和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

浄心寺石佛描く

文京区浄心寺石佛

江戸城開府時に城築城の為、全国から石匠が集められた。日本橋には石町という町名が戦後直ぐまで残っていた。明暦3年(1657年)の振り袖火事で江戸城は焼け、修築の為に各地から安山岩等を舟で江戸城に運んだのである。工事を終え石工達は仕事がなくなったが、寺より平安時代から続いていた墓に佛を刻む依頼が始まり、一般の町人にこれが伝播し空前の石佛ブームが起こったのである。

 

17世紀の半ば頃に江戸府内で三百五十万基の石佛が造られたのである。今東京には約三千の寺院があり、現在三十万の石佛が遺存されている。その多くが無縁塚として境内の隅に集められたり、セメントで固められたり又は転がされていたりしている。日本全国には一千万余りの石佛が存在していたと思われるが今その一~二割しか残っていないであろう。田中角栄の日本列島改造でその貴重な文化財は蔽履のごとく破壊されたり埋められたりしてしまったのである。

 

作品は文京区向丘にある浄心寺に存する舟形光背に真誉西念法師(明和九任/辰天六月十一日)とある。無縁塚としてセメントで固められた無残な姿で二十体余りのなかの一体であるが、その端正な美しさは今までみてきた数千体の石佛の中での白眉の一体である。私の過去十九回の展覧会の中でDMに4度登場してもらったいつまでも心に残る石佛である。