和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

平家物語 巻8書き終る

概要
寿永2年(1183年)平家の同行を拒んで身を隠していた後白河法皇は、平家が都落ちの後、京都の主権を掌握する。平家追放に功績があった木曽義仲、源行家の労をねぎらい、早速平家追討を両名に指示、都から遠ざける。又両者の力を殺ぐ為に源頼朝を利用しようと画策する。
備中にあって水島を攻めていた義仲は北陸へも頼朝の支配が及ぶのではないかと気をもむ。数年に亘って続く飢饉に京は疲弊し、そこへ入洛した義仲軍が食料調達等で狼藉を働くことで人心は離れ、法皇も法住寺を固め義仲を敵視。義仲は法住寺焼き討ちの暴挙に出る。法住寺は後白河法皇が院政を行う為に設けた院御所であり義仲がこれを焼き払ったことによって頼朝が義仲を攻める口実を与えることとなる。