和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

次回鳩居堂での個展は2019年4月2日(火)から7日(日)の予定です。

 テーマのひとつが「紫式部日記」を紺紙銀泥の巻子にまとめたもので、これまでの文字より半分の細字にして上・下を一巻に纏めることが出来た。

なお 恒例の東大名誉教授大場 秀章先生の講演内容も「紫式部日記」と植物がテーマとなります。

 

著作 2014年2月

    「大諷の映画狂時代」

   2018年1月「大諷のへそ曲り

     読書日記」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

作品集

刻字 遊

遊ぶものは神である。神のみが遊ぶことが出来た。遊びは絶対の自由と豊かな創造のせかいである。それは神の世界に他ならない。この世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。遊とは隠れた神の出遊をいうのが原義である。それは彷徨する神を意味した。ー白川静 遊学論よりー

軍門を前に聖旨をかかげて平和を誓う意。

椰子の実 島崎藤村

名も知らぬ 遠き島より流れ寄る椰子の実一つ、ふるさとの岸を離れて なれはそも波にいく月以上刻字3作品作成する。


作品集 2017年個展出展予定作品

「瀧」 刻字

万葉集より 

石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし

       聞くけば都し思はゆ

安芸の国の長門の島にして磯辺に船泊まりして作る歌 (蝉しぐれに都を偲んだもの)草書を陽刻に地を削(はって)って地紋を出し、濃茶を色に着色し字は吟泥で仕上げたもの。
数年が経過すると 銀が銹てくるが、それで作品の完成となる。

1
3
3
2
4
4

1.聖観音立像

香川県高松市の正花寺(しょうけじ又はしょうけいじ)

正花寺は古くから東大寺領や唐招提寺領があって中央との交抄が深かった土地柄、一木素木造り平安時代の作

2.多聞天立像
大安寺(奈良)真言宗の寺頭部から岩座まで榧の一木造り、中国の仏師の作ともみられている。平安時代


3.九成宮醴泉銘

唐貞観6年(632年)の刻。欧陽詢の書 碑石は縦224cm、横109cm、24行ごとに50字、唐太宗が九成宮に避暑したときその付近に泉発見、その記念碑。

4.人盡楽 明 王珪

誰もがみな楽しむ


5.24寿

6.金文 成康期断代

佳3月王、●と円史に命じて曰く、井侯の服をたすけよ 云々


7.橘夫人念持佛 法隆寺

光明皇后の母橘夫人の念持佛であったという伝説は「古今目録抄」にみえる。阿弥陀3尊の本尊阿弥陀如来

8.和光同塵 

「老子(第4章)その光りを和らげ、その塵に同ず」


9.百済観音

法隆寺に伝来する木彫彩色の観音菩薩 飛鳥時代の代表的彫刻。

10.十一面観音石佛 赤山禅院

修学院離宮の近くに、赤山禅院はあり仁和4年(888年)創建、11月23日には数珠供養が行われ、比叡山の荒行千日回峰行とかかわりが深い、古い神佛習合の趣が境内に残る。


11.阿弥陀3尊像 石佛

12.勢至菩薩 山形県慈恩寺


13.釈迦3尊像 石佛 京都赤山禅院境内

14.如意輪観音 奈良中宮寺

和辻哲郎は「なつかしいわが聖女」と呼び「神々しいほど優しいたまひいのほゝえみ」と述べている。


15.観音菩薩立像

法隆寺献納の48体佛の1体

16.観音菩薩立像

同左


17.薬師如来立像

同上

18.薬師如来座像

同上


19.菩薩半迦像

同上

20.古今雛


21.享保雛

22.菩薩半迦像

法隆寺献納の48体佛の1体


23.戦国時代瓦当紋

25. 赤山禅院の石佛

24.赤山禅院の石佛


赤山禅院の十一面観音(2017年個展の作品)

修学院離宮を見学する機会に恵まれ、桂離宮と並ぶ日本建築の粋をみる事ができた。叡山電鉄叡山本線の宝ヶ池駅下車東に4km程に修学院離宮があり歴代天皇随一と謳われた後水尾天皇によって造られた建物はさすがに端整な美しさに溢れており、日本の美を体現しているようであった。

 

修学院離宮からやや北に位置する赤山禅院を尋ねたが2度目の事である。

今回は参拝者も殆どなく静寂な佇まいであった。

 

尋ねた目的は、境内に整然と並んだ数多くの石佛群を観賞する為で同じ石工が刻んだものが、何れも造りが酷似しており、優しい表情と優美な形をもつ丁寧な作風で好感がもてる小振りな石佛揃いである。

 

2017年に予定する個展にはこの赤山禅院の石佛を中心にして展示することを考えている。

大安寺の多聞天を描く

仏教美術を巡るツアーで、時間が押せ押せになり大安寺の堂内の弱い照明に浮き上がる佛像群はまさに幽玄の世界を現出しており、その美しさに皆思わず 見惚れていた。添乗員は説明の住職に30分以内でとお願いしたが、30分では終わらずに40分に至って説明の途中で切り上げてもらって皆バスに向ったが住 職は一緒にバスまでついて来て、バスの中の乗客に向って語り続けた。

 

住職は自己の寺の佛像群に限りない誇りと愛情をもっている事が皆を粛然とさせたのを覚えている。

 

大安寺の創立は古くは聖徳太子建立の熊凝(くまごり)精舎に遡るという。

聖徳太子が病にかかり推古天皇が田村皇子を遣わして望みを聞かれたところ、太子は自分が建てた熊凝村の道路を大安寺として営造して欲しいと答えたという。

 

田村皇子は即位して舒明天皇となり629年2月に九重塔を建て、百済大寺といったがやがて焼失、50年後の天武時代には本格的な造営が進んでいたと思われる。

 

やがて都は平城に遷されたが716年大安寺も新都に移っている。堂内には9体の重文の仏像を始め多くの優品が揃っており、平安時代から南部の大寺の一つとして偉容を誇っている。今後の予定としては4天王を描く予定である。

聖観音立像

聖観音立像 香川県高松市西山崎町 正花寺

 

琴平電鉄の円座駅から北西に2kmの堂山(302m)の麓に正花寺はあ る。古くから奈良の東大寺領や唐招提寺の領があって中央との交渉が深かった土地柄で、中央の影響の強い仏像である。榧(かや)の木の一木、素地(しらき) 作りで平安時代の作 像高139.7cm 奈良の吉野に旅行した際、中千本あたりの店で購入した杉板に描いてみたものである。