讃 女優 加藤治子

日本の女優で一番好きなのは加藤治子である。治子の母は愛人の子供を5人生み、父親なしで全員育てて62歳で死んだ。いつも髪の毛ひとつ乱れていた ことがなく、冬の寒いときでもきちっと頭を結って、きちっと着物を着ていたという。治子の兄弟、姉妹は既に皆なくなっており母親の家系は全部死に絶えてい る。治子に夫、子供はおらず天涯孤独の身である。小学校6年の時に自分が私生児であることを知り、学校や周囲から白い目で見られていたことに思い当たり、 普通の人のように女学校に入りお嫁に行き家庭を持つことは出来ないと思い込み、女学校を諦め高等小学校に入学、1人で生きていく為に、松竹少女歌劇に 14~15歳で入学した。

 

やがて本名の瀧浪治子から芸名御舟京子として映画に出演するようになる。昭和16年東宝 にいた治子は「新演劇研究会」に誘われる。グループには英文学者で新進の劇作家加藤道夫や、芥川比呂志、原田義人、鬼頭哲夫、新渡戸誠(稲造の孫)、大倉 雄二、中村真一郎等が揃っていたが、第2次大戦に召集された。皆無事に生還して昭和21年治子は加藤道夫と結婚する。道夫は7年後に自宅で首を吊って自殺 した。理由は不明。

 

治子は女優を続けて、やがて向田邦子と出会うのである。10年以上に亘って、毎年正月にTVで 新春スペシャルを放映。「春が来た」「眠る盃」「夜中のバラ」「冬の家族」「女の人差し指」「麗子の足」「男どき女どき」「母が教えたまいし」「隣の神 様」「女正月」「思い出トランプ」「阿修羅のごとく」「蛇蝎のごとく」等である。

 

向田邦子の描くドラマに加藤治子が豊かに肉付けし、血の通った作品に次々に仕上げていった。共演に小林薫、田中裕子がいて、時折田辺智子、四谷シモンが出る。
昭和30年代までには日本に存在していた古くから家族に引き継がれてきた「しきたり」「秩序」「文化」がこの中には一貫して語られていたのである。今神棚 の無い家の方が多いであろう。庭に淫祠を祀る家は更に少ない。現在の家庭の中には日本の伝統文化の影は全く存在しなくなってしまった。

 

治子の演ずる母親像は自分の母親の影響を色濃く心の中に残して来たかのように、いつも毅然としており狼狽えることがなく生きており、家庭の中に不正義を許さない。

上手な女優とは必ずしも思えないが、その存在感と日本女性が過去に持っていたつつましさ、奥ゆかしさ、美しさ、強さを表現する姿にいつも強く魅かれたのである。

たゞ治子の出演する映画も舞台も見たことがなく、向田邦子の作中に具現された彼女の美しさに感嘆したのである。

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コメント: 1
  • #1

    幸子 (水曜日, 26 8月 2015 20:20)

    私も治子さんの凛としたお姿が大好き