘップバーンの力演もあって彼女の不屈の魂と戻ってきた女らしさが彼女をみるみる美しくしていくのがみどころである。

 

舞台となったのはサラエヴォ事件を導火線とし1914年オーストリアがセルビアに宣戦し、各々の国と集団安全保障条約を結んだ独・墺・伊と英・仏・露が参戦やがてトルコ・ブルガリア・ベルギー・アメリカ・中国・日本も加わって世界大戦となった時代である。オーストリアとの同盟を守って参戦したドイツが悪者で英・米が正しいとする。

 

この映画の主張がマッカな嘘である事は明白でヒューストンの真情は、政府の主張する事は何でも無条件に賛美して従いますという全面降伏の自分の立場を表明したと云える。

この映画の制作当時はアメリカ映画界にマッカーシズムが吹き荒れており、映画界から多くの人材が追放された。ジョン・ヒューストンはこれに対抗して、思想信条と人権を守る為に憲法第一条付帯条項委員会結成を呼びかけた代表者の一人であり、ポガードもヘップバーンもその積極的な賛同者であったが、国家権力の前に苦い敗北を喫し更に政府への忠誠を誓うことまで強要されてそれに従って作成した作品である。

 

この事情を知ることなく映画をみれば流石にヒューストンの映画づくりは巧みでコンゴ・ウガンダにまでロケし、象やカバ、ワニ等がふんだんに撮られており、ポガード・ヘップバーンの演技力にも助けられて、物語の運び方も仲々のもので最後まで観客を飽きさせることがない腕前はみごとであるが……という作品である。