和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

「天井桟敷の人々」のアルレッテイとジャン・ルイ・バロウ

天井桟敷の人々
天井桟敷の人々

「天井桟敷の人々」 仏 1945年3月 マルセル・カルネ監督
撮影 ロジュ・ユベール及びマルク・フォーサル
美術衣装 アレクサンドル・トローネル

音楽 ジョセフ・コスマ
脚本 ジャック・プレヴェール   
バチスト役  ジャン・ルイ・バロー  
ギャランス役 アルレッテイ
フレデリック・ルメートル役 ピエール・ブラッスール
ラスネール役 マルセル・エラン
モントレー伯爵役 ルイ・サルー
ナタリー役 マリヤ・カザレス
古着屋(当初はロベール・ル・ヴィガン)からピエール・ルノワールへ
 
この物語は1943年1月のある日南仏ニースのカフェでジャン・ルイ・バローとマルセル・カルネ、ジャック・プレヴェールが顔を合わせて話し合ったときに始る。バローが史上名高い天才的パントマイム役者ジャン・バチスト・ガスパール・ドウビュロのー話をした。「ドヴィローは19世紀の犯罪大通りにあったフェナンビュル座の人気スターであった。ある日女連れで犯罪大通りを歩いているときに、女性にしつこく絡んできた酔漢の頭をステッキで打って殺害。ドヴィローは裁判所に引き出されたが無言劇の名優が始めて声を出してしゃべるというので、それを聞きにパリ中のファンが押しかけたという」これを聞いたカルネは即時に映画にすることを決意。詩人で脚本家のプレヴェールは当時生きた3人の実在人物ドウビュロー、ロマン派演劇の名優フレデリック・ルメートル。犯罪紳士で詩人のピエール・フランソワ・ラスネールを中心としたシナリオを6ヶ月かけて作成した。犯罪大通りは50軒あまりの芝居小屋が軒を並べ400mに及ぶオープンセットが作られた。しかも第二次大戦の後半ドイツ占領下で作られたことを考えれば驚きである。
1943年8月にクランクインしたが、プロデューサージューサのアンドレ・ボルヴェの家系にユダヤ人の血が流れていることから活動は全面的に禁止された。一時制作は宙に浮いたがパテ社が制作を引きついた後棚晒しとなっていたセットを大幅に補修1944年6月自由フランス軍が連合国軍とノルマンディー上陸に成功する前日にクランク・アップした。しかし古着屋役のル・ヴィガンがヴィシー政権協力者で対独協力者として欠席判決をうけ全部のシーンを取り終えぬままドイツに逃れたためその代役としてオーギスト・ルノワールの長男でジャン・ルノワールの兄に当る俳優ピエール・ルノワールが起用され、撮り直すこととなった。ル・ビガンはドイツにあって対フランス向け放送でドイツに協力した。1944年9月パリで公開され大ヒットした。この映画の製作には地下に潜った芸術家達が、音楽のジョセフ・コスマ、装置のアレキサンドル・トローネル等がいた。戦後これらの人達の名がタイトルにならんでフランスの人々は大いなる喝采を送った。この長大作を苦難に満ちたナチの支配下で3年かけて作りえた事が第一の抵抗でありドイツ人の検閲が厳しい中で見事にその裏をかいて民衆の盛り上がる力をこの作品に漲らせたのである。1935年「ジェニーの家」以来46年「夜の門」までのカルネ、プレヴェールのコンビは傑作を次々に作り出し「天井桟敷の人々」でそのピークに達したのである。尚アルレッテイ演ずるギャランスの名の謂れは深紅色のことでありズワーヴ兵(19世紀にアルジェリアを中心に編成されたフランス歩兵隊兵士)のズボンの色として知られる。