和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

「旅芸人の記録」 テオ・アンゲロプロス監督

旅芸人の記録
旅芸人の記録

「旅芸人の記録」 1975年 ギリシャ  
1939年晩秋ギリシャ南部ペロポネ半島北端の海辺の町エギオンに降り立つ一座。
座長で父アガムンノン、母クリュタイネストラ、長女エレクトラ、弟のオレステス
座長の弟のアイギストスがいる。1952年町は大統領選挙を数日後に控えて選挙カー
がビラを撒いて通り過ぎる。「きたる11月11日の投票日には救国の英雄パパゴス元帥に投票せよ!」
1939年~52年の間ギリシャの長い時間の中を「羊飼いの少女ゴルフォ」というたった一つの出し物を上演しながら旅を続ける一座が同じエギオンの駅に降り立つ姿でしめ括っている。
エイウリピデスの古典悲劇「エレクトラ」の登場人物と同じ名前を背負った彼等は名前の通りあの悲劇をこの現代の時間の中で再現する。
 
1939年 晩秋 一座のそばを通る男が告げる「明日の午後ドイツ第三帝国のゲッペ   ルス大統領閣下がオリンポス見物の途中エギオンを通過される」
 
1940年 ギリシャ・トルコの戦争の大戦のあと、一座の公演中にムッソリーニ軍の空襲が始る。
1941年 ギリシャ全土はドイツ軍に占領される。
1942年 初冬 ドイツ軍が旅芸人の宿舎を襲う。アイギストスの密告によりアガムンノンは銃殺される。アイギストス座長となる。
1944年 12月 解放を祝して広場に集まるギリシャ人達。イギリス、アメリカ、ソ連の旗を掲げて喜ぶ人達。解放軍は実は新しい支配者だった事を思い知らされる。
1945年 舞台上で母、叔父を殺すオレステス。父殺害への復讐であるとともに祖国を売った売国奴への復讐も含まれている。    
1949年 春 ゲリラの首を晒して村を行く英軍のジープ。
1951年 オレステス ゲリラ活動で処刑される。エレクトラ弟の死骸と対面。
1952年 晩秋 エレクトラ「羊飼いのゴルフォ」の舞台に上がる。
 
1939年 晩秋 エギオン駅に降り立った11人の旅芸人皆疲れていた。
 
4時間に及ぶこの作品は軍事政権下での撮影で、ギリシャ軍の戦意高揚の為の映画の
名目であったりしてカモフラージュ。いつスタッフが捕まえられるかも知れないという状態で制作された。
マルセル・カルネ、ジャック・プレヴェールの「天井桟敷の人々」とまさに共通した状態であった。この映画の殆どがワンシーン、ワンカットでしかも町中でのロケーションで撮影している。
 
解放の喜びに浸る民衆の姿、銃声が鳴り響き人々は算を乱して逃げ惑う。人々の姿がなくなってもカメラはそのまま何もない広場を映し、360度回って元の広場に戻る。死体が幾つか転がっている。その前をバグパイプを吹く少年が現われ、死体の一つが起き上がって姿を消す。広場の大通りから新しいデモ隊が行進してくる。今度はすべて赤旗。この出来事の流れをワンカットで推し進めているがその事により歴史の時間をまざまざと表現している。テクニックを弄しない悠々としてせまらぬ映画づくりは嘗て見たことのない斬新さで我々を打つ。力強く、中味の詰まった沈鬱な、この時代のギリシャの歴史を我々の目の前に投げ出している。(撮影は曇りの日を選んで行ったという)監督アンゲロプロスはこの作品で突然出現したギリシャの一大巨人として世界に姿を現した。
その後1975年ギリシャ内戦の総括劇「狩人」、パルチザンの元闘志の帰郷物語「シテール島への舟出」、88年二人の子供が父親を探し求める「霧の中の風景」、2004年「エレニの旅」といづれも問題作をつくり続けたが近年逝去したのが惜しまれる。フェリーニ既に亡く、今また彼を失い将来これ程の監督は出ないのではないかと思われる。