日経 「春秋」より

11月21日付 日経 「春秋」より
「最高裁はどういうつもりだ」「何が何でも違憲判断していいのか」「司法の暴走を止める」婚外子の相続を正す民法改正について自民党ではこんな声が噴出した。最高裁が一致して下した判決への対決姿勢である。言うまでもなく最高裁は違憲審査権を持っている。三権分立のイロハのイだ。これをないがしろにする国会議員には驚くばかりだ」「一票の格差」の司法判断など、従うつもりは全くないようである」要旨。

 

原発をめぐる首相の「完全にブロックされている」や外国に原発を売り込む死の商人振り、憲法を無理押しで改悪しようとする動きなど秘密保護法と合わせて日本の民主主義、人権、表現、言論の自由など根こそぎ奪いさろうとしているようだ。
第一次世界大戦以降「僧院」のグループから出発したジョルジュ・デュアメルは近代産業の歯車仕掛けのなかに喰いこまれる勤労はその魅力ある美徳とその貧家ウの大部分を失ってしまった。現在行われている一切の方法は魂と心情の領境を減少せしめるのに役立って居り、その殆ど機械的職務の中の囚人となっている工人は自分の禁猟から嘗て得られたような個人的満足をもやは期得できない1927年「心情の治世」より
人間は自ら作った政治や経済の機械にすらなり得るのである。
第二次大戦後、サルトルは「今日という日にまたまた永劫に私は、私自身が証人にならねばならないのだ。私がそう欲する以上、このやつれ果てた地上で、私は私の倫理的証人にならねばならぬのだ。そして全人類も、もしそれが生存し続けて行くものとすれば、それは単に生まれてきたからという理由からそうするのではなしにその生命を存続せしめる決意を樹てるが故に存続し得られるということになろう(レ・タン・モデルヌ 読書載「大戦の終末」より)
戦後、経済優先の選択の結果、日本人は必ずしも幸福とは言いがたい。経済成長の為に環境破壊し、人間の尊厳も踏みにじり、今日の安倍政権を迎えているのだ。サルトルの言っていた通り、人間が生きていく為に軍事大国になる事や、原発の危険にさらされ続けていくことに、生存していく決意を本気で極めるかの事態が迫っているのかもしれない。