和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

渡辺一夫 著作集8 曲説フランス文学より 

「サロンと文学」
ギリシャ時代から文学者、思想家が集まった。アスパシャ・ライスという西洋ゲイシャが居たりその中心となっていた記録が残っている。アスパシャはギリシャのアテナイの最大の政治家ペリクレス(B.C.495から429)の愛人でありその相談相手であった。

フランスで「サロン」めいたものが生まれるのは12~13世紀中世の封建時代である。
16世紀ルネッサンス文学は絢爛としており、閨秀作家もその数を急速に増し、王家や貴族の貴婦人たちのなかからその暇を過ごすために様々な物語を筆写本で愛読したり吟遊詩人達に朗読・朗詠させて楽しんだ。
こうした女性達を中心として「サロン」は徐々に作られていった。著名なものではアンリ四世の妃となったマルグリットはアンリ四世と離婚後パリで老後を送ったが、その邸には文人墨客が集まっていたと伝えられ「サロン」ができていた。

17世紀にはパリはもとより地方都市にも沢山の「サロン」が生まれカトリーヌ・ド・ランプウィエ侯爵夫人のパリにおける「サロン」は「ランプウィエの邸」と呼ばれ1620~1645にかけてパリの上流の紳士、淑女、有名人、文学者の集会所の観を呈し多くの文学者を輩出し、又ニノン・ド・ランクロの「サロン」からはラ・フォンテーヌやラシーヌ、モリエールが出ており、一群の哲学者、詩人が集まり所謂アウトサイダー的人物が発生し、18世紀の啓蒙思想の母胎を少しつづ作っていった。フランスの文芸の発達に「サロン」の果たした役割は大きい。

プルーストの「失われた時を求めて」のなかに貴族のゲルマント公爵夫人の「サロン」とブルジヨアのヴェルデラン夫人の「サロン」が記述されてサロンの生き生きとした実態がよく窺える。