和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

後宮異聞 渡辺一夫著 読む

フランス16世紀後半の宗教戦争の終幕の修羅場にさ迷い出て時の国王アンリ4世の寵姫となり、王に縋り通したガブリエル・デストレの短い生涯を描いたものである。

ヴァロア王家のアンリ3世が病死、後継が無かった為に遠い血縁に当たるナヴァール公が王位を継承することとなる。ナヴァール公はアンリ3世の妹マルグリット・ド・ヴァロア(マルゴ公妃)を妃としていた。

政略結婚によって妃としたマルゴ公妃は旧教徒であったことと、性格が合わないことでオーヴェルニュ山中の城に軟禁されていた。

 

当時フランスは宗教戦争の渦中にあり、代々旧教を奉じていた王家の人々は旧教徒達の「錦の御旗」とされていたが、対抗する新教徒軍の総帥としてナヴァール公が指導的役割を果していた為に、王位継承は仲々行われなかった。

旧教の神聖同盟は新教の王に頑強に反対。イスパニヤ王フェリペ2世もこれを応援。フェリペの娘イザベルをフランス女王にする画策を廻らしていた。

 

アンリ4世は新教徒の国王を拒否する国民の大部分の反対を解消する為に又、イスパニヤの野望を挫く為に旧教徒に鞍替するのである。宗教戦争は1572年「聖バルトロメオの大虐殺」によって第4次宗教戦争開始し、一層激化しており国を二分しての戦いは熾烈を極めていた。

 

アンリ4世は長年に亘る戦乱と政争に揉み抜かれ憂悶と疲労とを漁色にまぎらしていたが、ガブリエルは家庭的な安らぎを味わせてくれた唯一女性だったのである。

戦塵に塗れて身心を刷る生活を強いられ、寵姫ガブリエルの優しい愛撫の中でしかやすらぎを得ることが出来なかった。

 

ガブリエルは小貴族の出で、臣下格の家柄であって寵姫となる前は不身持であり、臣下のベルガルド公の愛人であったが、アンリ4世はベルガンドからこれを奪った。しかし、父親はぐれかけていた娘をリャンクール領主ニコラ・ダメルヴァルに婚がせたが、ガブリエルは不能男のダメルヴァルのもとを3ヶ月で去り、アンリ4世の元に走るのである。

 

ガブリエルは「顔は真珠の細やかさと透明さを持ち、滑らかで透き通っていた。着物の白繻子もその美しい胸もとの雪のような白さと比べれば黒くみえる程だった。唇は紅玉のような色、眼は空の群青色として輝いていた」と評されたが、人形のように無性格で人形のように従順であったという。アンリ4世は7年越しで係争中であったマルゴ王妃との離婚がパリ最高法院の認証を受ける見通しがたったことから、ガブリエルを正式な妃にたてようと考えた。ガブリエルはすでに3人の子供を産んで、夫との離婚も成立していた1598年4月13日「ナントの勅令」が発布。これがパリ最高法院の認証を受け、これが新教徒にほぼ全面的に差別を設けないことなどを主旨としたもので長きに亘る宗教戦争の根本的原因だけは少なくとも除去されフランス国内の統一はほぼ完成したのである。これにはミシェル・ド・モンテーニュが直接アンリ4世に与えていた示唆が大きかったようである。

 

ガブリエルは準王妃の扱いを受けていたが旧教を中心とした勢力はフィレンツェ側のマリ・ド・メヂチ姫を強力におしていた。しかし王妃の位に就けることが確実となったガブリエルはこのとき4人目の子供を宿しており、パリのザメ邸に体を休めていたが、1599年4月10日、ザメ邸で急死する。病死とも毒殺とも諸説があるが、これで旧教の思わく通りアンリ4世はマリ・ド・メヂチ姫と結婚する。その孫はあの太陽王ルイ14世となるのである。

 

ちなみにアンリ4世は小男で灰色の顎鬚を生やし、鼻が顎にくっつき百姓男然とした醜男で山羊とにんにくの臭いの芬芬とした男だったらしい。

ガブリエルの子供3人は相応の身分を保証されて無事生涯を送ったとの事である。又マルゴ王妃は多くの作家がこの生涯を描いているように実に数奇な一生を過ごしている。

 

フランスに於けるルネッサンスは15世紀の末から17世紀初期を指しており、コロンブスからコベルニクスにさらにガリレオに地球の発見から天空の発見にまで赴く、人間はその間、己自身を再発見するのである。

 

1469年ニッコロ・マキャベリ、デジデリウス・エラスムス、1473年ニコラウス・コペルニクス、1483年マルチン・ルッター、1494年第一之書ガルガンチュウ、第二之書パンタグリエルの著者、フランソワラブレー、1519年ダヴィンチ没、1533年ユマニスト・ミシェルド・モンテーニュとフランスは次々と排出し、宗教戦争の暗黒時代の中で文化の華を開かせ、文芸復興を成したのである。