平家物語 巻8書き終る

概要
寿永2年(1183年)平家の同行を拒んで身を隠していた後白河法皇は、平家が都落ちの後、京都の主権を掌握する。平家追放に功績があった木曽義仲、源行家の労をねぎらい、早速平家追討を両名に指示、都から遠ざける。又両者の力を殺ぐ為に源頼朝を利用しようと画策する。
備中にあって水島を攻めていた義仲は北陸へも頼朝の支配が及ぶのではないかと気をもむ。数年に亘って続く飢饉に京は疲弊し、そこへ入洛した義仲軍が食料調達等で狼藉を働くことで人心は離れ、法皇も法住寺を固め義仲を敵視。義仲は法住寺焼き討ちの暴挙に出る。法住寺は後白河法皇が院政を行う為に設けた院御所であり義仲がこれを焼き払ったことによって頼朝が義仲を攻める口実を与えることとなる。