「フィクションと現実」赤川次郎筆 岩波2月の「図書」より 

これから起こる大地震で再び原発が爆発するという事態が起こったとき自民党政権がどのように対応するのかという問題でもある。そして最大の謎。これこそ作家が想像力を廻らせても理解しがたいのが安倍氏、経団連、電力会社、その誰もが「3.11」のあの大地震の凄まじさ、大津波の破壊力、そして爆発した建屋の中すら今もわからないという原発事故恐怖を経験していながら、これから起こる大地震ー間違いなく起こるのだーで再び再び原発が大事故を起こすことを「考えようとしない」事である。「一般の庶民が日々の暮らしに追われて地震のことまで頭が回らない」 と言うなら分かる。しかし政治家、日本経済の代表、大企業の幹部といった人々が「3・11」がまるでなかったかのように平然と「過去へ戻」ことを選択しようとしている。私達は「3・11」の後もはや「その前」には戻れないこと、人間の「想定」など何の意味もなく、目に見えない放射能が未来を担う子供達にどんなに恐ろしい結果をもたらすか思い知ったのではなかったか。

ベルギーに住むヴァイオリンニスト、堀米ゆず子さんは「3・11」後のメールで「初めのうちこそ日本を被害者として同情してくれていたヨーロッパの人々が次第に日本を加害者と見るようになっている」といって来た。日本のマスコミはあえて震災とその復興ばかりを取り上げているが世界の関心はむしろ原発事故にあるのだ。「怖いからといって目隠をして崖っぷちの道を歩くようなものだ」とはオスカー・ワイルドの作品にあった表現だったと思うが、今、正に日本は目をふさぎ、耳をふさぎ口を閉じて危険に向かって歩き出しているのである。