風姿花伝にみる独創について

風姿花伝の中に物真似の心得として

『物まねの品々、筆に尽し難し、さりながら比道の肝要なれば、その品々をいかにも

いかにも嗜むべし。およそ何事をも残さず、よく似せんが本意なり。しかれども又事に

よりて濃き、薄きを知るべし。

先ず、國王、大臣より始め来りて、公家の御たゝずまひ、武家の御進退は、及ぶべき

所にあらざれば、十分ならんと事難し。さりながら、よくよく、言葉を尋ね、利(シ

ナ)を求めて、見所のご意見を待つべきか。そのほか、上職の品々、花鳥風月の事態、

いかにも、いかにも細かに似すべし。田夫、野人の事に至りては、さのみに細やかに、

賤しげなる態をば似すべからず。

仮令、木樵、草刈、炭焼、塩汲などの、風情にもなりつべき態をば細かに似すべきか。

それよりなお精しからん下職をば、さのみには似すまじきなり。
これ、上方の御目に見ゆべからず。もし見えば、余りに賤しくて、面白き所有るべからず。このあてがいを、よくよく心得べし似事の人体によりて、浅深あるべきなり。』

 

貴人の物まねよりも、木樵や炭焼等の野人の物まねが大事であるとして下賤の態を演技

しても、貴人の鑑賞にたえるものが大切という野人を演じて気韻は高雅なものでなけ

ればならない。その物まねは単なる事実模写ではなく、現世を生きる苦悩、哀しみなど

の心象の活写の為に工夫さるべきとの考えである。


芸が余りにも先進的で高級すぎて目利かずの人々に受けとめられないこともある。
世阿弥はそうした場合にも目利かずの人々にも面白いと思うように能を舞えと云っており、「工夫と熟練」を求めている。大衆性がある、つまり分りやすい芸が必ずしも芸術

的とは云えないが、芸術的に優れたものは、いつか大衆を獲得すると世阿弥は信じてい

たのである。

 

書では殷時代の甲骨文字は外形を形どったものと異なり骨格を以って象形文字とした。
中国特異な成りたちからやがて抽象的な意味も表現出来るようになり、それが為に今日

に至るまでその成り立ちと推移が辿れるのである。

甲骨文字も同代の金文も生まれた時に、すでに完璧に完成され、その美しさは比類がない。


白川静は数十万の甲骨文字をひたすらトレースする事によって古代の人々の生活、思い、考え、息吹を感得するようになったと語っており、そこから後漢の許慎の手になる

「説文解字」よって理解されてきた漢字の成り立ちが、二千年の年を経て、その誤りが

正されて、文字の成り立ちが解明されたのである。
つまり① 漢字は成立した時が一番美しい。② ひたすら繰り返し模写することによって
真実に到達した。ということである。


私は野の石佛を多く描いてきたが、何の変哲もない路傍の石佛達、多くは江戸時代に
大量生産されてステレオタイプ化した。佛像とは云い難い形式の石佛が多い中でも描い

ているうちに、江戸時代に生きた町人達の生活や、美意識や心意気のようなものが現わ

れてくるのを抑えることが出来ない。

多く描き続ける事によってそれ等の中の時代の変化や風雪をくぐり抜けて来た歴史も、

それらの石佛に色濃く現われて来たのであり、独創とも云えない何かが絵の中に現われ

るのかもしれないと思うのである。


独創性を重視することが優先するとそれは変化し、醜悪となる危険性なしとも云え な

いのでは・・・・。

現代の芸術はすべて過去の作品の真似事なのだから。