和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

モーパッサンの紀行文「水の上」より

「このように40万人の人間が集まって群れをなし、昼となく夜となく休む間もなしに歩きまわり何も考えず何も学びとらず、何も覚えず、何も読まず、誰の役にも立たず、きたない物を食い、泥土の中に寝、絶えず茫然として、野獣のような生活を営み、町を略奪し、村を焼き、人々を殺し、こうやって他の別な人間の肉の集団に出会うと、お互いに襲いかかり会って血潮の沼を作り、ぐじゃぐじゃにされた肉は真っ赤に染まった泥にまみれて野原を埋め尽くし、屍は山とつまれ、腕や脚はどこかにすっとばされ、誰の利益にもならぬのに脳味噌は圧しつぶされ、野末の隅でくたばってしまう。一方では君たちの老いた両親、妻や子が餓えて死にかけている。こんなことをするのが、世にも醜悪なマテリヤリスム(物質主義)に陥らぬことだとおっしゃるのだ。

 

我々は見た。戦争を見たのだ。野獣に還った人間どもが、逆上し切って面白半分に或いは恐ろしさから、或いはこれみよがしに、或いは空威張りをするために、人を殺すのを、我々は見た。権利がもはや存在せず、法律も死に絶え、一切の正義の理念が消失してしまっている結果、道を通った無辜の人々が単に恐がったという理由で嫌疑をかけられて銃殺されるのを、我々は見た。

ピストルのためし撃ちに犬をその飼い主の家の門口につないで射殺するのを、我々は見た。野原に横になっていた牝牛をただ弾を打ってみるだけのために、笑話の種にする以外に何の理由もないのに、面白半分に蜂の巣のようにしてしまったのを、我々は見た。

戦争をする連中は世界の禍だ。我々は、自然や無知、あらゆる種類の障害を相手に戦い、我々の惨めな生活を少しでもつらくないようにしょうとする。

ところが戦争が起こる。6ヶ月の間に数人の将軍が20ヶ年に亙る努力と忍耐と天才との仕事を破壊してしまう。最もあきれて物も言えぬことは、社会全体が戦争という一語に対し反抗しないことだ。あゝ我々は古い忌まわしい習慣の重荷の下で我々の野蛮な祖先の罪障深い偏見や狂暴な観念に打ちひしがれて永久に暮らすことになるのだろう。何故なら我々は野獣だからであり、我々は本能に支配され、何によっても変えられない野獣のままでいるに違いないからである」

 

19世紀に書かれたモーパッサンの最後の叫び声は実に暗澹としていて、今日に至るも変わらないと思う。

複数の大臣がネオナチの代表と並んでカメラの前に立ち、内閣は平然と武器輸出を決め、危険そのものである原発を海外に販売、片や財政破綻にまっしぐら、国民生活は一層破壊されつつあるのに、安倍政権の支持率は高どまりしており、人の意見に耳をかさない強面の姿勢に、多くの人々が喝采を送っているようにみえる。19世紀の歴史は21世紀の日本で再びくり返されるのか。