今谷 明 著「室町の王権」読む

天皇家がなぜ続いてきたのか歴史家は学問的に説明できないのだと言う。今谷 明は中世史学者として一つの解答を本著で試みたものである。
 
足利義満は後小松天皇の生母死去に伴い准母擁立、自身の妻を天皇の母としたことで天皇の父となったのである。次いで庶子義嗣を皇太子とし王権簒奪を図った。
 
鎌倉幕府も物理的には王統を廃絶することも不可能ではなかった。しかし摂関、大社寺以下荘園領主、権門は依然健在。それらの勢力を天皇なしで統治することは極めて難しかった。
 
しかし義満には武家は公家より力があるのだから名目的にも公家の上にいなければ
ならないという強烈な意識があった。源頼朝、北条義時、足利尊氏等は表向き天皇、公家を立ていたが義満がはじめて形式的にも逆転させようとしたのである。
 
義満は後円融天皇とは母親同士が姉妹で、従兄弟同士にあたり幼少時より天皇や公卿に対し劣等意識、コンプレックスが全くなかったことが大きい。
また宮廷内に同調者が多く後小松天皇は孤立無援の状態にあり、事をすすめるのに
絶好の状態であった。
しかしこの企ては義満の突然の死によって頓挫し、後を継いだ嫡男義持は義満の意思をつぐことをせず又後小松天皇は義持の死後態度を硬化し旧勢力も力を盛り返したことから実現不可能となった。
 
義満の狙いは天皇と将軍の権力を統一し、天皇を排し王制を敷くことにあったのではないかと今谷氏は述べている。義満があと数年生きていたなら歴史は大きく変わったことだろう。歴史は人によっても作られるものとの感が深い。