和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

「 休戦 」(プリーモ・レーヴィ作)を読んで

レーヴィは1944年2月から45年1月までアウシュヴィッツ抹殺収容所に入れられ、強制労働をさせられた。
レーヴィは生き残ってロシア軍に救出された。人間の肉体だけでなく魂までも破壊された人々はロシア軍に解放されたが、その救いの主にかけ寄ったり、祈りに没頭する者は誰一人としていなかった。

たゞ死体の折り重なる穴の脇に立ちつくしていたのである。

 

アウシュヴィッツの一部ブナニ・モノヴィッツのラーゲルの病室にはドイツ軍によって放置された800人の囚人が残されたが、ロシア軍の到着する前に500人が病気と飢えと寒さで死に、200人が治療

を受けたにも拘らずロシア軍到着の直後に死亡している。

レーヴィが生き残って普通の世界に戻れたのは、物事に対する旺盛な好奇心と科学者であったこと、そして解放軍がアメリカ軍の機能的で、衛生的で、システム化された保護でなく、大陸的でおおらかさと無秩序ときまぐれで、人間味溢れたロシア軍であった事がレーヴィの復活にとって決定的であった。


レーヴィは人物観察にも優れておりアウシュヴィッツ生れのフルビネクと呼ばれた名前もなく口も利けない3才児の子供で、その視線は動物的で同時に人間的でむしろ成熟しており、思慮を感じさせたと語り、フルビネクは収容所で死に、彼の存在を証明するのはレーヴィの「この文章だけだ」と述べている。
ガス室に消えたパルチザンのオルガ、看護婦の仕事をして男を漁るポーランド娘ハンカとヤージャ、レーヴィに強い影響を与えたギリシャ人のナフムはフランス語、イタリヤ語、トルコ語、ブルガリヤ語、アルバニア語を話し40歳でアウシュヴィッツの生き残り、現実主義者で集団の様々な難局をリーダーシップを発揮して切り抜ける。

 

レーヴィはその後も彼について行くが、ナフムと云う人間に興味があったからである。

レーヴィは1945年1月にロシア軍に解放されたが、そこからポーランド、ウクライナ、ベラルーシュ、ルーマニア、ハンガリー、オーストリアを経てイタリアに辿り着くのである。「休戦」はその帰還の話を通して人間復活を果たす物語となった。