和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

「つぶれた帽子」 中公文庫 佐藤忠良自伝から 

平成23年99歳で亡くなった佐藤忠良の自伝である。明治45年7月宮城県に生まれ6歳の時父を病気で亡くし、母は30歳で6歳と2歳の兄弟を抱え北海道へ移転、女手一つで和裁を生かして育てたことは並大抵の苦労ではなかったことであろう。

忠良は3年に亘ってシベリヤへ抑留されたが、その中で何事でも手に仕事を持つことが極限の世界で生き抜く力となる。大工さんでも、左官屋さんでも職につかせられると同じ配給のものを食べながらしゃんとしてしまうのであると述懐している。忠良の作品は「群馬の人」で初めて日本人の手で日本人の顔を作ったと評価され、その後「木曽」「常磐の大工」「魚商の女」と続くのである。いわゆる「汚な作り好み」の作品の数々であり美男・美女でない。日本の人の顔を自信を持って創りだしたのである。それにしても彼のデッサンの凄さは実に驚くべきもので美しい。

またロダンが言葉の中で「習いごとは徒弟でないと駄目だ。生徒は駄目」といった意味のことを語っているが、いま私ども(忠良)はこの言葉の持つ意味をしっかりと考えてみなければならないときにきているのではないだろうかと警鐘を鳴らしている。

永年たゆまず努力を続けた結果、忠良は具象彫刻作品の類例をみない美しさに到達したのである。