双頭の鷲

王は2人の婚礼の宵に暗殺された。女王は居城にひき籠り、自らをベールに包んで人民の前に姿を見せないことで、想像力を魅力で幻惑し、統治している。国王の母親は女王が そのまま王になる事態を恐れて警察権力を動かして暗殺を図る。一人の若い無政府主義者がその反対の姿勢と亡き王に酷似しているのを見込まれて暗殺者に選ば れる。警察は見せかけの人狩りを行い、暗殺者スタニスラフを宮殿に追い込む。女王は彼を匿い、やがて愛が芽生える。孤立した女王を彼は助けようと考える が、不可能と悟って毒薬と剣で共に死ぬのだ。

監督はジャン・コクトー58才の作である。

コクトーは1910年生まれ前衛芸術家との親交を通じて文学、絵画、舞踏、映画など多用な分野で活動に参加。30年の「詩人の血」は前衛映画の古典の一つとなっている。

女王役のエドウィジュ・フィエールは、コンセルヴァトワールを経てコメディ・フランセーズの女優となり主に舞台で活躍「双頭の鷲」は40才の出演であり、彼 女のモノローグだけで500mもフィルムを回している。彼女の天才的な動きと足の動き、言葉の威厳は圧倒的で、彼女なしではこの映画は成り立たない。マ レーの演技も素晴らしく、死の階段を上昇るにつれてゆがんでゆく顔は特筆ものであった。

他の芸術に比して一級下に評価されていた映画が、1930年代から「双頭の鷲」まできて急速に評価を高めてきた記念碑的な作品とも言えよう。

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作品の全リストは最下部に 及び 最新アップの映画

 

陽のあたる場所  1951年 米 監督 ジョージ・スティ-ヴンス

素直な悪女 1956年 仏 監督 ロジェ・ヴアディム 

お茶と同情 1954年 米 監督 ビンセント・ミネリ   

ハムレット 1948年 英 監督・主演 サー・ローレンス・オリビエ (再)

リラの門 1957年 仏 監督 ルネ・クレール   アップ済み

現金に手を出すな 1954年 仏 監督 ジャック・ペッケル 

無防備都市 1945年 伊 監督 ロベルト・ロッセリーニ 

賭けはなされた 1947年 仏 監督 ジョン・ドラノア  

巴里祭 1932年 仏 監督 ルネ・クレール   

橋 1959年 独 監督 ベルンハルト・ヴイッキ   

陽のあたる場所

陽のあたる場所 エリザベス・テーラー

1951年 (米) 監督 ジョージ・スティ-ヴンス

                    ジョージ役 モンゴメリー・クリフト(18歳頃描いた鉛筆画))
                 アンジェラ役 エリザベス・テイラー

 

1931年トーキー初期にジョセフ・フォン、スタンバーグ監督で映画化されている。当時のスタンバーグは脂の乗り切っていた時期で、ディートリッヒを主役とした恋愛物に耽溺していた為に、この作品は必ずしも成功したとは云えないようだがアメリカの一断面を鋭く突いた作品としてアメリカのとっては痛し痒しであったろう。

今度の作品はアメリカそのものの悪や欠陥を突く事よりも一つの社会悲劇、一人の青年の性格悲劇としての面に重点を置いている。

当初予定されていた「アメリカの悲劇」の題名も反共の嵐が吹き荒れていた為に映画会社によって[陽のあたる場所」に変更されている。

 

ジョージ・イーストマンは母一人子一人の貧しい青年である。彼の心は野心で一杯である。富と名声を自分のものにする事である。伯父のチャールズに会い、伯父の水着縫製工場で働くことになる。伯父一家とは平等に交わることが許されずに目的は実現されそうにない。職場に身寄りのない娘アリスがいて彼に好意を抱き互いに愛し合うようになる。伯父はジョージの仕事振りを認めて昇進もさせ、邸のパーティにも招いて社交界の人々にも紹介する。社交界の花と謳われていたアンジェラとも出合うのだ。

彼はアンジェラとの仲を急速に縮め、親しくなり彼女の両親にも野心に燃えている青年らしい気持ちを認められ許婚同様となる。

 

彼はアリスからアンジェラとの仲を問い詰められ窮地に追い込まれ、結婚を承諾せざる得なかった。ジョージは出世の邪魔になるアリスを殺害しようとボートを借りて湖心に出て行くが次第にアリスを溺死させる気持ちを失っていく。沈みがちな彼を彼を慰めようとアリスは立ち上がった。ボートは激しく揺れ転覆、ジョージはやっとの思いで水面に頭を出すがアリスの姿は既になかった。
アリスの死体があがりジョージに嫌疑がかかり捕縛され裁判となる。様々な証人が呼ばれるがことごとくジョージに不利であり彼も殺害の意志はあった事を認めたことから死刑を宣告される。死刑執行の日が来た。アンジェラは獄舎にジョージを訪ねて永久の愛を誓うが電気椅子に座るために最後の廊下を歩いて行く。

 

ラストシーンは電気椅子で処刑場面が予定されていたがモンゴメリー・クリフトと監督の意見が対立し、彼がこれを拒否した為この場面を撮ることはなかった。

当時のモンゴメリー・クリフトは若者の持っている説明のつかない不安感や焦燥感を実に巧みに演じており、マーロン・ブランドと並んで若手スターの双璧であったが、1966年心臓発作で46歳の若さで死去している。

 

モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テーラー
モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テーラー

汚れなき悪戯

汚れなき悪戯 マルセリーノ
マルセリーノ

 1955年 スペイン 監督ラディスラオ・バホダ
 原作 ホセ・サンチェス・シルバ 「マルセリーノ・パンと酒」

 

12人の僧侶が暮らす静かな僧院の前に赤子が捨てられていた。

単調な信仰生活を送っていた彼等にとっては重大な関心事であり、彼等は天からの授かり物として自分達で育てることとする。拾った日が聖マルセリーノの日であったことからマルセリーノと名付け愛情を注いで育てる。子供の将来を考えて養子に引き取ってくれる信用のおける家庭を探すが善良な農夫達の家は子供が多く貧しい。鍛冶屋をしている助役は引き取る意志を示すが子供に対する愛情からではないことが判明し断る。養子話は失敗したが僧侶達は内心喜ぶ。


祭りの日が来てマルセリーノは始めて村に連れて行ってもらうが無邪気なほんの僅かな悪戯が思いがけない祭りの混乱に発展してしまう。僧侶達のよき保護者であった村長の亡き後、引き継いだ助役の鍛冶屋は当初から僧侶達に反感を持っていたばかりでなく赤子のマルセリーノの引取りを拒絶されていたことを根に持って僧侶達はひと月以内に僧院を引き渡して退去するはめに追い込まれる。年老いた僧侶達は収穫が自分達のものにならない畑仕事を黙々と行い、マルセリーノに声を掛けることもなくなっていった。一人取り残されたマルセリーノは孤独な遊びに耽るようになり鎌や熊手が置いてある為に禁じられていた屋根裏部屋に行く。そこに十字架に架けられたキリスト像を発見、次第にキリストに友情を感ずるようになり寒い時は食事や毛布をキリストの為に運ぶマルセリーノの好意に報いる為にキリストは彼の願いを尋ねるとマルセリーノは天国の母に会いたいと答えるのである。

 

朝、微笑を浮べて永遠に眠る少年に僧侶達は皆声をあげて泣くのである。

鐘の音が鳴り響くマルセリーノの葬式には鍛冶屋の村長の顔も人々の渦の中に見えた。この映画を成功させているのは6歳のパブリート・カルボいてこそである。5千人の応募の中から選ばれたとの事であるが映画自身の拙さや感傷的な物語の臭さを補って余りある

容貌的にあどけなさや可愛らしさよりもなにやら神々しささえ感じられる少年である。

時々映画界には不思議な子供が現われるが大人の演技がかすんで生彩を欠いて見えてしま

うのである。

素直な悪女

ブリジッド・バルドー
ブリジッド・バルドー

 仏 1956年 監督 ロジェ・ヴァディム
         ブリジット・バルドー
         クルト・ユルゲンス
         ジャン・ルイ・トランラィニヤン

18歳の孤児ジュリエット(バルドー)は酒場の主人に愛されていたがプレーボーイの男に思いを寄せている。彼が連れない態度を取っているため彼の弟ミシェルと結婚してしまう。

戦後10年余りたちカルネ・クルーゾー既に老いてクレマンひとり気を吐いていたがフランス映画も戦後の混乱期のエネルギーを失ってきており、社会が安定してきた為か映画芸術は衰退してきた。
次に来るべきヌーヴェルバーグの先駆者の一人がヴァデイムであり監督第一作目の「素直な悪女」のジュリエットは社会批判をするでもなく自由で健康、その瞬間、瞬間の快楽だけを求める女性を創造した。
ヴァディム、バルドーのコンビは新しい時代の先駆者となったのである。

バルドーは航空会社の重役を父に持ちパリ16区の良家の子女として育った。16歳の頃モデルとしてモード雑誌に載ったことから週間紙「パリ・マッチ」の記者ヴァディムの目にとまり二人はたちまち恋に落ちる。
ヴァディムはマルク・アレグレ監督助手として映画界に入りアレグレ監督の脇役としてバルドーを出演させた。二人の結婚には親からすれば単なる不良青年に過ぎないヴァディム等は問題にもならなかった。
両親の強硬な反対にバルドーはガス自殺を図った。二人は結婚バルドーは19歳だった。プロデューサーのラウル・レヴィはヴァディムに新しい映画の作成を依頼。今までの型どおりの作風を一新する作品づくりを指示する。

 

バルドーは「素直な悪女」撮影中に共演者トランラィニヤンと駆け落ちしたがヴァディムは彼女を追うことなく、離婚から半年後女優アネット・ストロイベルグと結婚。直ちに彼女を主役にとした「危険な関係」「血とバラ」を制作、ニ作後アネットと離婚。カトリーヌ・ドヌーブと同棲「悪徳の栄え」を作り翌年「輪舞」の制作に入ったヴァディムは主演女優ジェーン・フォンダと結婚「バーバレラ」「獲物の分け前」を制作するや8年後に離婚してる。

「素直な悪女」は当時の性道徳の通念を変え検閲騒ぎさえ起こしたバルドーは衝撃的で以後B・B(赤ん坊の意)と呼ばれる世界的なスターとなるが40歳前の73年に突然引退し動物愛護運動に専念する。96年に自伝を出版している。

お茶と同情

デボラ・カー
デボラ・カー

1956年 監督 ビンセント・ミネリ

ローラ・レイノルズ : デボラ・カー
トム・ロビンソン : ジョン・カー

 

1953年9月30日からエセル・バリモア劇場で初演されたブロードウェイの舞台劇の映画化である。ロバーロ・アンダーソンのオリジナル戯曲、舞台劇は91通720回興行の大記録を樹立している。その間54年度から一時期デボラ・カーに代わってジョン・フォンテーンがローラ役を演じている。舞台の方はエリア・カザンであったが映画はビンセント・ミネリが担当した。

トムは昔の思い出が懐かしく浮かんでくるのだった。ニューイングランドの大学で同窓会が催される。同窓生の交歓する姿が校庭のそこかしこで見受けられるが、ひとりトムは皆と離れてかっての下宿先ビル・レイノルズの家に入っていった。
神経の繊細な芸術家タイプの青年であり同世代に馴染みのない、両親の不和から母とも父とも離れた一人暮らしをしている彼はビルの美しい妻ローラに母親を重ね合わせて親しさを増して行く彼は学友の間にいるよりも彼女の傍にいる方が心地よいものがあったのである。次第に学友の間から「シスターボーイ」と呼ばれ嘲られる様になり、追いつめられていく。頼られるローラも下宿する学生にお茶を入れて出すサービスで下宿生活の無聊を慰めてやっていたが、日頃から多忙で粗野なところのある夫から気持ちが少しづつ離れてトムに向かうのを抑えられない。自殺を企てたトムの忘れていったレインコートを届けにローラが彼の部屋に入ると置手紙を書きかけた紙を発見、車を出して彼が好んで行く森の中に行き、二人は既に「お茶と同情」以上のものを感じあうのである。
二人は固く抱き合う。
思い出から醒めたトムはビルを尋ねる。すっかり往年の元気を失っていたビルはトムに
宛てたローラの手紙を出す。ローラはあの森の日以来ビルの許を去ったのである。

 

話としては何等目新しいところのない平凡なつくりであるが、アメリカではヒットする
作品なのであろう。日本ではあまり話題に上らなかった。私もファンであったデボラ・
カーを見る為のみに映画館に足を運んだのであった。

リラの門

1957年 仏 ルネ・クレール監督

ジュジュ役  ピエール・ブラッスール
芸術家役  ジョルジュ・ブラッサンス
下町娘役  ダニー・カレル

原作は新人作家ジャン・ファレの「大循環線」の映画化である。クレールは原作者の承諾を得て大幅に脚色を加えて「リラの門」を制作した。
リラの門とは現在は名前だけしか残っておらず、循環線に建てられていたパリを取り巻
く城壁中の関門の名前であり、うらぶれた貧しい人々の集り住んでいた一角である。
リラの門界隈にいい年をしながら全く働こうとしない怠け者で飲んだくれのジュジュが
住んでいる。腰の曲がった老婆の営む小さな古着屋と妹の内職によって生活が支えられているジュジュには唯一の友人がいる。「芸術家」だ。猫を相手にギターに合わせて歌を唄い、なにがしかの金を稼いでジュジュに酒を分けてくれる。そこへこの街にお尋ね者が逃げ込んでくる。事件は新聞記事にだけでなく、子供の「バルビエごっご」でも示される。警官に扮した三人の子供がカフェの前にある家の扉口に走って来て隠れる。

一人の子供(バルビエ)が他の方向から走って来て家の中に入る。バルビエが家から出て来て左右へと逃げる。車の付いた箱を発見してそれに乗り込む。箱車が走り出す。
その箱車は二人の子供がモーター代わりに引っ張る。警官三人は彼を追って突進する。バルビエは箱車から木製の機関銃を出して追跡者を射ち倒す。バルビエはまんまと逃げる事に成功する。こうした街では警官は歓迎されない。ジュジュ達二人はバルビエを地下の穴倉に匿うのだ。バルビエはやがてジュジュ達を召使のように使う。

ジュジュが純情娘として尊敬し、惚れていた酒屋の娘マリアはこれを嗅ぎつけてバルビエに接近、たちまち悪の怪しい匂いを放つバルビエに魅了されて店の金を持ち出して逃走に協力するが、バルビエがマリアから金だけ取り上げ彼女を捨てて逃げることを知ったジュジュはもみ合いとなりバルビエの銃で彼を射殺するのである。

 

ジュジュ役のピエール・ブラッスールはサルトルのお気に入りの役者で、サルトルは「悪魔と神」を彼のために書き上げ主人公ゲッツを演じさせている。更にサルトルがシナリオを書いた映画「汚れた手」でエドレル役を振られており、同様に「キーン・もしくは狂気と天才」でも彼を起用している。ルイ・ジュヴェ亡きあとフランス随一の名優と謳われる。ブラッスールは舞台、映画とサルトルの期待に違わぬ大役を悉くやりこなし、舞台では常に連日大入満員が続いたという。「リラの門」では愛すべきろくでなし「ジュジュ」をこれがあのブラッスールかと思うほどの変貌振りで巧みに演じている。

また芸術家のジョルジュ・ブラッサンスは有名な歌手であり、映画出演は懲りてこれ一本である。日本のレコード会社からは彼の唄は出されて居ないが輸入盤には8枚ほどCDが出されているのを近年知った。
映画の中で歌われているのは二つ「我が心の森には」と「酒の歌」である。

「我が心の森には」作詞・作曲 ジョルジュ・ブラッサンス

     クラマールの森には かわいい花がある かわいい花がある
     仲間がいる 僕の心の森には 僕の心の森には

     僕の住む中庭の奥では僕は有名 
     僕の住む中庭の奥では僕は有名
                         
    僕は有名  悪名高い心の持ち主として 悪名高い心

 

    ヴァンセンヌの森にはかわいい花がある  かわいい花があ

    仲間がいる 僕の心の森には 僕の心の森には

    

    僕の酒樽に酒がなくなってしまえば  僕の酒樽に酒がなくなってしまえば

    僕の酒樽に 連中は僕の水を飲むのも辞さない
                 僕の水を飲むのも



現金に手を出すな

1954年 仏 監督 ジャック・ペッケル
          ジャン・ギャバン
          リノ・ヴァンチュラ
                  ジャンヌ・モロー

1950年代半ばフイルム・ノワル(暗黒映画)が流行しその口火を切ったのがこの映画である。以後、アメリカは赤狩りによって追われてきたジュ-ルス・ダッシンの「男の争い」1954年、アンリ・ドコワンの「筋金(やき)を入れろ」1955年と犯罪物、スリラー、探偵物等盛んに作られたがヌーヴェル・バーグ台頭と共に姿を消していった。
原題は「現金のブルース」でパリ下町を舞台としたギャング映画で老ギャング(ジャン・ギャバン)と若いやくざが手を組んで5000万フランを盗みだだす。若いやくざには女がいて、女には別に男が居りその為に女の裏切りで老ギャングは若い相棒の命と引きかえに奪った金をあきらめる男の友情である。

パリの下町の風景やナイトクラブの描写等丁寧に又愛情を込めて描写しており、まことに好ましい。又老ギャングが彼のアパートの一室でひとりワインを飲みながらビスッケットをかじる。老いと孤独をしみじみと感じさせる場面等細部まで目を届かせた作品となっている。

監督ペッケルはジャン・ルノワールのアシスタントとして32年「十字路の夜」を始めとし
て「どん底」「大いなる幻影」等9本の作品を手助けしており、42年「最後の切り札」で監督デビューし45年「偽れる装い」で評価を高め47年の「幸福への設計」でブレークした。この「現金に手を出すな」と58年モジリアーニを描いて日本でも人気となった「モンパルナスの灯」が最盛期の作品であり60年の「穴」が遺作となった。

尚「モンパルナスの灯」でモジリアーニを演じたジェラール・フィリップはモジリアーニと同じ年36歳の若さで病没している。

 

無防備都市

1945年 伊 監督 ロベルト・ロッセリーニ

1944年6月4日ドイツ軍は撤退し、ローマは米軍によって解放された。
しかし戦争は北イタリアではまだ続いていた。解放後27日ほどたった頃、ロッセリーニは不動産を売り800万リラを借金、1m60リラで生フイルムを買う。
ドイツ占領下に銃殺された神父ドン・モロシーニの短編を撮ろうと考えていた。
撮影機材はドイツに持っていかれ、撮影所内は何もなく五千人程の避難者の住み家となっていたのである。
ロッセリーニの構想は長編となり、フェデリコ・フェリーニとセルジオ・アミラとがシナリオを担当した。

主人公のドン・ピエトロはドン・モロシーニである。ドイツ軍占領下のローマ、苦難と欠乏・占領軍の蛮行と愛国者達との執拗な闘い。このレジスタンス組織の指導者の一人がコミュニストのマンフレディであり、神父のドン・ピエトロは協力者である。
マンフレディは彼の愛を疑った愛人の密告でSSに逮捕される。彼女はSSの隊長ベルグマンの情婦に同性愛を知らされ裏切ったのである。
一方ドン・ピエトロもSSの捜索を受けドイツ軍脱走兵と捕らえられる。

下町に貧しく暮らす後家のピーナは印刷工の男と結婚することになっていて、男はレジスタンスのビラを印刷しているがピーナは目前で婚約者をドイツ軍に連れ去られて彼を追いかけて射殺される。子供のフランチェスコが取りすがって号泣する。
マンフレデイは激しい拷問によって虐殺され、ローマの丘の上にで椅子に縛られたドン・ピエトロも銃殺され鉄柵の外でその情景を見つめる子供達、彼等の背後にサン・ピエトロ大寺院がそびえている。
作品の上映にはこれを拒否する劇場主もいたが、上映された劇場はいづれも超満員であった。ニューヨークはワールド劇場で公開され何ヶ月にもわたる大ヒットとなり、批評家は絶賛し、ハリウッドの制作者たちは驚嘆したのである。
巴里での公開は熱狂的でフランスの批評はこぞって「無防備都市」を宣伝した。
主人公のマンフレディを裏切る愛人役のマリア・ミーキは戦時中は社会党党首を自宅に匿う等してレジスタンス運動家の隠れ家となっており、地下印刷所で印刷された共産党機関紙「ウニタ」等の新聞は印刷所から配達するまでの中継地点となっていたという。

イタリアの現実は既に変化し始めていたが、ロッセリーニは戦争について語り足りない気持ちが強く48年8月から10月にかけてベルリンに赴き、戦争と破壊の跡を残す現場の撮影を通じてドイツ人の心に深い傷跡をえぐり「ドイツ零年」を作成するのである。
 

賭けはなされた

賭けはなされた
賭けはなされた

1947年 仏   監督 ジャン・ドラノワ
               撮影:クリスチャン・マトラ
               音楽 ジョルジュ・オーリック

ジャンポール・サルトルが1947年執筆し、ナジェル書店から出版したシナリオ形式の作品である。
軍事政権下で労働者を中心とした反乱組織が密かに政権転覆を図って行動を起こそうとしていた。指導者でアンヌェル鉄鋼場の職工長ピエール・デュメールは一斉蜂起の前日裏切者の銃弾に撃たれる。一方陸軍大佐アンドレの妻エヴ・シャリエは病床の中夫に毒を飲まされて死ぬ。アンドレはエヴの持参金目当てに結婚し、今度は妹リュヤットの金が必要となって妻を殺害する。

エヴとピエールは死後の世界で知り合う。ピエールは宮殿に入り摂政を間近にみる。

そこで驚愕の事実を知る。一斉蜂起の計画は摂政に筒抜けで全容は把握されておりピエールを泳がせて、暴動をおこさせ、首謀者達と一網打尽にする手筈を調えてこれに成功すれば後10年は安泰と嘯いていた。
黄泉の国では帳簿上では「異議申請」が出されていた。ピエールとエヴである。「第140条 相互に運命づけられた一組の男女が管理局の誤謬により生前に会合出来なかった時、地上復帰権を申請することが出来る。但し地上に於いて愛を実現することと、不当に剥奪されていた共同生活を遂行することを条件とする」とあり、二人は現世に戻ることになる。
ピエールはエヴの住む大邸宅から彼女を連れ出す。尾行していたピエールの仲間は不審を抱く。ピエールの決起中止の説得も罠である情報を誰から仕入れたかを、大臣の妻との接触の理由を問い詰められても答えることが出来ない。追いつめられたピエールは仲間の疑問を深めるばかりで孤立し、裏切り者として排除される。

二人は現実の世界では敵・味方の関係にあったことから住む世界があまりにも異なり男は自分の思想、目的等から離れることが出来ずに、一途に愛に生きる決意を固めた女に応えられないで、第140条に違反し、再び黄泉の国に戻るのである。

 

死後の世界といえばジャン・コクトーの「オルフェ」が有名であるが、社会的な状況下に於ける死後の世界をサルトルらしく、人生は一度しか生きられないことを主題にしている。生き還って見ても新しい人生はないことを人間社会の中に於ける人間の弱さに於いて描き出している。

 

映画は原作に従って過不足なくまとめているが、中でもミシュリーヌ・プレールが素晴らしい。彼女は「肉体の悪魔」が有名であるが「賭けはなされた」のエヴの陸軍大臣の妻よりも決然と愛に生きようとする演技を買いたい。 

 

 

巴里祭

1932年 仏 監督 ルネ・クレール

       ジャン : ジョルジュ・リゴー
       アンナ : アナ・ベラ

「巴里祭」は日本の配給会社が勝手につけた題名で、原題は「7月14日祭」である。

つまりフランス革命の記念日の事だ。
1929年10月に始まるアメリカの経済恐慌は農業国であるフランスにも甚大な影響を及ぼし、フランス人同士の間にも険悪な空気が漂うようになる。ドイツはヒットラーが現われ、スペインには内乱が始まる。フランスには統一戦線の機運が起こり社・共両党を中心とした民主政権が誕生することになる。
1930年代のフランス映画は時代の不安と絶望に喘ぎながらも大作・名作を次々に生み出すのである。
名匠の一人ルネ・クレールは1930年初めてのトーキーに取り組んだ第一回作品「巴里の屋根の下」を制作。フランスの下町気質を巧みに美しく描き出し、主題歌「巴里の屋根の下」は世界中に拡まった。31年「ル・ミリオン」を自らシナリオを書きミュージカル形式に仕立て上げた。そしてこの「巴里祭」である。

 

向かい合わせに住む花売り娘アンナとタクシー運転手ジャンのロマンスである。ジャンの下宿に昔の女ポーラが現れたことから二人は喧嘩別れ、アンナは下町で花を売っている。雨が降ってきた。向こうで車がぶつかって喧嘩が始まる。タクシーの運転手はジャンである。二人は分かり合って雨の中で抱き合う。再び雨が降ってきて人々が散って、花で飾られた屋台だけが取り残され、シャンソンが町に流れる。

 

ルネ・クレールが脂が乗り切った時代の一連の作品である。

この作品は池袋人生座で7月中旬ごろ二本立てで見た記憶がある。映画が始まる前に舞台にマイクが持ち出されて藤沢蘭子と新人だった戸川昌子がシャンソンを唄った。

戸川昌子は自己紹介をして実は推理小説を書いていて江戸川乱歩賞を取ったことを語っていた。 音楽はモーリス・ジョベールである。

 

 

橋

1959年 独 監督 ベルハルト・ヴィッキ

第二次大戦末期、中部ドイツの田舎町に空襲警報が鳴り、この田舎にも戦争の足音が現実となる瞬間である。
この高等学校の最上級生16才、17才以上は既に戦場に駆り出されていた。
在校生は七人が男、一人が女である。彼等は母一人子一人であったり、父の不倫に悩んでいたり、父が戦死して軍国少年になっていたり様々である。
まもなく召集令状が彼等に届き、彼等は歓声を上げて喜ぶ。翌朝陸軍の軍服に身を固め、早くも厳しい訓練を受ける姿があった。少年達が一日の訓練に疲れ果てて深い眠りに落ちていたその夜半非常召集が発せられた。米軍の全面攻撃が始まったのである。大隊長の訓辞があり「諸君が守る地点はもっとも重要な地点であり、それを守ることは祖国ドイツを守ることである」と。乗せられたトラックから下車を命じられたのは彼等が子供の頃から遊び場であった橋である。指揮官である伍長の指図に従い、塹壕を掘って陣地をつくる。その伍長は脱走兵と誤認されて射殺され、指揮官を失ったまま米軍の戦車隊を迎えるのである。この橋はいずれ味方の手によって爆破される運命にあった。

意外な抵抗に米軍は戦車を2台失い援軍を求めて引き上げる。少年兵2人が家に帰ろうとするとき味方のジープが橋を爆発にやって来る。生き残った2人は怒りに震える。

5人の友は何の為に死んだのか。爆破に反対する彼等にジープの味方から機銃の乱射が浴びせられる。「この橋を守ることは祖国を守ることだ」少年達は上官から体裁の良いことをいわれて誤魔化される。

日本でもこれ同様な形で思想動員に類したことが行われているのは原発問題を見ても明らかである。

監督のヴィッキは1916年生まれで舞台監督から俳優に転向し53年に「恋に満ちた若い心」で監督デビュー。54年には友人ヘルムート・コイトナーの名作「最後の橋」で小隊長ポロで好演している。極めて地味な作品であるが少年達の心情を個々に踏み込んで描き分けて、出色の出来映えであった。

 

アップ済みの映画のリスト一覧

 

61)マダムと泥棒 1955年 英 監督 アレキサンダー・マッケントリック

60) イワン雷帝 ソ連 監督 セルゲイ・M・エイゼンシュテイン

59)母 1926 ソ連 監督 フセホドロ・プドフスキン

58) 哀愁 1940年 米 監督 マーヴィン・ルロイ

57) ローマの休日 1953年 米 監督 ウイリアム・ワイラー 

 56) 汚れなき悪戯 1955年 スペイン 監督 ラディスラオ・バホダ

「映画の窓」シリーズ終わって  (映画への熱い思いを語る)

55)エレニの旅 2004年 ギリシャ 監督 テオ・アンゲロプロス

54)モダンタイムス 1936年 米 監督・脚本・音楽 チャーリー・チャップリン

53)  恐怖の報酬 1952年 仏 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー

52)  黄金狂時代 1925年 米 監督・脚本・主演 チャーリー・チャップリン

51)独裁者 1940年 米 監督・脚本・主演 チャーリー・チャップリン

50) 田舎司祭の日記 1950年 米 監督 ローベル・ブレッソン 

49)駅馬車 1939年 米 監督 ジョン・フォード  

48)エデンの東 1955年 米 監督 エリア・カザン (上) (下)

47)地の果てを行く 1935年 監督 ジュリアン・ディヴィヴィエ 

46)戦火のかなた 1946年 伊 監督 ロベルト・ロッセリーニ  

45)にんじん 1932年 監督 ジュリアン・ディヴィヴィエ 

44) リチャード三世 1955年 監督 ローレンス・オリビエ

43)怒りの葡萄 1940年 監督 ジョン・フォード

42) 真昼の決闘 1952年 米 監督 フレッド・ジンネマン

41)処女の泉 1960年 スウエーデン 監督 インゲマル・ベルイマン

40)北ホテル  1938年 仏 監督 マルセル・カルネ 

39)甘い生活 1960年 伊 監督 フェデリコ・フェリーニ 

38)  ヘッドライト 1955年 仏 監督 アンリ・ヴェルヌイユ 

37)恋人たち 1958年 仏 監督 ルイ・マル 

36) 自転車泥棒 1948年 伊 監督 ヴィットリオ・デ・シーカー  

35)嘆きのテレーズ 1952年 監督 マルセル・カルネ   

34)居酒屋  1956年 仏 監督 ルネ・クレマン 

33)裁かるるジャンヌ 1927年 監督 カール・ドライエル  

32)荒野の決闘 1946年 米 監督  ジョン・フォード 

31)大いなる幻影 1937年 仏 監督 ジャン・ルノワール 

30)ガス灯 1944年 米 監督 ジョージ・キューカ-   

29)  終着駅 1963年 米/伊 監督 ヴィトリオ・デ・シーカ   

28)邪魔者は殺せ 1946 英 監督 キャロル・リード 

27)禁じられた遊び 1951 仏 監督 ルネ・クレマン 

26)  悪魔が夜来る 1942年 監督 マルセル・カルネ 

25)女だけの都 1935 仏 監督 ジャック・フェデー 

24)夜ごとの美女 1952 仏 監督 ルネ・クレール  
23)8 1/2 1963 伊 監督 フェデリコ・フェリーニ 

22)第7の封印 1956 スヴェーデン 監督 インゲマル・ベルイマン 
21)野いちご 1957 スウェ-デン 脚本・監督 インゲマル・ベルイマン 

20)市民ケーン 1941年 米 脚本・監督 オーソン・ウェルズ  

19)風と共に去りぬ 1939 米 監督 ヴィクター・フレミング 
18)ジョニーは戦場に行った 1971 米 監督 ドルトン・トランボ 

17)戦艦ポチョムキン 1925年 ソヴェト 監督セルゲイ・エイゼンシュテイン 
16) 花咲ける騎士道 1952年 仏 監督 クリスチャン・ジャック 
15)舞踏会の手帳 1937年 仏 監督 ジュリアン・ディヴィヴィエ 

14)アラン・ドロンのゾロ 1975年 仏 監督 ドウッチョ・テッサリ 

13)美女と野獣 1946年 仏 監督 ジャン・コクトー

12)ぼくの伯父さん 仏 1958年 監督 ジャック・タチ

11)望郷 1937年 仏 監督 ジュリアン・ディヴィヴィエ

10)ハムレット 1948年 英 監督 ・主演 ローレンス・オリヴィェ

9)抵抗 1956年 仏 監督 ロベール・ブレッソン 

8)双頭の鷲 1947年 仏 監督・原作 ジャン・コクトー 

7)第三の男 1949年 英 監督 キャロル・リード 

6)オルフェ 1949年 仏 監督 ジャン・コクトー 

5)どん底 1936年 仏 監督 ジャン・ルノワール  

4)フレンチカンカン 1954年 仏 監督 ジャン・ルノワール   

3)尼僧ヨハンナ 1961年 ポーランド 監督イェジー・カワレロウイッチ

2)黒水仙 1946年 英 監督マイケル・パウエル 

1)道 1954年 伊 監督 フェデリコ・フェリーニ    

ブログにアップされている映画と日付

 2012年 のブログにてアップ済

  6月26日 愛人ジュリエット

  7月18日 舞踏会の手帖

     19日 ジュリアス・シーザー

     20日 クオ・ヴァディス

       21日 誰がために鐘はなる

 9月   5日 ジャイアンツ

     6日 波止場

     7日 カサブランカ

     8日 歴史は女で作られる

     8日 友情ある説得

     9日 空中ブランコ

     11日 理由なき反抗

     13日 誇りと冒涜

10月 9日 格子なき牢獄

    9日 旅路の果て

     7日 うたかたの恋

   19日 ウンベルトD

   20日 天井桟敷の人々

   22日 黒いチューリップ

   30日 旅芸人の記録