ローレンス・オリヴィエ クレア・ブルーム
王妃アン(クレア・ブルーム)はランカスター家のヘンリー六世の妃。バラ戦争でリチャードに夫を殺されて間もなく、リチャードで強引に求婚されて妃となる。
ミシュリーヌ・プレール
陸軍大佐アンドレは金目的にエヴと結婚。次に妹リュセットの金を狙ってエヴを殺害。リュセットはアンドレの毒牙にかかる。
ジョセット・デイ ジャン・マレー
美女ベルと彼女を愛する居候アブナン。ベルは2人の姉から下女同然に扱われている。
フォンテーヌ中尉(素人、哲学科の学生)フランソワ・ルテリエ
レジスタンスの闘士、独房から脱獄する
エドウィジュ・フィエール ジャン・マレー
女王と亡き夫とうり二つの暗殺者スタニスラス。
二人は愛し合い、共に毒薬と剣で倒れる。
奈良 法隆寺 像高37.6cm 中国唐時代 7世紀
頭上面を別材製にして矧ぎつけている。
外は耳飾、胸飾り、瓔珞などの装身具、天依、数珠、小瓶、足下の蓮華まで白壇の一木から彫出している。中国から請来された白檀製の小壇像の代表的作品である。
蘭亭記 王羲之の「蘭亭序」を欧陽詢が楷書で書いたもの
春は遅々 刻字
出軌 常軌を逸する
崔駰 車左銘「車不内顧塵不出軌」
鹿図 春秋戦国時代の瓦当紋
誕生佛 金・銀泥を押して制作
宝生如来 大阪 観心寺
観心寺は京都と高野山の中間に位置しており、空海が京の東寺と高野山を往復する際に観心寺を宿泊地とした。この地方は桧の良材に恵まれ、観心寺周辺に造佛工房が存在したと推定される。この像は像高111㎝、桧の一本造り、平安時代の作である。
地蔵菩薩 葛飾区 不動院
中川橋付近の寺の境内に目立っことなく立っている。
ミャンマー遊行佛
遊ぶものは神である 神のみが遊ぶことが出来た。
遊びは絶対の自由とゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。
この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことが出来た。遊びとは隠れた神の
出遊をいう。 白川 静
荷香千里 新月一鉤
蓮の花は千里も続いて香気を放ち、三日月は一個の鉤をかけている
満室如斎
煖香一炷 満室如春(唐僧雲渓)
香を一たきすんば部屋中は春のようである
筆筒 刻字 学遜志 学を志すを遜だる
票々亮々 ハッとするほど美しい
刻字 鳥獣群
天下憮然臼鳥獣不可與同群吾非斯人之従與雨誰與天下有道丘不興鳥也
(論語)
1.不動明立像
京都の神護寺本堂に向かって境内右奥に置かれた石造の明王像である。桜の時期、紅葉の時期と何度か訪れたが、長い坂道を登ってやっと本堂に辿り着き、ほっとして眼下に広がる桜や紅葉の美しい光景に見とれて、この像に気がつかなかった。たまたま本堂の右奥を調べて見つけた堂々とした石佛である。2メートルはあろうか。
2.映画「愛人ジュリエット」の ジュリエットを演じたシュザンヌ・クルーチェ 版画 紙は鳥の子紙
3.観音経 595字
金泥 濃茶紙
4.枕腕 松無古今色
松にはいつも変わらぬたたずまいがある
5.静以安人 唐 元結 作
物静かなるは以って人を安んじる
6.酌酒與裴迪
酌酒與君君自寛 人情翻復以波瀾
自首相知猶按剣 朱門先達笑弾冠
草色全経細雨湿 花枝欲動春風寒
世事浮雲何足問 不如高臥旦如餐
王維 篆刻
7.天下皆春
斗転東而 天下皆春
北斗の柄は東方に転じて天下は皆春になった
8.九面観音立像
法隆寺にある白檀の一木造り、37.6センチ、中国唐時代(7世紀)に作られ、養老3年(719)に唐より請来したという説あり。この様式を模して造られた金銅仏で台座を含めて49センチ、室町時代の作と見られる童子形のかわいらしい仏像であり、我が家の念持佛ともいうべきものである。
9. 観音菩薩立像
鎌倉時代の金銅仏で善光寺式三尊と呼ばれている。中尊が左手に刀印を結び、脇侍が丈の高い宝冠を戴き両掌を胸前で合わせ、一光三尊の光背を負う。中尊は両手首を除いて一鋳、脇侍は両手を別鋳とし、肩に蟻家柄で留める構造である。13世紀から14世紀にかけてつくられた。この像は1987年メトロポリタン美術館にて開催された奈良、平安、鎌倉、室町、桃山、江戸、明治、昭和に及ぶ美術品を展示した中にKannon
Nyorai in Buronzu Dorato Epoca Kamakura(1185-1333)13sec 34.5cm Co11.Mariom.Hammer(収集家マリオン・ハマー)として記載されているがその後日本に逆輸入され、縁あって私の所有となった。
10.観音石佛
葛飾区柴又の良観寺境内にあるお馴染みの形の石佛で、女の子が亡くなったのを悼んで作られたものであろう。
11. 観音石佛(赤山禅院)
京都赤山禅院の境内に多数あり、皆なかなか可愛らしい石佛群である。
12.千住竜田町の矢代さん宅の雛人形(紙は小原紙)
江戸時代の古今雛と思われる
13. 観音石佛(赤山禅院)
14. 如来石佛(宝生寺)
室生寺の本堂及び五重塔の近くに10から15体散在する石佛のうちの1体である。多くによだれ掛けがしてあり地元の人たちが大切に扱っているのが判りみな可愛いい石佛である。
15. 観音石佛(赤山禅院)
16. 如来座佛
17.十一面観音
滋賀県伊香郡高月町渡岸寺、向源寺飛地、境内、渡岸寺観音堂に存する木造(桧)造り194.0センチ平安時代の作である。国宝十一面観音の7体の内の一体で、井上靖の随筆や朝日新聞連載小説「星と祭り」で紹介されて一躍有名となった。地方の十一面観音の多くが女体の形を借りており、それが一層の親しみを生んでいて、緊張感のある表情に深い精神性をこめた像である。顔の側面に二つの大きな脇面を置き、頂上面は佛面ではなく菩薩面を置く珍しい形を示している。
従来から展示方法が様々に変わったが、今は新しく作られた建物の中で、像の周囲をまわって見ることが出来、照明も適切でこれ以上にない環境で見ることができる。
18. 書画禅
19. 間中至楽
静閑中に於けるこの上もない楽しみ
20. 般若心経
21. 観音経
22. 源氏物語 桐壷の一節
23.雲動乾坤三祝寿 春生雨露九霞杯
雲は起り天地を動かして三祝のよろこびとなし春は雨露を
生じてめでたき九霞の杯を挙げる。
胡粉
24.遊心
胡粉
25. 観音菩薩立像
26.浄心寺観音石仏
文京区向丘にある浄心寺に存する。舟形光背に真誉西念法師(明和9壬/辰天6月11日)とある。何度も個展の案内状に取り上げているので、知人の一人が直接浄心寺に見に行ったが、いくら探しても見つからなかったと言われた。無縁仏を集めて塔に塗固めた20-30体の中にあり、しかも40ー50センチの小像で余程目を凝らして探さないと見落としてしまうだろう。これまで私の見てきた石佛の中で最も美しいものの一つで、その端整な姿は何度見ても素晴らしいものである。
27. 雛人形
28.潮岬 橋抗岩
紙は小原紙
29.秋篠寺梵天像
技芸天で有名であるがこの像も彩色が美しく残っている。
30.雲中供養菩薩
天喜元年(1053)に藤原頼道によって宇治平等院が建立され、本尊の阿弥陀如来と共に大佛師定朝とその一門で造立されたと考えられている。堂内の長押上(ナゲシウエ)の壁面に本像を囲むように掛けられていて東面する本尊に対して北側と南側に各26体配されている。いずれも雲に乗り合掌し持物を捧げ持ち、楽器を手に手に音楽を奏で舞うなど様々な姿をしている。
31.雲中供養菩薩
32. 不動明王石佛(宝生寺)
33.露
刻字 陽刻 地は銅紛をボンドで塗り腐蝕させた。
字は銀箔使用
34.如来像
1868年(明治初年)の神仏分離令などの神道国教化政策の下に廃仏毀釈運動がおこり寺院、仏像、仏具、仏典の破壊が起きたことにより、法隆寺も経営困難となりその一助とすべく、明治11年に皇室に対し絵画、工芸品と共に小金銅佛48体も献納し、相応する下賜を受けたものである。昭和22年に国有に帰し、現在は東京国立博物館にて一般展示されている。この如来像は白鳳時代の童子形の内の一体で、体長に比して頭部を大きく作り、ういういしい童子の姿に現されている。
35. 十一面観音(赤山禅院)
36.不如学 胡粉仕上げ
37.桂隠 金泥仕上げ
隠者を云う 明 中瑤泉 作
38. 富貴安楽
39.松影和風
荷香浥露 松影和風
唐 司空図 作
40.漁歌烟浦咸稱富貴樵唱雲樹共楽昇平
漁は烟浦に歌って咸な富貴と称し樵は雲樹に唱えて
共に昇平を楽しむ (虚堂録 7)
41.皇霊誕育云々。 徐夫人菅落碑 石陰
菅洛は西晋の待詔中部将徐某なる高級官僚の夫人
泰康11年5月27日(290年)58歳で物故。永年元年(291年)2月19日葬られた。
42.愛染明王
新松戸の路傍で見つけた30から40センチの小さな石佛
43.鐘馗像石佛
葛飾区金町の葛西神社の境内にある鐘馗像であるが石佛であるのが珍しい。
44. 倭漢朗詠集
5年程前に世尊寺行成のキララ硯りの紙に書かれた倭漢朗詠集の掛軸を手に入れたため行成にならい全編書いたものである。紫紙 銀泥 巻子仕立て 長さ延べ約10m
45. 徒然草
兼好法師は百年以上前に生じた平安朝の文明を幻想の中で追い求めることによって生きた過去主義者だった。
平安朝の文明の特徴の一つである「色好み」という精神的価値は兼好法師の時代になってその退廃の度はピークに達して、その色好みの内容は例えば昔あこがれていた女を思って歩いた道が今荒れていて、そうした所を散策するのが色好みの陶酔境であるというようになり、女と一緒に暮らしている生活を見るのは猥褻であり、育児に専念している女性などみっともないと軽蔑する。
妻というものは男子の持つものではないとなる。こうした考えは「とりかえばや物語」によって洗練された華やかだった王朝文明は最後を迎えるのである。
濃茶紙 金泥 巻子仕立て
46. 筆筒 洛陽訪袁拾遺不遇 孟浩然
洛陽才子を訪へば江峰に流人を作る聞説く梅花早しっと何ぞ此の春に如けん
袁は姓、拾遺は官、此の詩は洛陽に往った時、拾遺の袁某を訪れたが某は罪を蒙って遷謫(センタク)させられた後であったから遇うことができなかった。因って其の人を思うて作ったのである。
47.枕腕 終南望餘雪
終南陰嶺秀 積雪浮雲端
林表明霽色 城中増暮寒
祖詠
48.枕腕 西周初 紀元前11世紀
隹十又2月初吉王。 周に在り、味■大廟に格る
井叔、免を右けて命に即力しむ。 王、作朋手に書を授け免に朋命せしむ。
曰く、女に命じて周師を胥けて■を角司めしむ。女に赤■市を賜ふ用て事しよと免。王の休に對掲して用て■段を作る。免共れ万年永く宝用せよ。 全文
※■…漢字無し
49. 茶杓
50.枕腕 和楽全
和楽全(わらくまったし)心うちとけ楽しみ不足なきこと
唐 元結 作