和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

2021年鳩居堂の個展(2021年3月30日~4月4日予定)は延期となりました。新たな開催予定が決まりましたら

本ページにてお知らせ致します。

  

著 書

 2014年2月

  「大諷の映画狂時代」

  2018年1月「大諷のへそ曲り

            読書日記」

  2019年7月  「大諷の観音の道」

  2020年11月  「大諷の無辺楽事」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

ボクシング 名選手たちの足跡をみる    2020年8月

技の分野毎に傑出したボクサー達を取り上げてみる  2021/2/8

 

過去様々な個性溢れるボクサーが現れている。そこで ストレート、アッパーカット、 左フック、カウンター、テクニックの5つの分野に分け、それぞれで傑出した選手や

心に残る選手たちを選んでみた。 2021年2月8日                

                                  

1.【ストレート】

 

  1.  ディオンティ・ワィルダー  ヘビー級

過去から現代に至るまで、誰のパンチが一番強いか、しかも一発の威力はと考えると

ワイルダーを上げざるを得ない。

2020年12月末の戦跡 44戦42勝41KO 1敗1分と驚異的な記録である。ワイルダーは

「俺に2秒くれ、そうすれば必ず一発で仕留めてやる」と豪語する。1Rから12Rまでの

間に唯一発の右ストレートが当りさえすれば相手が誰であっても必ず倒れるのだ。

 

   2.  アドニス・スティーブンソン  (Lヘビー級)

2013年6月強豪チャド・ドーソンを1R 左ストレートを一発でKOするや、2019年2月まで9度の防衛を果した。彼の試合の組み立ては、総て左ストレートを当てる為だけである。左ストレートをのみでKOの山を築いた。

 

   3.  マニー・パッキャオ (フライ級 から S ウェルター級) 

17階級のうち10階級に亘って制圧したパッキャオの左ストレートはフライ級かSウェルター級にあげて、尚その威力はいささかも衰えること事がなく輝き続けた。

過去から今後を考えても稀有な、そして決して出現する事のないボクサーである。

 

2. 【アッパーカット】

 

  1.  マイク・タイソン  (ヘビー級)

右フックで上・下を打ち分け、ガードが開いたところに放つ至近距離からの必殺のアッ

パーカットは相手ボクサーを戦慄させた。

 

  2.  ナジーム・ハメド (フェザー級)

ハメドは左・右ストレート、フック、アッパーどれをとっても一級品であったが、特に

長い距離からの身体を使って飛び込み、伸びあがって打つアッパーはハメドの最も力強

いもので、余人の及ぶところにあらず。彼のみがもつ恐ろしいパンチであった。

 

   3.  リカルド・ロペス  (ミニマム級)

アラ・ビラモアを倒した左アッパーは長い距離からのもので、まさに芸術的なKOを演出したロペスは左・右どちらでも、又短いものでも長いものでも自在に必殺アッパーを

繰り出した。

 

  4.  ルシアン・ビュテ  (Sミドル級)

2007年10月 当時はSミドル級6強によるリーグ戦が行われていた。これに外れていたビュテはアレハンドロ・ペリオを下してIBFのタイトルを握るや9度の防衛を果し、このクラスの一角に位置したが、内8度を得意のアッパーカットを駆使してKOに下したアッパーカットのスペシャリストであった。

 

3. 【 左フック 】 

  1.  何と云ってもフィリピンの閃光ノニト・ドネアの左フックの切れ味がNo.1であ

ろう。バンタム級フェルナンド・モンティエルを左フック一発でKOし、倒れたモンティエルが手、足をバタつかせてもがいていた映像が今も鮮明に浮かぶ。この左フックの力

で38才の現在に至るも軽量級の雄として存在感を示している。

 

  2.  ダニー・ガルシア  (ウェルター級)

アミール・カーンを左フック一撃でKOした試合は誰でも印象が強い事であろう。

闘う相手は誰でもガルシアに、いかに左フックを打たせないかに神経を使うのだ。この

決め技でガルシアは中量級で輝き続けている。

 

4.カウンター

 

    1.  ファン・マヌエル・マルケス  (ウェルター級) 

マニー・パッキャオの長く続いた連勝をストップしたのがマルケスの右ショートストレートのカウンターでパッキャオは失神している。

 

    2.  ホルヘ・リナレス  (ライト級)

ロマチェンコがプロ経歴の中で唯一貰ったまともなパンチがリナレスのショートストレートのカウンターパンチであった。ロマチェンコはこの一発でダウンしている。

 

5.テクニック

 

    1.  ワシル・ロマチェンコ  (ライト級)

現代が生んだ、まさにハイテクの申し子。相手に打たせないで打つ最高のテクニシャン。

 

    2.  フロイド・メィウェザー  (ウェルター級)

全勝で引退。全試合を通じてまともにパンチを食らったのは対シェーン・モズリーの一

発で危うくダウンしかゝったのみで、それ以外は唯の一発もパンチを貰う事はなかった。

 

    3.  リカルド・ロペス  (ミニマム級)

プロ・アマを通じて全勝のまゝ引退。一試合ごとに学習を重ね、欠点を改善し完璧なス

タイルを築きあげた。長年に亘り最軽量のミニマム級を維持した事も特筆すべき事でま

さに、ボクサーの鏡であった。 

 

    4.  パーネル・ウィテカー  (ウェルター級)

オリンピック金メダルを獲得してプロ入り、特に相手に打たせない防御技術に優れ、

「アンタッチャブル」と呼ばれた。トリニダート・クォーティと並んでウェルター級3

強の一人。防御技術は芸術的であった。

 

    5.  エリスランディ・ララ  (S ウェルター級)

キューバから2度目の決行で亡命に成功した。S ウェルター級の中心選手の一人であるが、強打者ではない。ララの見事なテクニックは対カネロ・アルバレス戦と、対ジャレット・ハード戦によく見られた。二人とも強打者で体力にも優れた選手であった。

アルバレス戦では中盤から、ヒット・アンド・アウェイ戦法に切り換えて、アルバレスを翻弄したが、1:2の僅差の判定負け。ハード戦も10Rまで優位にすゝめたが、これでは勝てないとみたハードの必死の攻撃で11R不覚のダウンを喫して、これも1:2の判定で敗れているが、その強打を完璧に封じ込んだテクニックの冴えを遺憾なく発揮。

ボクシングの別の楽しさを充分堪能させてくれた。当代きってのテクニシャンである。

 

 

番 外 編

 

プロモーター ドン・キング    (アメリカ)

オハイオ州クリーブランドの路地裏からのし上がった人物で、1967年~71年まで殺人罪で服役している。彼が知られるようになったのはモハメド・アリとの出会いで、アリのプロモーターとなり1980年代にはラリー・ホームズによって地位をかためるとヘビー級の有力選手を育てアメリカボクシング界に君臨する事となる。

この後も何度かの不正行為を重ねて糾弾されており、ボクシングの暗部を象徴するような人物であった。

 

ボクシングの歴史と私の思い    2020月12月9日

1.ボクシングが今日に至るまで

ボクシングは古代ギリシアで行われた古代オリンピックの正式種目で、ホメロスの叙事

詩「イーリアス」にも登場する。古代ローマでは日々の生活で楽しまれた娯楽であったが、文献の中にボクシングが現れるのは17世紀後半となる。当時のボクシングは現代のものと全く別のスポーツであったようだ。

ジャック・ブロートンが1743年に導入したルールが以後100年に亘って試合の基準となっていった。

19世紀に入って試合を観戦すると共に、沢山の掛け金が動くボクシングに魅せられた多くの人々が集まるようになりボクサー達の報酬も驚くほど増えていった。

19世紀半ばになると、人気ボクサーの引退や、怪我人の続出で人気は衰退。観客も減り、ボクサーの報酬も少なくなってくる。

1867年クインズベリー・ルールなるものが導入されて、グローブを着用、組み合う事を禁じ、1ラウンド3分間に1分の休憩を挟む事としたが決着がつくまで試合は続けられ等

旧弊も生き続けていたが、興行主は商業ベースでボクシングをとらえるようになり、試合のラウンド数を決めておく事、KOで決まらない場合はどちらが優勢であったかをポイント制で判定する事などが決められていった。

しかしボクシングは社会が安定するにつれて次第に衰退してくる。ボクシングは常に否

定的、悪の臭いが付きまとっておりマフィア等裏社会と繋がりがあり、賭けの対象となり、八百長が常習化していたからだ。

しかし、路上生活者のような身分からヘビー級チャンピオンにのし上がった多くのアメ

リカの伝説は同じようなに貧乏から身を起した多くの人々に励ましを与え続けて来たの

である。

 

1920年代のジャック・デンプシー、30年代のヘンリー・アームストロング、40年代のジョー・ルイス、50年代のロッキー・マルシアノ、80年代のマーベラス・マービック・ハグラー、ヒットマン トーマス・ハーンズ、シュガー・レイ・レナード達である。

 

やがて主流だったアメリカから次第にヨーロッパ特にイギリス、北欧、東欧、中南米に

ボクシングは広まって行くに従い、社会的に認知されるスポーツとして一般の人達にも

楽しまれるようになってくる。

60年代後半から70年代半ば「蝶のように舞い蜂のように刺す」のフレーズで従来のヘビー級にない軽やかなステップを踏み、シャープなパンチを繰り出し、大言壮語し、ベトナム戦争への徴兵を拒否した「カリスマ」モハメド・アリ、80年代から90年代に恐怖のパンチ力をもって対戦相手を戦慄させたアイアン・マイク・タイソン等登場してボクシング熱は大いに盛り上がった。

そして90年代中量級で6階級を制したオリンピック金メダルを引っさげてプロ入りした

ゴールデン・ボーイ オスカ―・デ・ラ・ホーヤの登場をみる。甘いマスクとスタイリッシュで華麗なテクニック、試合後の垢抜けしたコメント等でそれまでボクシングに縁のな

かった層、特に女性のファンを引きつけボクシングファン層が大きく拡がった。

ボクシングの社会的認知度が急速に上がったのである。

 

2.ボクシングへの思い

ボクシングに対する関心は10代の頃から持っていたが、試合をみる事は無論の事、テレビでも放映されることは殆んどなかった。時折映画のニュースで上映されるくらいで

あった。

しかしその中で1960年6月20日ニューヨークで行われたインゲマル・ヨハンソンにリターンマッチを挑んだフロイド・パターソンが5RでヨハンソンをKOに下した試合で、倒れたヨハンソンの足が痙攣しているのを見て強い印象を受けたのを今でも思い出す。

WOWOWでボクシング放映を行うのを知って、すぐに契約した。以来30年が経つ。

  

名選手たちの足跡をみる        2020年11月30日

1.モハメド・アリ    2.マイク・タイソン 3.ロイ・ジョーンズ Jr.    4.ゲンナディ・ゴロフキン 5.ワシル・ロマチェンコ  6.デオンティ・ワイルダー        7.ウラジミール・クリチコ 8.マニー・パッキャオ

1.モハメド・アリ

モハメド・アリはスポーツの領域を超えた存在である。アメリカ国内では彼の姿勢に対し賛否両論激しいものがあった。アリは1960年ローマオリンピックで金メダルを獲得し帰国直後に南部のレストランで入店を拒否され、金メダルを川に投げ捨てた時から態度が一変する。その後アリがまだその「奴隷名」であるカシアス・クレイで通っていた頃はボクシング界も苦境にあった。当時は全米各地のボクシング・ジムは廃業に追い込まれるところが多く、テレビ局もボクシング放映をしたがらなかった。アメリカ上院の州間通商における組織犯罪に関する特別委員会がボクシング界が腐敗にまみれていると警告した事も大きかった。アリは大言壮語、コメディ、革新的スタイル、何よりも天賦の才能をミックスし、ボクシングの頽廃的風潮を蘇生させたボクサーでもある。

クレイは手をぶらりと下げ、軽やかなステップを踏み相手を翻弄、ボクシングに新しいスタイルを持ち込み、ヘンリー・クーパーを下して勢いに乗ると、次戦で「最強にして最凶」と称されたソニー・リストンと対戦、クレイの勝算は殆んど見込めないと思われたがリストンはクレイの電光のような攻撃に翻弄され6R終了時に肩の痛みを理由に試合を棄権する。再試合でも初回に返り討ちのKO敗けを喫した。試合のあと、クレイは自分はイスラム教徒でありモハメド・アリと名前を変えると公表。アリは欧州で3度、カナダで1度、アメリカで5度タイトルを防衛。実力の程を証明した。又ベトナム戦争に対する徴兵拒否を表明「私はベトコンと戦う理由がない」とアメリカの風潮に逆らったゝめボクシングの統括団体はすぐにライセンスを剥奪し、取り戻すのに3年を要したのである。

1971年3年振りの試合はジョー・フレイジャーに判定負けで初の1敗。しかしアリは再起し1974年10月30日フレージャーに代わってヘビー級の王者となっていたジョージ・フォアマンとザイールで対戦。フォアマンをKOして世界に驚愕を与えるた。1975年10月10日のジョー・フレイジャー戦を14R KOに下すとアリに衰えが見え始め最後の世界戦1980年10月2日ラリー・ホームズ戦に10R TKOに敗れ、翌年トレバー・バービック戦を最後に引退する。通算成績62試合56勝6敗

2016年6月30日米アリゾナ州の病院で死去74才。オバマ大統領は「モハメド・アリは世界を揺るがした。そしてそれによって世界はより良い場所になった。ベトナム戦争への反対や、信仰を理由に米軍への入隊を拒否して王座を失っても立場を貫き、やがて復活して勝利したことが、今日の米国に私たちを慣れさせてくれた」と声明を出した。

アメリカは自身がボクシング界から追放したアリに対して2005年11月市民に与える最も栄誉ある勲章「大統領自由勲章」を与えている。

アメリカ政府がアリに頭をさげたのである。

 

モハメド・アリ 世界タイトル・マッチ一覧

1964年  2月  ソニー・リストン   6RTKO

1965年  5月    同上      1RKO

1965年11月 フロイド・パターソン 12RTKO

1966年  3月 ジョージ・シュバロ  15R判定

1966年  5月 ヘンリー・クーパー  6RTKO

1966年  8月 ブライアン・ロンドン 3RKO

1966年  9月 カール・ミルデンバーガー 12RTKO

1966年11月   クリーブランド・ウィリアムズ  3RTKO

1967年  2月 ア―ニー・テレル    15R判定

1967年  3月 ゾラ・フォーリー    7RKO

1971年  3月 ジョー・フレージャー  15R判定負け

1974年10月 ジョージ・フォアマン  8RKO

1975年  3月 チャック・ウェブナー  15RTKO

1975年  5月 ロン・ライル      11RTKO

1975年  6月 ジョー・バーグナー   15R判定

1975年10月 ジョー・フレイジャー  14RTKO

1976年  2月 ジャン・ピエール・クープマン 5RKO

1976年  4月 ジミー・ヤング     15R判定

1976年  5月 リチャード・ダン    5RTKO

1976年  9月 ケン・ノートン     15R判定

1977年  5月 アルフレッド・エバンジェリスタ 15R判定

1977年  9月 アニー・シェーバーズ  15R判定

1978年  2月 レオン・スピンクス   15R判定負け

1978年  9月 レオン・スピンクス   15R判定

1980年10月 ラリー・ホームズ    10RTKO負け

1981年   トレバー・バービック    負け

 

 

2.マイク・タイソン  

 

 1966年6月30日 米国 ニューヨーク ブルックリンのブランウンズビルの貧民街に生

れる。10才になる前には立派な路上強盗、反社会的人間になっていて、13才の時に

は少年院に収容されている。収容所のボクシング担当教官ボビー・スチュワートに

見出され、カス・ダマトに紹介される。ダマトが身元引受人となり出所、本格的なボ

クシング教育を受け、ダマトはタイソンにオリンピックの金メダルを取らせてプロデ

ビューを狙ったが果たせず18才9ヶ月でプロデビュー。

 

マイク・タイソンの戦跡

1985年 3月6日   デビュー戦 ヘクター・メルセデスを左アッパーのボディーブロー

        連打で1RTKOに下す。

        4月10日  トレント・シングルトンを左右フックの連打のあと右フックで

         ダウンを奪い、ついで左右フックの連打で1RTKOに下す。

          6月20日   リック・スペインを右フックで一度目のダウン、ついでの左フック

                         で1R39秒でTKOに下す。

          7月11日  ジョン・アルダーソン 右ストレートで2度のダウン、右フックで

                          1RTKOに下す。

          10月9日  トニー・ロング     相手のクリンチを振りほどいてダウンを奪う

         や、連打で2度のダウンを奪って 1RTKOに下す。

           (この試合のリングアナウンサーを若きマイケル・バッファーがつとめていた)

          10月25日 プロ10戦目 ロバート・コーリー 左フック一発で1RKO

      10月4日    恩人カス・ダマト肺炎で死亡

        11月13日 エディ・リチャードソン 右ストレートで一度目のダウン、

        左ストレートで2度目のダウン 1RKO

          12月6日  サミー・スカフ  196㎝の長身選手  左フックでダウン、鼻血を出

        して戦意喪失 1RTKOに下す。

        12月27日 マーク・ヤング  このあたりから対戦相手のレベルも相当に上って

        きた。 しかし左フックでダウンさせ1RTKOに下す。

86年 1月11日 ディビット・ジャコ   左フックで一度目のダウン、右フックで2度

        目、左フックで3度目のダウン1RTKOに下す。

   6月13日 レジー・グロス 191㎝の長身、13勝4敗ながら、ジャブと右ス

        トレートが早いバランスの取れた良い選手で、準備も十分にしてき

        た事が窺がえた。グロスが連打で攻撃を仕掛ける中で、グロスのア

        ッパー2発が軽くタイソンにヒット、しかしグロスの攻撃中に放っ

        たタイソンの左フック一発でグロス ダウン。やっと立ち上がった

        ところに再び左フックで1RTKOに下した。

        この時点でタイソン22戦全勝20KO。

23戦目 

86年 6月28日 ウィリアム・ホシー  ホシーは充分に体をつくってきていた

        のがみられる体型であったが、連打で1RTKOにホシーを下す。

        この時タイソンWBA4位、WBC2位にランクされる。

   7月11日  ロレンゾ・ボイド 2R 右アッパーでKO

   11月22日  ついにWBCチャンピオン トレーバー・バービックに挑戦する事と

        なった。バービックはピンクロン・トーマスを破ってタイトルを握

        り初防衛戦である。戦跡 36戦31勝23KO 4敗1分。   

        ジャマイカ生れの32才。アリはバービックに敗れて引退している。

        ネバダ州ラスベガス、ヒルトンセンターを会場として闘われた。

        タイソン20才4ヶ月である。

1R バービック、タイソンのパンチに合わせてカウンターを狙う、バービックの右

  アッパー浅いがヒット。両者互いに打ち合うがクリーンヒットはなし。

  終盤タイソンの左フックでバービックよろめく。

2R タイソンの連打のあとの右フックでバービック ダウン。立上ったバービックは

  クリンチでタイソンを抱き込み防戦一方となり、タイソンの右ストレートでダウ

  ン、立上ったところに左フック ダウンしたバービックは立ち上がろうとしたが

  足腰が立たずリング上でころげまわる。衝撃的な映像であった。

  パンチ力、スピードと実力の違いが明らかであった。

  ちなみに試合前のオッズは3:1でタイソンであったが、

以 降

87年  3月7日 ジェームス・スミス  判定勝ち WBA、WBC 統一

     5月30日 ピンクロン・トーマス 6RTKO勝

           8月1日  トニー・タッカー   判定勝ち WBA、WBC、IBF 統一

         10月16日 タイレル・ビックス  7RTKO勝ち

88年  1月22日 ラリー・ホームズ    4RTKO勝ち

     ラリー・ホームズ、   タイソンと対戦前の戦跡 50戦48勝34KO 2敗 

     身長190㎝ リーチ20.6㎝ 38才

    1978年ケン・ノートンを下しWBCタイトルを獲得16回防衛 IBF王者に

             転じ3回防衛。85年9月マイケル・スピンクスに敗れ、同9月にもスピン

             クスに敗れての2敗である。

1R タイソン圧力を掛けて前進、ホームズはタイソンの出鼻を左ジャブで迎え撃

       つ作戦。

2~3R ホームズは主戦武器の右ストレートのカウンター何発かまともではないが

        ヒット。タイソンは左ジャブで突いて出て、左右フックを振う。

4R ホームズはタイソンの攻撃を躱す余裕が出来たのか、本来のステップを踏み

       ながら長いジャブを突くスタイルを見せ始める。ホームズが調子に乗り始め

       たとみる間にタイソンの左ストレートが顔面中央にヒット。

       ホームズ ダウン、ついでの左フックでホームズ2度目のダウン。

       最後は右フックでホームズ リング上に大の字となりTKOにホームズを下す。

 

モハメド・アリの登場以来ラリー・ホームズに至るヘビー級のスタイルは全体と

してアリ様式に変わってきた。ホームズに至っては、まさにアリのコピーであると

酷評され続けてきて成績の数字ほどは評価されなかったが、かっての力のボクシ

ングがタイソンによって復活したことで又、ボクシングが大いに盛り上がった。

ホームズにはアリのスター性もカリスマ性も全くなく、ボクシングがのスタイル

のみをコピーしたものであって、観客は決してアリのコピーを望んではいなかっ

たのだし、又この時代ジョー・フレージャーもジョージ・フォアマンも居らず目

ぼしい選手がいなくてヘビー級停滞期でもあった。

新しいスターを待ち望んでいた。

 

 

 

3.ロイ・ジョーンズ Jr

1969年1月16日 米国フロリダ州ペンサコーラ出身

父親のジョーンズ・シニアは1977年マービン・ハイラ―と戦っているミドル級の実力者であった。1988年のソウルオリンピックでは不当と思われる信じられない判定で銀メダルに終わっている。

1993年IBFのミドル級のタイトルを手にするや1994年11月スーパースターの呼び声の

高かったジェームス・トニーを判定に下しIBF Sミドル級のタイトルを握る。タイトル

を5度防衛のあとLヘビー級に転向。1997年2月マイク・マッカラムを下してWBCのタイトルを握る。1997年3月モンテル・グリフィンと対戦、グリフィンがダウンしたあと流れでパンチを浴びせて反則負けを喫した。しかしそのあと8月に再戦1RKOに下しタイトルを奪回。

この後2004年5月にアントニオ・ターバーに敗れるまで誰もが認める絶対王者、パウンド・フォー・パウンド №1として座り続けた。

そして49戦目WBAヘビー級ジョン・ルイスに挑戦。12R大差の判定にルイスを下し、実にLヘビー級以下の選手でヘビー級のタイトルを獲得したのは100年来の事で2人目の快挙であった。しかし当時のヘビー級は右ストレート・アッパーを武器とした強打者レノックス・ルイス、2mを超えるツィンタワー クリチコ兄弟がいて、この3人に挑戦するのは流石に無理筋であり、ジョン・ルイスはこのタイトルを6度防衛した実力者ではあるが、この3人に比べるとパンチ力、スピード、スタミナ、体力ともに及ばずロイ・ジョーンズが標的とするに格好のターゲットだったのである。

ロイ・ジョーンズにとって何をとっても負ける要因は見当たらなかったので当然の結果

とも云える。しかしロイ・ジョーンズにとって払った代償は計り知れない程大きかった。

ヘビー級と対戦する為に少なくとも6~7㎏の増量が要求されて、これを筋肉で固めて

つくりあげた身体を8ヶ月後の2003年11月にLヘビー級に戻し、アントニオ・ターバーを辛うじて判定に下し再びタイトルを握ったが、減量は筋肉を再度削って対応せざるを

得ず、身体のダメージはとてつもなく大きかったのである。

2004年ターバーに2RKOに敗れ、そのあとグレンコフィ・ジョンソンにも敗れ、天才

ロイ・ジョーンズ Jr は終わりを告げるのである。

戦跡 49戦48勝38KO 1敗 (ジョン・ルイスまで)

 

ロイ・ジョーンズは格別防衛体制をとるでもなく、やゝしまりのない緊張感のまるでないスタイルからパワーとスピード溢れるパンチを自在に繰り出し、防御感も素晴らしく、たとえロープに詰められても相手のパンチを食らうことはほとんどなかった。

 

対戦相手の予測を上回って威力抜群、身体能力のずば抜けた高さと相俟って、異次元の存在で、若い頃は倒し屋であったが、次第に試合振りは変貌して自分で満足する試合を優先するようになっていった。昼間はバスケットの試合を行い、夜はタイトル・マッチを行い又歌手としても活躍した。まさに天才を絵にかいたようなボクサーであった。

 

 

ロイ・ジョーンズの戦跡

1989年   5/6  プロ一戦リッキー・ランドールを2RTKOに下すや 

      6/11 スチーブン・ジョンソンを8R TKOに 

            9/3   ロン・アムンゼンを7RTKO、

          11/30  ディビット・マクラウスキを2RKO。

 

1990年   1/8   ジョー・エデンを2RKO、

             2/28 ビリー・ミッチャムを2RTKO  

     3/28 ノックス・ブラウンを3RTKO

     5/11 ロン・ジョンソンを2RKO

     7/14 トニー・ワドレスを1RKO

     9/25 ロリン・ウイリアムスを4RKO

      11/8  レジー・ミラーを5RKO。

 

1991年  1/31 リッキー・スタックハウスを1RKO 

       4/13 エディ・エバンスを3RTKO

       8/3  ケルビン・ダイグルを2RTKO

       8/31 レスター・ローブローを9RKO

 

1992年  1/10 ホルヘ・バロを1RKO

      4/3   アート・セワーノを1RTKO 

              6/30 ホルヘ・カストロを10R判定

      8/18 グレン・トーマスを8RTKO

              12/5  バーシ―・ハリスを4RKO。

 

1993年     2/13   グレン・ウォルフェを1RTKO

               5/22 バーナード・ポプキンスを12R判定に下しIBFミドル級王座につく。

       8/14 シュガー・ボーイ・マリンガ 8RKO 

        11/30 フェルミン・チリノ 10R判定

 

1994年    3/23  ダニエル・ガルシア 6RKO

      5/27 トーマス・ラート 2RTKO

        11/18 ジェームス・トニー12R判定 IBF Sミドル級王座

 

1995年    3/18 アントニー・ハード 1RTKO 

      6/24 ビニ・パシエンザ6RTKO 

      9/30 トニー・ソーントン3RTKO

 

1996年   1/12 メルキ・ソーサ2RTKO 

      6/15 エリック・ルーカス11RTKO

       10/4  ブライアント・ブラノン2RKO

             11/22 マイク・マッカラム12R判定 WBC、IBF Sミドル級王座

 

1997年    3/21 モンテル・グリフィン 9R失格負け

              (ダウンした相手に追撃パンチが止まらず)

       8/7   モンテル・グリフィン1RKO  WBC王座獲得

 

1998年     4/25 バージル・ヒル4RTKO

       7/18 ルイス・デルバレ12R判定  WBA、WBC 統一戦

              11/14 オーテス・グラント10RTKO

 

1999年   1/9  リック・フレージャー2RTKO 

               6/5  レジー・ジョンソン12R判定 WBA、WBC、IBF王座

 

2000年     1/15 ディビット・テレコス12R判定 

       5/13 リチャード・ホール11RTKO 

       9/9   エリック・ハーディング10RTKO

 

2001   2/24 デリック・ハーモン10RTKO 

      7/28 フリオ・ゴンザレス12R判定。

 

2002年  2/2  グレン・ケリー7RKO

              9/7  クリントン・ウッズ6RTKO  ヘビー級出場の為王座返上

 

2003年  3/1 WBAヘビー級に挑戦12R判定ジョン・ルイスを下し、

                                                      Lヘビー級に復帰。

     11/8 アントニオ・ターバー12R判定 WBCLヘビー級タイトル。

 

2004年  5/15 アントニオ・ターバーに2RKO負け。 

 

4.ゲンナジー ゴロフキン 

カザフスタン カラガンダ生れ 1982年4月8日 

正式名 ゲンナジー・ゲンナジーヴィッチ・ゴロフキン

兄のセルゲイとワデイムの勧めによってボクシングを始めた。二人の兄はロシア軍に従軍して死亡している。

2004年アテネオリンピックで銀メダル獲得、アマチュア 戦跡 345戦5勝 

2006年にプロ転向、2010年トレーナーのアベル・サンチェスと組み快進撃が始まる。

2014年8月WBAミドル級ミルトン・ヌネスを1RKOで下しタイトル獲得。1916年9月ケル・ブルックをKOに下し、17年度連続KO防衛の世界記録に並ぶ。

連続KO防衛記録は1977年5月廉東均を12R・KOで下し戴冠し以後1982年12月ルペ・ピント―ルを12RTKOに下し17連続KO防衛を果したWBⅭ Sバンタム級のウィルフッド・ゴメスが居る。プエルトリコ人のゴメスはデビュー戦で引き分けたあと2戦目から36連続KO勝ちをしている。ボクシング史上、この17連続KO防衛とジョールイスの25度防衛記録は不滅云われてきたが、ゴロフキンはこの記録に並んだ。

ミドル級は体重リミッド72.57㎏と世界で最も体格的に強豪が集中するクラスで、歴代群雄割拠する強敵を悉く打ち倒してのこの実績は文句なしに見事なものであった。

ゴロフキンの試合スタイルはアマで磨き上げた技術を基本にして、自然体で常に左ジャブを突いて圧力をかけ退がれば追撃の左右ストレート・フック又はコンビネーションを打ち込み、苦しくなって相手が前に出ればカウンターで迎え打つ、理詰めの戦法であるが、そのパンチ力が凄まじく、皆腰が引けてしまうのだ。防衛も巧みで、まともに相手に打たせないし、打たれ強さもあり、その安定感は抜群。

ケル・ブルック戦終了時での戦跡 37戦全勝33KO

1917年9月サウル・カネロ・アルバレスと対戦、終始攻勢に試合をすゝめたが、何故か115:113、110:118、114:114の3者3様の判定でドローに終わり記録は途絶えることになった。

さすがのゴロフキンもこの試合あたりからやゝ衰えが見え始めたようであった。

ニックネームは「G・G・G」(グレート・ゲンナジー・ゴロフキン)

 

2010年 8/14 ミルトン・ヌネス 1RKO (WBA世界ミドル級暫定タイトルマッチ)

    12/16 ニルソン・タピア 3RKO 

 

2011年 6/17 カシム・オウマ 10RTKO

    12/9  ラジュアン・サイモン 1RKO

 

2012年 5/12 渕上 誠  3RTK0

      9/1  グジュゴシ・プロクサ 5RTKO

 

2013年 1/19 ガブリエル・ロサード 7RTKO

     3/30 石田 順裕       3RKO

     6/29 マシュー・マックリン  3RKO

 

2014年 2/1  カーライヌ・スティーブンス 8RTKO

     7/26 ダニエル・ゲール  3RTKO (スーパー王者に昇格)

    10/18 アントニオ・ルビオ 2RKO(WBAスーパー、WBC王者)

 

2015年 2/21 マーティン・マレー 11RTKO

     5/16  ウィリー・モンローJR 6RTKO

    10/19 ディビット・レミュー 8RTKO

    12/7 ロムロ・コアシャカ 7RKO

 

2016年 4/24 ドミニク・ウェイド 2RKO

     9/12  ケル・ブルック 5RTKO

 

2017年 3/19 ダニエル・ジェイコブス 12R判定

     9/17 カネロ・アルバレス  12R引き分け

 

2018年 9/16  同上        2:00で判定負け

 

ミドル級18連勝のうち17連続KOは歴代世界1位のウィルフレッド・ゴメスが記録し

ている。17連続KO防衛に並んだもので3位はWBO L・ヘビー級ダリウス・ミハイル・ゾウスキーの14回である。その記録は価値は限りなく高いものである。

 

5. ワシル・ロマチェンコ

1988年2月17日生れ ウクライナ ビルホルド ドニストロフ出身

2008年の北京オリンピックでフェザー級、2012年のロンドン オリンピックライト級で

いずれも金メダル獲得。

2009年11月の世界選手権優勝。アマチュア成績396勝1敗(1敗のアルベルト・セリモフにはその後2度雪辱している)

史上最高の実績を引っさげてプロ入り。

2013年10月14日プロ第1戦はメキシコのホセ・ラミレスとWBAインターナショナル・タイトルマッチ フェザー級10回戦。これを4RTKOの仕留めて第1戦を飾った。

 

2戦目でフェザー級タイトル・マッチに挑戦1:2の判定で敗れたが、その相手がよりによって最悪のオルランド・サリド、戦跡は10敗以上を重ねているが、叩き上げの闘魂の塊、プロの中でも不屈の男で、誰と闘っても激戦を繰り広げて何度もタイトルを獲得している異色の選手であるからだ。

 

しかし3戦目でWBCフェザー級ゲイリー・ラッセルを下して戴冠するや、7戦目でWBO S・フェザー級に階級を上げてローマン・マルチネスを衝撃のKOで下し、3度の防衛戦をいずれも相手のギブ・アップで降参させるTKOで下している。

サウスポーのボクサータイプの戦い方は右ジャブで相手をコントロール、相手との距離を計って出てくるところに左ストレートで迎えうつ。

 

相手の右に廻って自分の左が相手のガードの真中を貫く位置を常に保ちつゝ、相手の右から自分の身体を遠ざける。これがセオリーである。

ロマチェンコの闘い方は全く異なる。相手が気が付いた時はロマチェンコは自分の目の前に既に居て自分の距離が取れないまゝ後退せざるを得ない。

しかしロマチェンコは滑るように付いて動きこれを許さず、ガードを固める相手のガードを軽く叩いて追いかける。後退した相手は追われて体勢を整える暇もないままタイミングの良い軽いパンチを受けてもダウンを奪われてしまうのだ。

何とかパンチを出しても全く当らないのは、スピード、目の良さ、動きの速さと50%程の力しかパンチを振わないことでカウンターを受ける事もない。この距離が彼の距離なのだ。 

 

流れるような動きのスピードについて行けずに一方的に打たれて体力、気力も失われて、その上子供扱いされてプライドも傷つけられ続ける中盤以降、一段とスピードアップするロマチェンコにはこれ以上試合を続けても意味がないと悟った相手は、まだ試合を続けられる力がありながらギブ・アップをレフリーに告げるしか選択の道はない事に気付かされるのである。

メイウェザーを超えてボクシング史上最高の選手と云って過言でない。

 

2013年10月14日

会場 ネバダ州ラスベガス・トーマス&マックセンター。

司会はマイケル・バッハー

WBAインターナショナル フェザー級10回戦

ホセ・ラミレス(メキシコ)対プロ転向第1戦目のワシル・ロマチェンコの試合である。

1R ラミレス先制攻撃をかけるが、接近戦を仕掛けるラミレスに対して右ジャブで相手をコントロールし、左アッパーのボディーブローでラミレス ダウン。

4R 右フック、ついでの左アッパーのボディーブローでラミレスTKOにし止め、ロマチェンコ上々のデビュー戦を飾った。

オリンピック2大会金メダル、アマチュア戦跡396勝1敗の成績を引っさげ鳴り物入りでプロ入りしたロマチェンコは前評判に違わず、身体の動きにも切れがあり、速く、パンチ力、連打も利いて強さ、巧みさを合わせ持つ好選手で、あと2~3試合で世界タイトル戦もありそうである。

 

2014年3月3日 

テキサス州サンアントニオ・アラモドーム、WBOフェザー級タイトルマッチ、57.15kg。

前王者オルランド・サリド、リミッド守れず王者剥奪のため勝利してもタイトルは失う。

対戦者はワシル・ロマチェンコ (ウクライナ)WBOフェザー級5位。北京、ロンドンオリンピック金メダリストでアマ時代は1敗しかしていない。プロ2戦目でタイトルマッチとなるボクシング界の金の卵である。 

1R ロマチェンコ、プレッシャーを掛けてサリドを前に出さない戦法で優勢。

2Rからサリドは前に出て来て5Rまで一進一退が続く。6Rから次第にサリドベースとなり、ロマチェンコの右ジャブと速い動きに委細かまわず左右フックをふって前進する。

中盤から後半にかけてサリド優勢は変らずに、

12R ロマチェンコ最後の攻撃が功を奏しサリドはダウン寸前追い込まれたが、辛うじて逃げ切った。

判定は115:113で一人ロマチェンコ、116:112、116:113で二人サリドであったがサリド優勢は明らかであった。サリドは叩き上げの不屈の闘志をもった選手で、プエルトリコの英雄で、80%を超えるKO率を誇った全勝のファン・マヌエル・ロペスを2連続KOで下して一躍名を挙げて、その後負けもありながらタイトルを3度獲得している誰もが嫌がる対戦者となる。ロマチェンコは右ジャブで相手をコントロールして速い動きで対抗しようとしたがサリドの前進は、もっと強いパンチでないと止まらないことを思い知らされたことであろう。

2戦目で闘うには悪い相手を選んだものだと思う。しかしロマチェンコの才能は随所に見られた。すべるような動き、早いスムーズなパンチ、目の良さ、そして12Rに見せた攻撃力もみるべきものがあり、もう少しパンチに威力が出れば、今後楽しめる選手になることは間違いない。

 

2014年6月21日 

カリフォルニア州 カーソン・スタブハブセンター 2014年6月21日

WBO フェザー級王座決定戦 

WBO 同級一位ゲイリー・ラッセル(米)25歳 戦跡23戦全勝14KO

対戦者ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)北京・ロンドン五輪金メダリスト。前戦は歴戦の雄サリドに挑戦したが判定敗。戦跡は1勝1敗 共にサウスポー。

1R ラッセルは主戦武器の右ジャブを多く出すがロマチェンコの的中率の方が精度が高い。2R も変わらず。 3R ラッセル攻勢に出るがロマチェンコ前後左右に自在に動き、相手が打ち気に出ると、動いてその気を削ぎ、出ないとみるとすかさず攻撃に転ずる、巧みさが目立つ。5R ロマチェンコ攻勢を強めボディへの集中打ちでラッセルの動きを止める。6R ロマチェンコの優勢は変わらず、ラッセルの攻撃は空回りする。

7R ロマチェンコ顔面、ボディとフック・アッパー連打でラッセル防戦一方となり、勝負の大勢は決まってくる。8R ラッセル挽回を図って攻勢に出るがハンドスピードを上げるが手打ちとなり威力が失われ精度も落ちてくる。

10R 及び11R ロマチェンコ、スピードが鈍ってきて、動きによって躱してきた相手の攻撃をガードで受け止めるようになり一進一退。12R ロマチェンコの動き戻り、有効な攻勢を見せて試合を締めくくる。

判定は114:114が1人、116:112が2人でロマチェンコが3試合目で王座につく。ロマチェンコのフットワークは滑るように自在でしかも頭の位置を絶えず動かし、相手の打ち終わりに、すかさず的確なパンチを打ち込み、その能力の高さを改めて観客に披露した。金メダリストの実力は伊達ではなかった。また7R 12Rとしっかり見せ場もつくり、エンターティナーとしての存在感も仲々のものであったが今後の課題はパンチの威力を高めることと後半のスタミナであろう。チャンピオンとしての将来はこの2点を考えると安泰とはいえない。オルランド・サリドのようなタフで強打、不屈の闘志の持ち主に対抗できるであろうか。今のパンチ力では止められまい。

 

2014年11月23日 

会場 マカオ・ベネチアン・リゾート・コタイ・アリーナ 

WBOフェザー級タイトルマッチ。チャンピオン ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)26歳。戦跡3戦2勝1KO 1敗。2戦目に世界戦初挑戦。オルランド・サリドに敗れるが3戦目にゲーリー・ラッセルを下して戴冠。

北京、ロンドン五輪金メダリスト。世界選手権3連覇、アマチュアの戦跡396勝1敗のサラブレットでボクシング界の金の卵である。サウスポー、アマチュア史上最高の選手と言われる。

対戦者はチョンラターン・ビリヤピニョー(タイ)戦跡53戦52勝33KO 1敗。1敗は長期政権を誇ったクリス・ジョンに敗れたもの。 

1R ロマチェンコ 右アッパーを顔面に、左ボディブロー2発と順調に滑り出す。

2R 挑戦者圧力を掛けて出てくるが、出鼻を右ジャブ、左ストレートで叩き接近を許さない。

3R 挑戦者チョンラターン前に出るが手を出す前に打たれ、ロマチェンコの優劣は益々明らかとなる。

4R 右アッパーからの多彩な連打でチョンラターン ダウン。

5R ロマチェンコ集中打で倒しにかかるが、チョンラターン何とか持ちこたえる。

6~7R 同じような推移で進行。

8R ロマチェンコ左拳を痛めたのか、以降右手一本で試合を続行、それでも右アッパーでKOを狙う、がそのまま終了。

判定は120:107(3者とも)の完勝であった。

相変わらず高度なテクニックと圧力を増したパンチ力はまだまだ強くなりそう。

軽量級の花形である。 

 

ワシル・ロマチェンコ 戦跡 

2013年 10/14 フェザー級ホセ・ラミレス 4RTKO  

2014年 3/1 フェザー級オルランド・サリド 12R判定負け 

       プロ転向2試合目の世界戦挑戦 WBOフェザー級タイトル

      6/21 ゲイリー・ラッセル(決定戦)12R判定 WBOフェザー級タイトル 

     11/23  チョンラターン・ピリヤピンヨー 12R判定

 

2015年 5/2 ガブリエル・ロドリゲス 9RKO

    12/7 ロムロ・コアシチヤ   7RKO

 

2016年 7/17 ローマン・マルチネス  5RKO WBO Sフェザー級タイトル

    12/5  ニコラス・ウォータース 8RTKO

 

2017年 5/8 ジェイソン・ソーサ    9RTKO

     9/4 ミゲール・マリアナ    7RTKO

      12/18  ギジェルモ・リゴンドー  6RTKO

 

2018年 5/3 ホルヘ・リナレス     10RKO WBOライト級タイトル

 

2019年  4/13 アンソニー・クロラ          4RKO

    9/1  ルーク・キャンベル   12R判定 

 

14戦13勝10KO1敗  (2020年6月30日現在)

6.デオンティ・ワイルダー 

1985年10月22日 米国 アラバマ州タスガルーサ生れ。

10代の頃はバスケットボールとアメリカンで将来を嘱望されていたが、娘のナイエガが脊髄破裂で生まれた後19才で大学のスポーツを止める。

2005年ボクシングを始め、北京オリンピックで銅メダルを獲得。ゴールデンボーイ・プロモーションと契約してプロに転向、デビューから12試合のうち10試合を1ラウンドで終わらせている。15年バーメイン・スタイバーンに判定勝ちしてWBCのベルトを手に入れた。ヘビー級のタイトルを実に7年振りにアメリカにもたらしたのである。

それまでは32試合は総て4R以内にKOしている。以後9回の防衛戦を総てKOに終わらせて、10回目の試合はタイソン・フューリーで2回のダウンを奪ったが引分けに終わる。20年2月2戦目の対戦でとなったが7R1分け39秒はじめてのレフリーストップで初の1敗タイトルを失った。この時点で44戦跡42勝41KO1敗1分け。

ワイルダーは201㎝の長身と抜群の体力を有し、スタミナもあり、左ジャブで距離を計り、右ストレートを一発当てれば誰でも倒れる。「自分には2秒あれば良い」と豪語。12Rのうち一発の右ストレートを当てさえすればそれでおわる。左フックも強い。過去に例のない破格のハードパンチャーで終盤になってのそのスピードと威力が衰えることがない。歴代のヘビー級の中でも、とび抜けた存在である。又アウトボクシングも出来て防衛技術にも優れており、案外バランスのとれた選手でもある。ニックネームは「ブロンズ・ボマー」

 

7.ウラジミール・クリチコ 

1976年3月25年 カザフスタン セラミパラチンスク生れ。

兄のビタリとウラジミール兄弟は中流の家庭で育った。父親はソビエト空軍の大佐で母

は教師である。ビタリはアトランタ・オリンピックでに出場予定であったが、脚をけが

し際ウクライナのチームドクターが塗った軟膏に禁止薬物が含まれていた為ウラジミー

ルが代役で出場金メダルを獲得。同年ドイツでプロに転向。

2000年10月クリス・バードを下してWBOヘビー級王者となる。2度防衛したが3年3月番狂わせでコリー・サンダースに2RTKOで敗れ、4年4月レイモン・ブリュースターに5RTKO敗けでボクサー生命も終わりかと思われた。しかしビタリと並んで博士号を有しているインテリ―ボクサーである。6年クリス・バードを7RTKOに下してIBFのタイト

ルを握り3度防衛。8年2月スルタン・イブラギモフを12R判定で下し、IBF、WBOのタ

イトルを握るや、15年4月ブライアント・ジェニングスを12R判定で下して18年連続防衛を果す。6年から15年までの長期にわたって王座を保った。

その上を行くのはあのジョー・ルイス唯一人である。

ウラジミールのニックネームは「スチールハンマー」、ビタリのニックネームは「ドク

ター・アイアンフィスト」

当初ウラジミールはスタミナの配分や打たれ弱さを露呈していたが、そこは頭のよさを

存分に発揮して冷静に自己分析をし、この時代198㎝の長身はずば抜けており、長く鋭

く強い左ジャブで、相手の突進を阻み、コントロール、距離を取って常に自分の距離を

確保し自分を安全圏に置いて、大砲の如き右ストレートを打ち込む不敗のスタイルを築

いたのである。

当時ヘビー級の選手の主武器は左・右のフック、アッパーであり、ストレートボクサー

は少なかった事もあり、この戦術は実に有効なものであった。体力を消耗するフック、

アッパーは使う事なくスタミナの温存にもおさおさ怠ることがなかった。

クリチコは引退まで14度ダウンを喫しており本人は「顎の強さを証明するつもりはい。僕の顎はガラスで出来ているので気を付けているよ」と語っている。安定感から云えば

ヘビー級屈指の名選手である。尚5才年上の兄ビタリは2008年10月サミエル・ピータを8RTKOに下し、WBOのタイトルを握るや11度の防衛に成功しており引退後は政治家として活躍している。兄弟で世界のヘビー級王座を独占し続けた。15年11月28日タイソン・フューリーに判定で敗してタイトルを失った。

 

2015年11月28日

3団体統一ヘビー級タイトル・マッチ

チャンピオン ウラジミール・クリチコ vs タイソン・フューリー 

会場ドイツ デュッセルドルフ エスプリ アリーナー

チャンピオン ウラジミール・クリチコ (ウクライナ)39歳 戦跡 67戦64勝54KO 3敗分 敗れた相手はクリス・バード、コリー・サンダース、レイユン・ブリュースターで2004年以来敗けなし。18度防衛中である

挑戦者タイソン・フューリー(英国)27歳  戦跡 24戦全勝18KO 。WBO位の指名挑戦者である。

1~12Rまでフューリーのスピードと左ジャブの速さとスイッチヒッターの変現さにクリチコ闘いずらそうで、体格的に上回り、手の長さをもつ、しかもスピードを併せ持った相手を攻略する事が出来ず、終始主導権を握られたまゝお互いに有効打もないまゝ終了。

判定はフューリーに上がり、クリチコの長期政権に終止符が打たれた。

 

8.マニー・パッキャオ 

1978年12月17日 フィリピン キバウェ出身

アマチュア戦跡64戦60勝4敗 身長166㎝ リーチ170㎝

私がパッキャオ始めて見た試合は2001年IBF Sバンタム級王者リーロ・レジャバに挑戦したもので、レジャバの対戦相手が怪我の為に急拠代役として回ってきたものであった。パッキャオは98年12月WBC フライ級でチャッチャイ・サーサクンを8RTKOに下してタイトル獲得、当時19才。1回防衛した後99年9月メッグン・シンスラッドに3RKOで敗れており、世界的には無名の選手であった。王者のレジャバは99年5月タイトルを握るや5度の防衛に成功し、攻防兼備のバランスのとれた選手として長期政権が予想され、専門家の間では、軽量級のスーパースター候補であった。

しかしこの試合は予想に反してパッキャオの一方的試合となり6RTKOにレジャバを下したことからパッキャオに注目が集まった。

たゞパッキャオの試合振りはサウスポーの右ジャブを突き、左ストレートを打ち込む極めて単調なもので、その後の活躍を予想することは出来なかった。

タイトルを3回防衛した後、フェザー級に転向3年11月軽量級のスーパースター マルコ・アントニオ・バレラを11RTKOに下したが今一人のスター エリック・モラレスに5年3月に判定負け、この敗けを材料にして左ストレート一本鎗のスタイルを変更。

 

右を磨き、右フック、アッパーと攻撃の枠を拡げてモラレスとの再戦。再々戦をともにTKO、KOに下してそれまで欧米に比べて一段下に見られていたアジアに初めての世界的スーパースターの誕生をみたのである。8年3月WBC Sフェザー級で宿敵ファン・マヌエル・マスケスを2:1の僅差の判定で下すや、すぐさま同年6月WBCライト級王者ディビット・ディアスに挑戦、一方的に打ちまくって9RTKOに下した。まさに圧勝であった。こゝからパッキャオの目を見張る信じ難い快進撃が始まるのである。

 

2008年3月から10年11月Sウェルター級まで実に10.88㎏の体重を増量して突っ走るのだ。Sフェザー級からライト、S ライト級、ウェルター級、S ウェルター級と僅か2年8ヶ月の間の事であった。誰もがこれを無謀だと思った。ライト級からS ウェルター級のチャンピオン面々も同じ思いであった事だろう。フライ級(50.8㎏)の骨格の選手がどんなに体重を増やしてもパンチ力が体重に比例して強くなる事はなく、又相手のパンチ力

は一階級違っても想像以上に威力を増すのは各選手自らの体験で骨身に染みる程解っているからで、その為に脂汗をを絞って減量に励み、階級を下げることに生命を賭けているのだ。だから対戦する相手は一様にたかがフライ級上がりの選手がパンチが強いからと云って、何程のことがあるだろう。

パンチ力でも、体力でも、打たれ強さでもスタミナでも断然自分の有利は疑う事のない現実だという共通の認識のもと体力にまかせて、力づくで圧倒しようとして来たが、パッキャオの常人を超えた能力はこれらの選手の認識を粉砕して行ったのである。

 

【 獲得王座 】 

1998年12月 WBC フライ級  19才    50.8 ㎏

2001年6月  IBF S バンタム級 22才      55.34 ㎏  

2008年3月  WBC S フェザー級 29才       58.97 ㎏

  〃  年6月  WBC ライト級     29才     61.23 ㎏

2009年11月  WBC ウェルター級 30才     66.68 ㎏

2010年11月  WBC S ウェルター級 30才    69.85 ㎏

2014年4月  WBO ウェルター級 35才

2016年11月  ー 〃 -   37才

2018年7月 WBA ウェルター級 39才 

 

【 パッキャオ 伝説の試合 】

 

◎ 2006年11月 S・フェザー級12回戦

 エリック・モラレス(メキシコ)30才 戦跡 52戦48勝34KO 4敗

 vs マニー・パッキャオ(フィリピン)27才 戦跡 47戦42勝32KO 3敗2分

両者過去1勝1敗 パッキャオ 左  : モラレス 右

 

モラレスは当時軽量級のスーパースターであった。

1R 前回TKOで敗れているモラレスはパッキャオが前に出ると強いことを知っていて、自ら前進し攻勢をかける。

ロープに詰めて連打、パッキャオの左ボディストレート2発ヒット。

2R モラレスは攻撃を緩める事なく前進。両者激しく打ち合う。モラレスはパッキャオをロープに詰めて連打を仕掛けるところ、左に回ったパッキャオの左フックぎみのストレート顔面にヒットしてモラレス 1度目のダウン。

このまゝでは劣勢は免れないとみたモラレスは逃げることなく激しく打ち合う。

3R モラレスは正面からパッキャオの攻撃を受けて立ち、前に出るところ左右フックのカウンターからの連打で2度目のダウン。立上ったところ左ストレート顎に受けてロープまで飛ばされて3度目のダウン。倒れて上半身をあげたところでモラレス 力なく首を振って、そのまゝKOとなる。栄光のテリブル・モラレスと新旧交代であった。 

 

◎ 2009年5月 S・ライト級12回戦 会場 ラスベガス・グランドガーデン

 元2階級王者 リッキー・ハットン(英)28才 戦跡 46戦45勝32KO 1敗 

   (1敗は対フロイド・メィウェザー戦)

  vs  マニー・パッキャオ(フィリピン)30才 戦跡 53戦48勝36KO 3敗2分

1R ハットンは2008年にはS・フェザー級のパッキャオに対し、自分はウエルター級から1階級下げて最も力の出るS・ライト級に下げて対戦する事とした。実に7.7㎏の体重差があったのである。パンチ力も体格もスタミナも自分に敗れる要素は全くないと自信満々でこの試合に挑んできたハットンは体力にまかせてパッキャオをロープに詰め連打するところパッキャオの右フック顔面ににヒット。ハットン ダウン、更に左右のコンビネーションのあと左ストレートでハットン2度目のダウン。辛うじてゴングに救われる。

2R ハットンの意識は半ばもうろうとしているようで、しかし前に出てパンチを振うが力強さは失われており右カウンター顎にヒット、更に左フック(ストレートぎみ)の一発でハットン3度目のダウンはマットに頭を打ちつけ完全なノックアウト。意識はなくしばらく立上ることが出来なかった。実に衝撃的なノックアウトで、数多いパッキャオの試合で一番のものであろう。

 

更にこのあと

2009年11月WBOウェルター級ミゲール・コットに挑戦、一方的に打ちまくって2度のダウンの末12R TKOで下す。

2010年3月これも1敗のみの強豪ジョシア・クロッテイを”鎧袖一触” 何もさせずに大差の判定で下す。

2010年11月S・ウェルター級の王座をかけて人間風車と云われた強打でタフガイのアントニオ・マルガリートを一方的に打ちまっくって11Rにはレフリーにこれ以上は危ないから試合を止めるように催促する余裕をみせて圧勝。

その後も一時引退を挟んで現在もWBCウェルター級王座に君臨している。

ニックネームは「パックマン」

 

ボクシング界 伝説のボクサー達     2017年2月25日

 

1990年代半ばから2016年までの20年間に輩出した稀有なボクサー達、今後2人と現われる事がないであろう天才達を選出してみた。
試合の詳細はタイトル・マッチのみを記録した。なおポプキンス、パッキャオ、メイウェザーについては過去にブログで詳しく述べている。
他にミドル級全勝で17連勝防衛中のゲンナディ・ゴロフキンとプロ・アマを通じて全勝のフライ級ローマン・ゴンザレスがいるが今後を見極めたい。

 

 ここに取り上げるボクサーのラインナップ
   ☆ バーナード・ポプキンス 
   ☆ ロイ・ジョーンズ    
   ☆ ナジーム・ハメド      
   ☆ フロイド・メイウェザー  
   ☆ ワシル・ロマチェンコ
   ☆ リカルド・ロペス
   ☆ マニー・パッキャオ

 

   ***********************
 

バーナード・ポプキンス

 

1965年1月アメリカ ペンシルベニア州フィラデルフィア北部のスラム街に生れる。劣悪な生活環境の中で17歳の時、刑務所に入る。
刑期は18年刑務所内ににはボクシングジムがありスモーキーことマイケル・ウィルソンからジムに誘われて刑務所内で頭角をあらわす。各地の
刑務所より選抜された選手間で試合が盛んに行われ、ポプキンスは強豪として知れ渡る事となった。
仮釈放された彼は刑務所内のジムに通って、やがてプロデビューする事となる。
88年10月デビュー戦で判定負け。93年5月ロイ・ジョーンズとミドル級王座決定戦で敗れる。94年12月IBFミドル級王座決定戦でセグンド・
メルカドと12R引分け。94年12月セグンド・メルカドを7RTKOに下して戴冠。
以降
96年1月  スティーブ・フランク を1RTKO
96/03  ジョー・リナレスプシー を4RTKO
96/07  ウィリアム・ジェームスを4RTKO
97/04  ディビット・ジャクソン を7RTKO
97/07  グレン・ジョンソン  を11RTKO
97/11  アンドリュー・カウンシルを12R判定
98/01  サイモン・ブラウン を6RTKO
98/08 ロバート・アレン を4R無効試合
99/02 ロバート・アレン を7RTKO
99/12 アントウン・エコールズ を 12R判定
00/05 シド・バンダーブール を 12R判定
00/12 アントウン・エコールズ を 10RTKO 
01/04 IBF、WBC 統一戦
    キース・ホームズを 12R判定
01/09 IBF、WBC、WBA 統一戦
    全勝のフェリックス・トリニダードを 12RTKO
02/02 カール・オマール・ダニエルズ を 10RTKO
03/03 モラード・アッカール   を 8RTKO
03/12 ウィリアム・ジョッピー  を12R判定
04/06 ロバート・アレン     を12R判定
04/09 IBF、WBC、WBA、WBO 統一戦
    オスカー・デラホーヤ を 9RKO
05/02 ハワード・イーストマン を12R判定
05/07 ジャーメイン・ティラー に12R判定敗
05/12 ジャーメイン・ティラー に12R判定敗 
11/05 WBC、ライトヘビー級
    ジャン・パスカル を 12R判定
11/10 チャド・ドーソン に 2回無効試合
12/04 チャド・ドーソン に 12R判定敗
13/03 IBFライトヘビー級
    タボリス・クラウド を12R判定
13/10  カロ・ムトラ    を12R判定
14/04  ベイブット・シュメノフ を12R判定
14/11  セルゲイ・コバレフ   に12R判定敗

戦跡 67戦55勝32KO 8敗2分2無効試合で敗れた相手
1. プロデビュー 1戦目
2. ロイ・ジョーンズ   93/05 世界戦
3. ジャーメン・ティラー 05/07 世界戦
4. ジャーメン・ティラー 05/12 世界戦
5. ジョー・カルザゲ   08/- 
6. チャド・ドーソン   12/04 世界戦
7. セルゲイ・コバレフ  14/11 世界戦
8. ジョー・スミス    17/02 

2005年7月、12月に新鋭ジャーメイン・ティラーに2連敗、時既に40歳、そのあと2008年にジョー・カルザゲにも敗れて、43歳ポプキンスのボクシングもさすがに終りかと誰もが思っていたが、2011年5月WBCライトヘビー級 ジャン・パスカルを12R判定で下しタイトルを獲得した。時に45才。2013年3月にはIBFライトヘビー級タボリス・クラウドを下して再びタイトル。2014年4月ベイブット・シュメノフを下して49才3ヶ月でのタイトル保持者の大記録を打ち立てた。

ミドル級のタイトルを20回連続で防衛し、04年9月には他に例をみない4団体統一チャンピオンの偉業も成し遂げている。

ミドル級時代にはセオリーなしの強打者として倒せば良いの一発必倒のスタイルで、ニックネームを「エキシュキューショナー」(死刑執行人)と称し 、ダーティな試合振りで悪役に徹しつづけたことで、観客のブーイングを浴び続けてきたのである。

確かに強い事は誰もが認めるところではあったが、人気があがる事はなかった。

しかしトリニダート、デラ・ホーヤの2大スターを共にKOに下したころから人気が実力に追いついてきた。

Lヘビー級時代に入ると、力づくのボクシングから理詰めのボクシングに変身、それまで持っていた高度なテクニックと防御技術の巧みさを駆使して省エネボクシングに衣替えしたように変化していった。

ポプキンスはそれまでブーイングを浴びせられ続けて来たが、Lヘビー級時代に入って実力と人気を兼ね備えたスーパースターとなったのである。終盤の2試合等は白い仮面を被り「エイリアン」と名乗った。

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ロイ・ジョーンズ

 

88年のソウル五輪 L・ミドル級で銀メダルを獲得、89年5月にプロに転向した。

以後20戦全勝19KOで、93年5月IBFミドル級王座決定戦でバーナード・ポプキンスを判定に下して戴冠。

94/05  トーマス・ラートを  2R TKO  に下す。
94/11  IBF S・ミドル級に転向し当時ライバルのスター候補

             ジェームス・トニー を  12R判定  に下してスター街道にのる。
95/03    アントワーヌ・バードを  1R TKO  に下す。
95/06    ビニー・バシェンザを  6R TKO  に下す。 
95/09    トニー・ソーントンを  3R TKO  に下す.
96/06  エリック・ルーカスを   11R TKO に下す。
96/10  ブライアン・ブラノンを  2R KO  に下す。
96/11  WBC L・ヘビー級王座決定戦で

             マイク・マッカランを  12R判定  に下す。
97/08  モンティ・グリフィンに  9R失格  敗
97/08         〃     を  1R KO  に下す。
98/07    WBA、WBC L・ヘビー級統一戦で
     ルーテル・バーレを  12R判定 に下す。
98/11  WBA、WBC L・ヘビー級統一戦で         
     オーテス・グラントを  10R TKO  に下す。
99/01  リッキー・フレージャーを  2R TKO  にくだす。
99/06  WBA、WBC、IBFの統一戦で
    レジー・ジョンソンを  12R判定  に下す。    
00/01  デビッド・テレスコを 12R判定  に下す。  
00/05 リチャード・4ホール を  11R TKOに下す。
00/09 エリック・ハーディング を10R TKO  に下す。
01/02 デリック・ハーモンを  10R TKO  に下す。
01/07 フリオ・ゴンザレスを 12R判定 に下す。
02/02 グレン・ケリーを 7R TKO に下す。
02/09 クリントン・ウッズを  6R TKO  に下す。
03/03 WBA ヘビー級に挑戦
    ジョン・ルイスを  12R判定  に下す。
03/11 WBC L・ヘビー級
      アントニオ・ターバーを  12R判定  に下す。
04/05              〃     に  2R KO  負け.

 

ロイ・ジョーンズは防御体制を格別とるでもなく、やゝしまりのない緊張感のまるで

ないスタイルから、パワーとスピード溢れるパンチを繰り出し、対戦相手の予測を上

回って威力抜群。まさに天才肌の選手で若い頃は倒し屋であったが、次第に試合振りは

変貌して自分で満足する試合を優先してきたようである。

対フリオ・セザール・ゴンザレス戦では身体の後に両拳を隠して相手を挑発し、ゴンザレスが攻撃に出るところに右拳一閃KOに下した試合がある。


身体能力抜群で昼間はバスケットの選手として試合をこなし、夜はボクシングのタイト

ル・マッチを行い、又歌手としても活躍した。

一番輝いた試合は2003年3月WBA ヘビー級のジョン・ルイスに挑戦もので、L・ヘビー級のリミットは79.38kg、ロイ・ジョーンズは85kgに体重を増やして105kgのルイスと対決。12R大差で判定勝した。歴史的勝利であった。
しかしその後L・ヘビー級に体重を戻したが、大きな負担となって04年5月アントニオ・ターバーにまさかの2R KOに敗れ、次いでグレンコフ・ジョンソンにも敗北し一時代を画したパウンド・フォー・パウンド ジョーンズの時代は終焉を迎えたのである。

戦跡 49戦48勝38KO 1敗分(ジョン・ルイス戦まで)

(あと確か5戦して2勝3敗であるが、まるで別人となっていた) 

 

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ナジーム・ハメド

 

92/04  リッキー・ベアードを 2R  KO  に下してデビュー。
95/09 WBOフェザー級 スティーブ・ロビンソンを 8R TKO  に下し戴冠。 
96/03 サイド・ラワルを 1R TKO に下す。
96/06 ダニエル・アリセアを 2R TKO に下す。
96/08 マヌエル・メディナを  11R TKO に下す。
96/11 レミヒオ・モリナを 2R TKO に下す。
97/02 IBF、WBO 統一戦 トム・ジョンソンを 8R TKO に下す。
97/05 ビリー・ハーディーを 1R TKO に下す。
97/07 ファン・ヘラルド・カブレラを 2R TKO  に下す。
97/10 ホセ・バディーリヨを 7R TKO  に下す。
97/12 ケビン・ケリーを 4R TKO に下す。
       (アメリカ)ラスベガスデビュー
98/04 ウィルフレド・バスケスを 7R TKO に下す。 
98/10 ウェイン・マッカラーを 12R判定 に下す。
99/04 ポール・イングルを 11R TKO に下す。
99/10 セザール・ソトを 12R判定 に下す。
00/03 ブセニ・ブングを 4R KO に下す。
00/08 オーギー・サンチェスを 4R KO に下す。
00/08  タイトル返上
その後 マルコ・アントニオ・バレラに判定負けのあと引退。

 

ハメドはイェメン出身のイギリスのボクサーである。
エマニュエル・スチュワード トレーナーの元・過去に類をみない両手をだらりと下げた完全なノーガード・スタイルで相手の攻撃は総てダッキング、ウィーピングステップで

躱し、又パンチは打ちっ放し、顎はあげ無防備なスタイルで八方破れ、しかし左右ストレート・フック、特にアッパー等アクロバットボクシングであるが全階級通じての1、2
を争う威力でKOの山を築いたのである。
戦跡 36戦35勝31KO 1敗、KO率86.1%、リングに登場する時はド派手なパフォーマンスを披露しこれだけで観客を魅了した。真のエンターティナーであった。

 

尚多くのボクサーがハメドの真似をしてリングに上がったが誰一人として成功した
選手はいない。

     

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フロイド・メイウェザー

 

96年アトランタ五輪フェザー級で銅メダルを獲得し、96年10月プロデビュー

17戦全勝13KOの実績を引っさげて98年10月WBC S・フェザー級王者エナロ・フェル

ナンデスに挑戦、8R TKOに下し戴冠。

 

以降 98/12 エンジェル・マンフレディを 2R TKO に下す。
99/02   カルロス・リオスを 12R判定に下す。
99/05 ジャスティン・ジューコを 9R TKOに下す。
99/09 カルロス・ヘレナを 7R TKOに下す。
00/03 ゴーヨ・バルガスを 12R判定に下す。
01/01 ディエゴ・コラレスを 10R TKOに下す。
01/05 カルロス・エルナンデスを 12R判定に下す。 
00/11 ヘスス・チャベスを 9R TKOに下す。
                  S・フェザー級返上


02/04 WBC ライト級チャンピオン
     ホセ・ルイス・カステージョに挑戦 12R判定に下す。
02/12 ホセ・ルイス・カステージョを 12R判定に下す。   
03/04 野球選手ホセ・ソーサの弟ビクトリアノ・ソーサを 12R判定に下す。
03/11 フィリップ・スドウを 7R TKOに下す。
           タイトル返上 S・ライト級に転向 


05/06   WBCチャンピオン サンダー(雷小僧) アルツロ・ガッティに挑戦

    6R 7KOに下す。

                   タイトル返上 


06/11   ウェルター級カルロス、パルドミールに挑戦 12R判定に下す。
07/12   イギリスの人気者で実力者のリッキーハットンを10R TKOに下し

                           引 退 


11/09   復活しWBC ウエルター級のビクター・オルチスに挑戦。
    物議をかもした試合で 4R KOに下す。
12/05  WBA S・ウェルター級ミゲール・コットに挑戦 12R判定に下し

                   5階級制覇を達成 


13/09   WBA、WBC 統一戦
    サウル・カネロ・アルバレスを 2:1の判定に下す。
14/05  マルコス・マイダナを 12R判定に下す。
15/05  マニー・パッキャオを 12R判定に下す。
05/09  アンドレ・ベルトを 12R判定に下し

                     全勝のまま引退 

 

2001年この時点でS・フェザー級はWBAにキューバのホエル・カサマヨールがカウンターパンチャーのテクニシァンでいて、IBFに長身、強打のタフガイ、メキシコのディエゴ・コラレス、WBOに27戦全KO勝ちのブラジリアンボンバー アセリノ・フレイタスと4人全員が全勝で並んでいた。

 

メイウェザーの評価はボクシングは巧いが実力は3番手かとみられていた。
コラレスが体重苦でライト級への転向が決っており、その前に急にメイウェザー戦が浮上。コラレスは転向前の置き土産としてメイウェザー戦 勝利のつもりでいたが、ウェイト調整に失敗し、あげく何度もダウンを喫して10RTKOに敗れたのは誤算であった。

 

ついでライト級に転向しホセ・ルイス・カステージョに挑戦したが2、3kgの差は予想外に重くのしかゝってカステージョの体力、パンチ力に圧倒されて大苦戦を強いられ、辛うじて疑問の残る判定ではあったが、これを下した。彼の戦歴の中で最も苦しんだ試合であった。

この2試合をものにして、自信をつけたメイウェザーはその後シェーン・モズリーとの対戦での右ストレートの一撃に膝をつきかけた以外は危なげなかった。

 

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ワシル・ロマチェンコ 

 

1988年2月17日生れ ウクライナ オデッサ ビルホルド ドニストロフスキー出身。
2008年北京五輪フェザー級で金メダリ、2012年ロンドン五輪ライト級で金メダル。
アマチュア戦跡 397戦396勝 1敗、唯一負けたアルベルト・セリモフにも2度雪辱している。プロ転向2戦目にWBOフェザー級オルランド・サリドに挑戦、サリドは体重調整に失敗したが、試合は2:1でロマチェンコはタイトル獲得に失敗した。

しかしサリドは体重リミットを守れず失格、タイトルを失っている。

ロマチェンコのターゲットとしたサリドは難敵中の難敵で粘り強く、タフで不屈の魂を持った稀有の選手で、悪い相手を選んだものだ。

空位となったタイトルをゲイラー・ラッセルと戦い3戦目にWBOフェザー級タイトル

保持者となった。


2016年7月WBOフェザー級ローマン・マルチネスに挑戦、戦慄の5R KOに下して

2階級制覇。
2016年12月ドネアをKOに下した豪腕全勝のニコラス・ウォータースを8R TKOに

下してその実力を天下に示し、人気も急上昇している。


サウスポーの天才で、至近距離で闘うが相手のパンチはほとんど喰わない。
まるで氷上を滑るように、しかも最少の動きで試合を組み立て、ショートパンチを

中心に、的中率切れ味ともにプロに馴染むに従って凄みも増し見事と云うしかない

ボクシングを披露しており、今後ともボクシング界を背負って立つスーパースター

となった。
歴代アマチュアボクシング界最高の選手の折り紙付きでプロ入りしたがプロでもその

評価に恥じない選手である事を証明している。
     

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リカルド・ロペス

 

アマ40戦40勝28KO。1985年1月プロ・デビュー。

90年10月 WBCミニマム級 大橋秀行を 5R TKO勝ちで戴冠。
91/05   平野公夫を 8R TKOに下す。
91/12    李 敬渕を 12R判定に下す。
92/03   ドミンゴ・ルーカスを 12R判定に下す。
92/08   シンプラサート・キティカセムを 5R KOに下す。
92/10   ロッキー・リンを 2R KOに下す。
93/03 呉 光洙を 9R TKOに下す。
93/07 サマー・ソーチャトロンを 2R TKOに下す。
93/12 マニー・メルチョーを 11R KOに下す。
94/05 ケルミン・グアルティアを 12R 判定に下す。
94/09   ヨドシン・センガーモロコットを 1R TKOに下す。
94/11   ハビエル・バルゲスを 8R TKOに下す。
94/12   ヤミル・カラバリョを 1R KOに下す。
95/04   アンディ・タバナスを 12R TKOに下す。
96/03   アラビア・モアを 8R TKOに下す。
96/06   キティチセィ・ブリーチャを 3R KOに下す。
96/11  モーガン・ニドゥモを 6R TKOに下す。
96/12   朴 明曼を 1R TKOに下す。
97/03   モンコン・チャレオンを 12R判定に下す。
97/08   WBC、WBO 統一タイトル・マッチ
    アレックス・サンチェスを 4R TKOに下す。
         WBO王座剥奪


98/03   WBA、WBC 統一戦
    ロセンド・アルバレス 7R引分け
98/11   ロセンド・アルバレス 12R判定に下す。

                          WBC剥奪


99/12   IBF、L・フライ級 
      ウィル・グリッグスピーを 12R判定に下す。
00/12   ラタナポン・ウォラビンを  3R TKOに下す。

01/09   ソラン・ペテンを     8R KOに下す。
02/11           引 退 

 

タイトルを取ってから一試合毎に欠点を修正して完璧に近づけた。
リングに出るときはコーナーで高くガードを掲げて構え、アウトボクシングで
軽やかにステップを踏みウィービング・ダッキングも駆使、長い左ジャブで相手を
コントロール、左・右ストレート、フック、長短のアッパーをいずれも一発必倒の
切れ味を有して接近戦を許さず、クリンチや乱戦を極端に嫌い、常に自分の距離を
保って闘った。

危険を犯さずに冷静に相手の状態をみきわめて、なお70%を超えるKO率を誇った。
ニックネームは「精密機械」と評し、プロ・アマ通じて全勝のまゝ引退。


強さの為対戦相手に苦慮してファイトマネーは上らず、実力に比して名声、経済的
に必ずしも恵まれなかった。10年に亘りミニマム級の体重を維持。

試合のあとは打ち上げパーティ等は一切せずに、ホテルに引き上げて節約に努めた

という。

 

長い時間をかけて自身を精密機械に作り上げていったストイックな選手であった。
戦跡 51戦50勝37KO 1分。
    

        ********************

        

マニー・パッキャオ

 

1978年12月フィリピン ブキドノン出身。

1998年12月 WBCフライ級 チャチャイ・サークサンを 8R TK0で戴冠
99/09  メッグン・シンスラットに 3R KO 負
01/06   IBF S・バンタム級 リーロ・レジャバを 6R TKOに下す。
02/06   ホルヘ・フリオを 2R KOに下す。
02/10   ファーブラコム・ラキッドジムを 1R KOに下す。
03/03   エマニュエル・ルケロを 3R TKOに下す。
        返上 WBC S・フェザー級
08/03   ファン・マヌエル・マルケスを 12R判定に下す。
        返上 WBC S・ライト級へ
08/06   ディビット・ディアスを 9R KOに下す。
        返上 WBOウェルター級
09/11   ミゲール・コット  12RTKOに下す。
10/03   ジョシア・クロッティを  12R判定に下す。
10/11   空位のWBC S・ウェルター級王座決定戦
    アントニオ・マルガリートを 12R判定に下す。
        ウェルター級に戻る
11/05  シェーン・モズリーを 12判定に下す。
11/11  ファン・マヌエル・マルケスを 12R判定に下す。
14/04  ティモシ・ブラッドリーを 12R判定に下す。
14/11  クリス・アルジェリを 12R判定に下す。
15/05  WBC、WBA、WBO統一戦
    フロイド・メイウェザーに 12R判定負け
          引 退
16/11  復活 WBO ウェルター級
     ジェシー・バルガスを 12R判定に下し
     16年末でのタイトル奪冠
戦跡 67戦59勝38KO 6敗2分

 

パッキャオは  フライ級      50.80kg  98年12月
               S・バンタム級  55.34kg  01/06
                     S・フェザー級  58.97kg  08/03
                     ライト級      61.23kg     08/06
                     ウェルター級    66.68kg     09/11
                     S・ウェルター級   69.85kg  10/11

 

この間10階級にまたがって6階級を制したのである。特にS・フェザー級からS・ウェルター級まで2年間で11kgの増量を成し遂げた。都合19kgの驚異的な増量であり、

クラスを上げる度にいきなりタイトル・マッチの連続であった。

その都度もう無理と言われ続けてきた。何しろ対戦する相手が自分よりはるかに体格の

勝る選手ばかりであったのだから。

 

従来一階級上げただけでも大変な世界であった。それを準備期間をもうけて馴らした

上での挑戦の数々ではないのである。そもそもフライ級の骨格の選手からS・ウェルター級で闘うことそのものが有り得ない事態であったのである。


同じ6階級制覇であってもオスカー・デラホーヤは当初から目指しておりS・フェザー級
から始めてミドル級まで13.6kgでオリンピック金メダリストとして大切に育てられ、
対戦相手も慎重に選ばれて、御しやすい相手、名のある盛りの過ぎた相手をターゲット
とした為に順調に勝ち進んでいき、実力も次第についてきたのであるのと比べると、
パッキャオはどの試合も圧倒的不利と言われ続けるなかで奇蹟のように勝ち進んでいった全く条件の異なる状況であったのである。


デラ・ホーヤは再び現われるであろうが、パッキャオはまさに異能のボクサーで今後

決して現われる事の無いボクサーであるのは断言できる。
事実、パッキャオに有能なマネージャーが付いていれば10階級制覇となっていたの

だから。