和田 大諷

東京都 葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作。

個展は都内、ひたちなか、米国のロスアンゼルス、ロシアのサンクトペテルブルグで開催、20数回に及ぶ。

過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

鳩居堂「和田 大諷 の個展」終了の

お知らせ

  2022年4月の第7回の個展を

  持ちまして個展開催は終了と

  致すことになりました。

  

  これ迄度々個展に足を運ん

  で下さいました皆様に心より

  お礼申し上げます。

 

  作品の作成および発表は本

  ホームページにてこれ迄通

  り行います

  引き続きご覧くださいます

  ようお願い致します。

     2023年 1月 1日

     

 

   

著 書

 2014年2月

  「大諷の映画狂時代」

  2018年1月「大諷のへそ曲り

            読書日記」

  2019年7月  「大諷の観音の道」

  2020年11月  「大諷の無辺楽事」

  2021年11月「続 ・大諷の無辺楽事

         ボクシング編」

  2022年 10月

          和田大諷「金泥の世界 」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

神奈川県立近代美術館で松本竣介展みる

1998年10月 没後50年の松本竣介展が練馬区立美術館で行われて以来、18年振りの生誕100年記念展である。この時の作品群の方が作品も多く充実していた。

松本竣介は1912年東京渋谷で生れ、少年時代は岩手で過し、中学時代に聴力を失って画家を志すようになり、1929年上京。1935年頃から都市風景を描き始める。

彼が最も影響を受けた画家はジョルジュ・ルオーであったようで1935年22回二科展入選の建物にその傾向が色濃く現れ始めており、1936年2月の婦人像2点はまさにルオーの作風となっている。その後次第に青を基調とした薄い絵具の重り合う独得の美しい間チュールが特徴となる。この頃の松本竣介は誠に美しい。この作品群は1938~40年に集中しやがて1941年12月の橋(東京駅裏)が発表されるのだ。今回の展覧会白眉の一点であり、沈んだ茶色と黒、灰色で仕上げられた彼の代表作ではないかと思われる。その後工場やY市の橋等都市の建物がこの色調でくり返し描かれることとなり1948年6月8日、心臓衰弱の為死去する。前回には見なかった自分の子供を中心とした子供を描いた作品も多く展示されてそれぞれ可愛いい。

東慶寺へ

12月4日は晴れて風もなく行楽日和で東慶寺も多くの参拝者で賑わっていた。紅葉が美しく墓苑には安倍能成、出光佐三、岩波茂雄、小林秀雄、田村俊子、西田幾太郎、前田青邨等の墓があるが大伽藍はなく、宝物も極めて少ない。宝物館には駆込み寺として当時の書類が数点寂しく陳列されていた。