独創について

今日の日本では芸術作品は文学、絵画から書に至るまで、その作品の独創性が最も重要

視され、余程優れていても物まねと見なされゝば、全く評価されないのが現実である。

 

そこで林達夫の評論の中で面白い文書がある。

いわゆる「剽窃」-剽窃はインチキであるか-

と題して「多少とも西洋の学問芸術を聞きかじった者であるなら、古来その独創性をも

って鳴っている西洋の大文豪や大学者のうちにさえ、証拠歴然たる剽窃行為を見いだす

のに少しも困難はしないであろう」「シェークスピアやモリエールやスタンダールの場合は文芸家のうちの最たるものであり、思想家のうちにもプラトンやデカルトをはじめ幾多の例を数えることが出来る。二流、三流に至れば剽窃はもっと繁くなって、巨大な数に上るであろう。剽窃は大きくいえば人類社会の共通的現象であるということになる。 

インチキ師は、他人の思想や文句の泥坊は無数に世界を横行しているのだ! 何という恥ずべき犯罪の世界であろう!」「ところで我々が見逃してはならないのは、この文化摂取において巨大な役割を演じているのがほかならぬ剽窃であるということだ。

少しく誇張していうなら、いわゆる明治大正文化なるものはほとんど西欧からの剽窃文化であるともいえる。

もしこの大掛かりな文化剽窃から成る明治大正文化を、剽窃はたヾインチキであるからという理由で、これを抹殺する者がいるとしたら? 人はその愚を笑うであろう。

剽窃の社会的効用にはかくの如きものがあるのである。

                      -「林達夫著作集」全六巻より-

 

剽窃は一概に否定されるものではない。現代の文化、芸術はすべて過去の剽窃であると

云えなくもないのである。
絵画や書に対する「オリジナル」を有難がる風潮は実に笑うべき事かもしれない。