和田 大諷

東京葛飾区金町在住

佛画・書・刻字・篆刻を制作

20数回の個展を都内、ひたちなか、ロスアンゼルス、サンクトペテルブルグで開く。過去の個展は展示会の項目をご覧ください。

 

2021年鳩居堂の個展(2021年3月30日~4月4日予定)は延期となりました。新たな開催予定が決まりましたら

本ページにてお知らせ致します。

  

著作 

 2014年2月

  「大諷の映画狂時代」

  2018年1月「大諷のへそ曲り

            読書日記」

  2019年7月  「大諷の観音の道」

  2020年11月  「大諷の無辺楽事」

 

ボクシングは若い頃からのファンにして、頭の中に過去の試合やボクサーの名前が詰まっている。

毎週月曜日のTV観戦記の記事は公平な目での厳しい批評が面白い。世界戦代表的試合は殆ど欠かさずアップしています。

 

 

ボクシング 名選手たちの足跡をみる    2020年8月

ボクシングの歴史と私の思い    2020月12月9日

1.ボクシングが今日に至るまで

ボクシングは古代ギリシアで行われた古代オリンピックの正式種目で、ホメロスの叙事

詩「イーリアス」にも登場する。古代ローマでは日々の生活で楽しまれた娯楽であったが、文献の中にボクシングが現れるのは17世紀後半となる。当時のボクシングは現代のものと全く別のスポーツであったようだ。

ジャック・ブロートンが1743年に導入したルールが以後100年に亘って試合の基準となっていった。

19世紀に入って試合を観戦すると共に、沢山の掛け金が動くボクシングに魅せられた多くの人々が集まるようになりボクサー達の報酬も驚くほど増えていった。

19世紀半ばになると、人気ボクサーの引退や、怪我人の続出で人気は衰退観客も減り、ボクサーの報酬も少なくなってくる。

1867年クインズベリー・ルールなるものが導入されて、グローブを着用、組み合う事を禁じ、1ラウンド3分間に1分の休憩を挟む事としたが決着がつくまで試合は続けられ等

旧弊も生き続けていたが、興行主は商業ベースでボクシングをとらえるようになり、試合のラウンド数を決めておく事、KOで決まらない場合はどちらが優勢であったかをポイント制で判定する事などが決められていった。

しかしボクシングは社会が安定するにつれて次第に衰退してくる。ボクシングは常に否

定的、悪の臭いが付きまとっておりマフィア等裏社会と繋がりがあり、賭けの対象となり、八百長が常習化していたからだ。

しかし、路上生活者のような身分からヘビー級チャンピオンにのし上がった多くのアメ

リカの伝説は同じようなに貧乏から身を起した多くの人々に励ましを与え続けて来たの

である。

 

1920年代のジャック・デンプシー、30年代のヘンリー・アームストロング、40年代のジョー・ルイス、50年代のロッキー・マルシアノ、80年代のマーベラス・マービック・ハグラー、ヒットマン トーマス・ハーンズ、シュガー・レイ・レナード達である。

 

やがて主流だったアメリカから次第にヨーロッパ特にイギリス、北欧、東欧、中南米に

ボクシングは広まって行くに従い、社会的に認知されるスポーツとして一般の人達にも

楽しまれるようになってくる。

60年代後半から70年代半ば「蝶のように舞い蜂のように刺す」のフレーズで従来のヘビー級にない軽やかなステップを踏み、シャープなパンチを繰り出し、大言壮語し、ベトナム戦争への徴兵を拒否した「カリスマ」モハメド・アリ、80年代から90年代に恐怖のパンチ力をもって対戦相手を戦慄させたアイアン・マイク・タイソン等登場してボクシング熱は大いに盛り上がった。

そして90年代中量級で6階級を制したオリンピック金メダルを引っさげてプロ入りした

ゴールデン・ボーイ オスロ―・デラ・ホーヤの登場をみる。甘いマスクとスタイリッシュで華麗なテクニック、試合後の垢抜けしたコメント等でそれまでボクシングに縁のな

かった層、特に女性のファンを引きつけボクシングファン層が大きく拡がった。

ボクシングの社会的認知度が急速に上がったのである。

 

2.ボクシングへの思い

ボクシングに対する関心は10代の頃から持っていたが、試合をみる事は無論の事、テレビでも放映されることは殆んどなかった。時折映画のニュースで上映されるくらいで

あった。

しかしその中で1960年6月20日ニューヨークで行われたインゲマル・ヨハンソンにリターンマッチを挑んだフロイド・パターソンが5RでヨハンソンをKOに下した試合で、倒れたヨハンソンの足が痙攣しているのを見て強い印象を受けたのを今でも思い出す。

WOWOWでボクシング放映を行うのを知って、すぐに契約した。以来30年が経つ。

  

名選手たちの足跡をみる           2020年11月

1.モハメド・アリ 2.マイク・タイソン 3.ロイ・ジョーンズ Jr. 4..ゲンナディ・ゴロフキン 6.デオンティ・ワイルダー 7.ウラジミール・クリチコ

1.モハメド・アリ

モハメド・アリはスポーツの領域を超えた存在である。アメリカ国内では彼の姿勢に対し賛否両論激しいものがあった。アリは1960年ローマオリンピックで金メダルを獲得し帰国直後に南部のレストランで入店を拒否され、金メダルを川に投げ捨てた時から態度が一変する。その後アリがまだその「奴隷名」であるカシアス・クレイで通っていた頃はボクシング界も苦境にあった。当時は全米各地のボクシング・ジムは廃業に追い込まれるところが多く、テレビ局もボクシング放映をしたがらなかった。アメリカ上院の州間通商における組織犯罪に関する特別委員会がボクシング界が腐敗にまみれていると警告した事も大きかった。アリは大言壮語、コメディ、革新的スタイル、何よりも天賦の才能をミックスし、ボクシングの頽廃的風潮を蘇生させたボクサーでもある。

クレイは手をぶらりと下げ、軽やかなステップを踏み相手を翻弄、ボクシングに新しいスタイルを持ち込み、ヘンリー・クーパーを下して勢いに乗ると、次戦で「最強にして最凶」と称されたソニー・リストンと対戦、クレイの勝算は殆んど見込めないと思われたがリストンはクレイの電光のような攻撃に翻弄され6R終了時に肩の痛みを理由に試合を棄権する。再試合でも初回に返り討ちのKO敗けを喫した。試合のあと、クレイは自分はイスラム教徒でありモハメド・アリと名前を変えると公表。アリは欧州で3度、カナダで1度、アメリカで5度タイトルを防衛。実力の程を証明した。又ベトナム戦争に対する徴兵拒否を表明「私はベトコンと戦う理由がない」とアメリカの風潮に逆らったゝめボクシングの統括団体はすぐにライセンスを剥奪し、取り戻すのに3年を要したのである。

1971年3年振りの試合はジョー・フレイジャーに判定負けで初の1敗。しかしアリは再起し1974年10月30日フレージャーに代わってヘビー級の王者となっていたジョージ・フォアマンとザイールで対戦。フォアマンをKOして世界に驚愕を与えるた。1975年10月10日のジョー・フレイジャー戦を14R KOに下すとアリに衰えが見え始め最後の世界戦1980年10月2日ラリー・ホームズ戦に10R TKOに敗れ、翌年トレバー・バービック戦を最後に引退する。通算成績62試合56勝6敗

2016年6月30日米アリゾナ州の病院で死去74才。オバマ大統領は「モハメド・アリは世界を揺るがした。そしてそれによって世界はより良い場所になった。ベトナム戦争への反対や、信仰を理由に米軍への入隊を拒否して王座を失っても立場を貫き、やがて復活して勝利したことが、今日の米国に私たちを慣れさせてくれた」と声明を出した。

アメリカは自身がボクシング界から追放したアリに対して2005年11月市民に与える最も栄誉ある勲章「大統領自由勲章」を与えている。

アメリカ政府がアリに頭をさげたのである。

 

モハメド・アリ 世界タイトル・マッチ一覧

1964年  2月  ソニー・リストン   6RTKO

1965年  5月    同上      1RKO

1965年11月 フロイド・パターソン 12RTKO

1966年  3月 ジョージ・シュバロ  15R判定

1966年  5月 ヘンリー・クーパー  6RTKO

1966年  8月 ブライアン・ロンドン 3RKO

1966年  9月 カール・ミルデンバーガー 12RTKO

1966年11月   クリーブランド・ウィリアムズ  3RTKO

1967年  2月 ア―ニー・テレル    15R判定

1967年  3月 ゾラ・フォーリー    7RKO

1971年  3月 ジョー・フレージャー  15R判定負け

1974年10月 ジョージ・フォアマン  8RKO

1975年  3月 チャック・ウェブナー  15RTKO

1975年  5月 ロン・ライル      11RTKO

1975年  6月 ジョー・バーグナー   15R判定

1975年10月 ジョー・フレイジャー  14RTKO

1976年  2月 ジャン・ピエール・クープマン 5RKO

1976年  4月 ジミー・ヤング     15R判定

1976年  5月 リチャード・ダン    5RTKO

1976年  9月 ケン・ノートン     15R判定

1977年  5月 アルフレッド・エバンジェリスタ 15R判定

1977年  9月 アニー・シェーバーズ  15R判定

1978年  2月 レオン・スピンクス   15R判定負け

1978年  9月 レオン・スピンクス   15R判定

1980年10月 ラリー・ホームズ    10RTKO負け

1981年   トレバー・バービック    負け

 

 

2.マイク・タイソンの戦跡  

1985年  3/6     ヘクター・メルセデス   1RTKO

      4/10      トレンド・シングルトン  1RTKO

      5/23  ドナルド・ハルピン      4RKO

      6/20  リッキー・スペイン      1RTKO

      7/11  ジョン・アルダーソン     2RTKO

     7/19  ラリー・シムズ        3RTK

      8/15  ロレンゾ・キャナディ     1RTKO

      9/5    マイケル・ジョンソン    1RKO

     10/9   ドニ―・ロング         1RKO

     10/25  ロバート・コーリー      1RKO

     11/ 1   スターリング・ベンジャミン 1RTKO     

           11/13   エディ・リチャードソン  1RKO

       11/22  コンロイ・ネルソン   2RTKO

     12/ 6    サム・スカフ           1RTKO

     12/27  マーク・ヤング         1RTKO

 

1986年  1/11  ディビッド・ジャコ     1RTKO

    1/24  マイク・ジェームソン   5RTKO

    2/16  ジェシー・ファーガソン  6RTKO

    3/10  スティーブ・ゾウスキー  3RKO

    5/3    ジェームス・ティリス    10R判定

    5/20  ミッチェル・グリーン    10R判定

    6/13  レジー・グロス       1RTKO

    6/28  ウィリアム・ホシー     1RKO

    7/11  ロレンゾ・ボイド      2RKO

    7/26  マービス・フレージャー   1RKO

    8/17  ホセ・リバルク       10RTKO

    9/6    アルフォンソ・ラトリフ   2RTKO

    11/22  トレバー・バービック    2RTKO WBC ヘビー級王座挑戦・獲得

 

1987年 3/7  ジェームス・スミス   12R判定 WBAヘビー級王座、WBC防衛

     5/30 ピンクロン・トーマス    6RTKO   WBA、WBC 防衛

     8/1   トニー・タッカー     12R判定  IBF、WBA、WBC 王座

     10/16  タイレル・ビッグス   7RTKO

 

1988年 1/22  ラリー・ホームズ    4RTKO

     3/21 トニー・タップス     2RKO

     6/27  マイケル・スピンクス    1RKO

 

1989年 2/25  フランク・ブルーノ     5RTKO

     7/21  カール・ウイリアムス  1RTKO

 

1990年 2/11  ジェームス・ダグラス 10RTK 負け  全タイトル失う                             6/16  ヘンリー・ティルマン   1RKO

    12/8  アレックス・スチュワート 1RTKO

 

1991年 3/18 ドノバン・ラドッグ    7RTKO

     6/28      〃      12R判定

 

1995年 8/19 ピーター・マクニーリー  1R失格

    12/16 バスター・マシス Jr       3RKO

 

1996年 3/16 フランク・ブルーノ  3RTKO  WBC王座獲得

     9/7  ブルース・セルドン  1RTKO

    11/9 イベンダー・ホリフィールド 11RTKO負け タイトル失う

 

1997年 6/28  イベンダー・ホリフィールド 3R失格

 

1999年 1/16  フランソワ・ボタ  5RKO

    10/23 オーリン・ノリス  1RNC

 

2000年 1/29 ジュリアス・フランシス 2RTKO

     6/24 ルー・サバリーゼ      1RTKO 

 

        【  48勝 42KO 3敗 1NC 】 

 

2002年 6/8 レノックス・ルイス 8RKO負け

           

        【  58試合 50勝 2無効試合 6敗 】

 

その後ダニー・ウイリアムス、ケビン・マグブライトにKO敗け, 2005年に引退。

 

少年時代に強盗や暴力事件を繰り返し少年拘置所や保護施設に出入所を繰り返しており、13才で少年院に収容され、16才まで拘束のところトレーナーのガス・ダマトに才能を認められ身元引受人となって14才で出所。

1991年6月トノバン・ラトックを破ったあと、美人コンテストの出場者をレイプし6年の禁固刑を受け、95年に釈放されるまで3年以上収監される。

更に1997年WBA、タイトル戦で対戦相手インベーダー・ホリフィールドの耳の一部を噛み切って失格負けを喫している。

過去に犯罪歴を有しるボクサーは少ないが、少年時代から引退近くまで、これ程の犯罪を繰り返した選手は彼しかいない。そうした点で特異な選手でもある。

 

3.ロイ・ジョーンズ JR 

1969年1月16日 米国フロリダ州ペンサコーラ出身

父親のジョーンズ・シニアは1977年マービン・ハイラ―と戦っているミドル級の実力者であった。1988年のソウルオリンピックでは不当と思われる判定で銀メダルに終わっている。1993年IBFのベルトを手にするや〇94年にはS・ミドル級でスーパースターの呼び声の高かったジェームス・トニーを下しタイトルを手にする。5度防衛をのあとマイク・マッカラムを下してLヘビー級のタイトルを手にする。当時のロイ・ジョーンズは

誰もが認めるパウンド・フォー・パウンドで負ける姿が想像できないボクサーであり、2003年にはヘビー級に挑戦。Lヘビーのリミッド79.38㎏~85㎏で増量して戦ってこれに圧勝。すぐにLヘビー級に戻したが年齢を重ねたボクサーにとってこの減量は思った

以上にダメージが重く、続くアントニオ・ターバーに辛くも判定に下したが、2004年5月衝撃のKO負けを喫しついでグレンコフ・ジョンソンにもKO負けをしてジョーンズの栄光も終わりを告げた。その後も試合を続けたが惨憺たる結果が待っていた。

しかしクルーザー級から体重をあげて慣らし試合を数試合してヘビー級で成功した選手はいるが、Lヘビー級のまゝヘビー級で王座についたのは実に100年振りで史上二人目の偉業であった。

 

ロイ・ジョーンズの戦跡

1989年   5/6  プロ一戦リッキー・ランドールを2RTKOに下すや 

      6/11 スチーブン・ジョンソンを8R TKOに 

            9/3   ロン・アムンゼンを7RTKO、

          11/30  ディビット・マクラウスキを2RKO。

 

1990年   1/8   ジョー・エデンを2RKO、

             2/28 ビリー・ミッチャムを2RTKO  

     3/28 ノックス・ブラウンを3RTKO

     5/11 ロン・ジョンソンを2RKO

     7/14 トニー・ワドレスを1RKO

     9/25 ロリン・ウイリアムスを4RKO

      11/8  レジー・ミラーを5RKO。

 

1991年  1/31 リッキー・スタックハウスを1RKO 

       4/13 エディ・エバンスを3RTKO

       8/3  ケルビン・ダイグルを2RTKO

       8/31 レスター・ローブローを9RKO

 

1992年  1/10 ホルヘ・バロを1RKO

      4/3   アート・セワーノを1RTKO 

              6/30 ホルヘ・カストロを10R判定

      8/18 グレン・トーマスを8RTKO

              12/5  バーシ―・ハリスを4RKO。

 

1993年     2/13   グレン・ウォルフェを1RTKO

               5/22 バーナード・ポプキンスを12R判定に下しIBFミドル級王座につく。

       8/14 シュガー・ボーイ・マリンガ 8RKO 

        11/30 フェルミン・チリノ 10R判定

 

1994年    3/23  ダニエル・ガルシア 6RKO

      5/27 トーマス・ラート 2RTKO

        11/18 ジェームス・トニー12R判定 IBF Sミドル級王座

 

1995年    3/18 アントニー・ハード 1RTKO 

      6/24 ビニ・パシエンザ6RTKO 

      9/30 トニー・ソーントン3RTKO

 

1996年   1/12 メルキ・ソーサ2RTKO 

      6/15 エリック・ルーカス11RTKO

       10/4  ブライアント・ブラノン2RKO

             11/22 マイク・マッカラム12R判定 WBC、IBF Sミドル級王座

 

1997年    3/21 モンテル・グリフィン 9R失格負け

              (ダウンした相手に追撃パンチが止まらず)

       8/7   モンテル・グリフィン1RKO  WBC王座獲得

 

1998年     4/25 バージル・ヒル4RTKO

       7/18 ルイス・デルバレ12R判定  WBA、WBC 統一戦

              11/14 オーテス・グラント10RTKO

 

1999年   1/9  リック・フレージャー2RTKO 

               6/5  レジー・ジョンソン12R判定 WBA、WBC、IBF王座

 

2000年      1/15 ディビット・テレコス12R判定 

       5/13 リチャード・ホール11RTKO 

       9/9   エリック・ハーディング10RTKO

 

2001   2/24 デリック・ハーモン10RTKO 

      7/28 フリオ・ゴンザレス12R判定。

 

2002年  2/2  グレン・ケリー7RKO

              9/7  クリントン・ウッズ6RTKO  ヘビー級出場の為王座返上

 

2003年  3/1 WBAヘビー級に挑戦12R判定ジョン・ルイスを下し、

                                                      Lヘビー級に復帰。

     11/8 アントニオ・ターバー12R判定 WBCLヘビー級タイトル。

 

2004年  5/15 アントニオ・ターバーに2RKO判定負け。 

 

4.ゲンナジー ゴロフキン 

カザフスタン カラガンダ生れ 1982年4月8日 

正式名 ゲンナジー・ゲンナジーヴィッチ・ゴロフキン

兄のセルゲイとワデイムの勧めによってボクシングを始めた。二人の兄はロシア軍に従軍して死亡している。

アマチュア 戦跡 345戦5勝 2004年のアテネオリンピックの銀メダリスト。2006年にプロに転向、トレーナーのアベル・サンチェスと組む。

2010年 8/14 ミルトン・ヌネス 1RKO (WBA世界ミドル級暫定タイトルマッチ)

    12/16 ニルソン・タピア 3RKO 

 

2011年 6/17 カシム・オウマ 10RTKO

    12/9  ラジュアン・サイモン 1RKO

 

2012年 5/12 渕上 誠  3RTK0

      9/1  グジュゴシ・プロクサ 5RTKO

 

2013年 1/19 ガブリエル・ロサード 7RTKO

     3/30 石田 順裕       3RKO

     6/29 マシュー・マックリン  3RKO

 

2014年 2/1  カーライヌ・スティーブンス 8RTKO

     7/26 ダニエル・ゲール  3RTKO (スーパー王者に昇格)

    10/18 アントニオ・ルビオ 2RKO(WBAスーパー、WBC王者)

 

2015年 2/21 マーティン・マレー 11RTKO

     5/16  ウィリー・モンローJR 6RTKO

    10/19 ディビット・レミュー 8RTKO

    12/7 ロムロ・コアシャカ 7RKO

 

2016年 4/24 ドミニク・ウェイド 2RKO

     9/12  ケル・ブルック 5RTKO

 

2017年 3/19 ダニエル・ジェイコブス 12R判定

     9/17 カネロ・アルバレス  12R引き分け

 

2018年 9/16  同上        2:00で判定負け

 

ミドル級18連勝のうち17連続KOは歴代世界1位のウィルフレッド・ゴメスが記録し

ている。17連続KO防衛に並んだもので3位はL・ヘビー級ミハイル・メウスキ―の

14回である。その記録は価値は限りなく高いものである。

 

6.デオンティ・ワイルダー 

1985年10月22日 米国 アラバマ州タスガルーサ生れ。

10代の頃はバスケットボールとアメリカンで将来を嘱望されていたが、娘のナイエガが脊髄破裂で生まれた後19才で大学のスポーツを止める。

2005年ボクシングを始め、北京オリンピックで銅メダルを獲得。ゴールデンボーイ・プロモーションと契約してプロに転向、デビューから12試合のうち10試合を1ラウンドで終わらせている。15年バーメイン・スタイバーンに判定勝ちしてWBCのベルトを手に入れた。ヘビー級のタイトルを実に7年振りにアメリカにもたらしたのである。

それまでは32試合は総て4R以内にKOしている。以後9回の防衛戦を総てKOに終わらせて、10回目の試合はタイソン・フューリーで2回のダウンを奪ったが引分けに終わる。20年2月2戦目の対戦でとなったが7R1分け39秒はじめてのレフリーストップで初の1敗タイトルを失った。この時点で44戦跡42勝41KO1敗1分け。

ワイルダーは201㎝の長身と抜群の体力を有し、スタミナもあり、左ジャブで距離を計り、右ストレートを一発当てれば誰でも倒れる。「自分には2秒あれば良い」と豪語。12Rのうち一発の右ストレートを当てさえすればそれでおわる。左フックも強い。過去に例のない破格のハードパンチャーで終盤になってのそのスピードと威力が衰えることがない。歴代のヘビー級の中でも、とび抜けた存在である。又アウトボクシングも出来て防衛技術にも優れており、案外バランスのとれた選手でもある。ニックネームは「ブロンズ・ボマー」

 

7.ウラジミール・クリチコ 

1976年3月25年 カザフスタン セラミパラチンスク生れ。

兄のビタリとウラジミール兄弟は中流の家庭で育った。父親はソビエト空軍の大佐で母

は教師である。ビタリはアトランタ・オリンピックでに出場予定であったが、脚をけが

し際ウクライナのチームドクターが塗った軟膏に禁止薬物が含まれていた為ウラジミー

ルが代役で出場金メダルを獲得。同年ドイツでプロに転向。

2000年10月クリス・バードを下してWBOヘビー級王者となる。2度防衛したが3年3月番狂わせでコリー・サンダースに2RTKOで敗れ、4年4月レイモン・ブリュースターに5RTKO敗けでボクサー生命も終わりかと思われた。しかしビタリと並んで博士号を有しているインテリ―ボクサーである。6年クリス・バードを7RTKOに下してIBFのタイト

ルを握り3度防衛。8年2月スルタン・イブラギモフを12R判定で下し、IBF、WBOのタ

イトルを握るや、15年4月ブライアント・ジェニングスを12R判定で下して18年連続防衛を果す。6年から15年までの長期にわたって王座を保った。

その上を行くのはあのジョー・ルイス唯一人である。

ウラジミールのニックネームは「スチールハンマー」、ビタリのニックネームは「ドク

ター・アイアンフィスト」

当初ウラジミールはスタミナの配分や打たれ弱さを露呈していたが、そこは頭のよさを

存分に発揮して冷静に自己分析をし、この時代198㎝の長身はずば抜けており、長く鋭

く強い左ジャブで、相手の突進を阻み、コントロール、距離を取って常に自分の距離を

確保し自分を安全圏に置いて、大砲の如き右ストレートを打ち込む不敗のスタイルを築

いたのである。

当時ヘビー級の選手の主武器は左・右のフック、アッパーであり、ストレートボクサー

は少なかった事もあり、この戦術は実に有効なものであった。体力を消耗するフック、

アッパーは使う事なくスタミナの温存にもおさおさ怠ることがなかった。

クリチコは引退まで14度ダウンを喫しており本人は「顎の強さを証明するつもりはい。僕の顎はガラスで出来ているので気を付けているよ」と語っている。安定感から云えば

ヘビー級屈指の名選手である。尚5才年上の兄ビタリは2008年10月サミエル・ピータを8RTKOに下し、WBOのタイトルを握るや11度の防衛に〇〇しており引退後は政治家として活躍している。兄弟で世界のヘビー級王座を独占し続けた。15年11月28日タイソン・フューリーに判定で敗してタイトルを失った。

 

2015年11月28日

3団体統一ヘビー級タイトル・マッチ

チャンピオン ウラジミール・クリチコ vs タイソン・フューリー 

会場ドイツ デュッセルドルフ エスプリ アリーナー

チャンピオン ウラジミール・クリチコ (ウクライナ)39歳 戦跡 67戦64勝54KO 3敗分 敗れた相手はクリス・バード、コリー・サンダース、レイユン・ブリュースターで2004年以来敗けなし。18度防衛中である

挑戦者タイソン・フューリー(英国)27歳  戦跡 24戦全勝18KO 。WBO位の指名挑戦者である。

1~12Rまでフューリーのスピードと左ジャブの速さとスイッチヒッターの変現さにクリチコ闘いずらそうで、体格的に上回り、手の長さをもつ、しかもスピードを併せ持った相手を攻略する事が出来ず、終始主導権を握られたまゝお互いに有効打もないまゝ終了。

判定はフューリーに上がり、クリチコの長期政権に終止符が打たれた。

 

ボクシング界 伝説のボクサー達     2017年2月25日

 

1990年代半ばから2016年までの20年間に輩出した稀有なボクサー達、今後2人と現われる事がないであろう天才達を選出してみた。
試合の詳細はタイトル・マッチのみを記録した。なおポプキンス、パッキャオ、メイウェザーについては過去にブログで詳しく述べている。
他にミドル級全勝で17連勝防衛中のゲンナディ・ゴロフキンとプロ・アマを通じて全勝のフライ級ローマン・ゴンザレスがいるが今後を見極めたい。

 

 ここに取り上げるボクサーのラインナップ
   ☆ バーナード・ポプキンス 
   ☆ ロイ・ジョーンズ    
   ☆ ナジーム・ハメド      
   ☆ フロイド・メイウェザー  
   ☆ ワシル・ロマチェンコ
   ☆ リカルド・ロペス
   ☆ マニー・パッキャオ

 

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バーナード・ポプキンス

 

1965年1月アメリカ ペンシルベニア州フィラデルフィア北部のスラム街に生れる。劣悪な生活環境の中で17歳の時、刑務所に入る。
刑期は18年刑務所内ににはボクシングジムがありスモーキーことマイケル・ウィルソンからジムに誘われて刑務所内で頭角をあらわす。各地の
刑務所より選抜された選手間で試合が盛んに行われ、ポプキンスは強豪として知れ渡る事となった。
仮釈放された彼は刑務所内のジムに通って、やがてプロデビューする事となる。
88年10月デビュー戦で判定負け。93年5月ロイ・ジョーンズとミドル級王座決定戦で敗れる。94年12月IBFミドル級王座決定戦でセグンド・
メルカドと12R引分け。94年12月セグンド・メルカドと7RTKOに下して戴冠。
以降
96年1月  スティーブ・フランク を1RTKO
96/03  ジョー・リナレスプシー を4RTKO
96/07  ウィリアム・ジェームスを4RTKO
97/04  ディビット・ジャクソン を7RTKO
97/07  グレン・ジョンソン  を11RTKO
97/11  アンドリュー・カウンシルを12R判定
98/01  サイモン・ブラウン を6RTKO
98/08 ロバート・アレン と4R無効試合
99/02 ロバート・アレン を7RTKO
99/12 アントウン・エコールズ を 12R判定
00/05 シド・バンダーブール を 12R判定
00/12 アントウン・エコールズ を 10RTKO 
01/04 IBF、WBC 統一戦
    キース・ホームズを 12R判定
01/09 IBF、WBC、WBA 統一戦
    全勝のフェリックス・トリニダードを 12RTKO
02/02 カール・オマール・ダニエルズ を 10RTKO
03/03 モラード・アッカール   を 8RTKO
03/12 ウィリアム・ジョッピー  を12R判定
04/06 ロバート・アレン     を12R判定
04/09 IBF、WBC、WBA、WBO 統一戦
    オスカー・デラホーヤ を 9RKO
05/02 ハワード・イーストマン を12R判定
05/07 ジャーメイン・ティラー に12R判定敗
05/12 ジャーメイン・ティラー に12R判定敗 
11/05 WBC、ライトヘビー級
    ジャン・パスカル を 12R判定
11/10 チャド・ドーソン に 2回無効試合
12/04 チャド・ドーソン に 12R判定敗
13/03 IBFライトヘビー級
    タボリス・クラウド を12R判定
13/10  カロ・ムトラ    を12R判定
14/04  ベイブット・シュメノフ を12R判定
14/11  セルゲイ・コバレフ   に12R判定敗

戦跡 67戦55勝32KO 8敗2分2無効試合で敗れた相手
1. プロデビュー 1戦目
2. ロイ・ジョーンズ   93/05 世界戦
3. ジャーメン・ティラー 05/07 世界戦
4. ジャーメン・ティラー 05/12 世界戦
5. ジョー・カルザゲ   08/- 
6. チャド・ドーソン   12/04 世界戦
7. セルゲイ・コバレフ  14/11 世界戦
8. ジョー・スミス    17/02 

2005年に新鋭ジャーメイン・ティラーに2連敗、時既に40歳そのあとジョー・カル

ザゲにも敗れて時に43歳ポプキンスのボクシングもさすがに終りかと誰もが思ってい

たが、ライトヘビー級 に転向し11年5月45歳で返咲き13年3月48歳1ケ月にタボリス・クラウドを下してタイトル奪回、14年4月 シュメノフを49歳で3ケ月で下し大記録を打ち立てた。
ミドル級のタイトルを20回連続で防衛し、04年9月には他に例をみない4団体統一チャンピオンの偉業も成し遂げている。

ミドル級時代には強打者として一発必倒のスタイルで、ニックネームを死刑執行人と表

し 、常に様々なマスクを被ってリングに登場しダーティな試合振りと相俟って悪役を演じ続けて、観客のブーイングを浴びつづけてきたのである。しかしLヘビー級に転ずるや、防御技術の巧みさと従来から持っていた高度なテクニックを駆使しての省エネボク

シングに変化、新しいポプキンスを観客の前に出現させたのである。
力量は抜群であったが人気のあがる事のなかったポプキンスは、Lヘビー級時代になって実力、人気ともに最高の時を迎えて文字とおりのスーパースターとなった。

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ロイ・ジョーンズ

 

88年のソウル五輪 L・ミドル級で銀メダルを獲得、89年5月にプロに転向した。

以後20戦全勝19KOで、93年5月IBFミドル級王座決定戦でバーナード・ポプキンスを判定に下して戴冠。

94/05  トーマス・ラートを  2R TKO  に下す。
94/11  IBF S・ミドル級に転向し当時ライバルのスター候補

             ジェームス・トニー を  12R判定  に下してスター街道にのる。
95/03    アントワーヌ・バードを  1R TKO  に下す。
95/06    ビニー・バシェンザを  6R TKO  に下す。 
95/09    トニー・ソーントンを  3R TKO  に下す.
96/06  エリック・ルーカスを   11R TKO に下す。
96/10  ブライアン・ブラノンを  2R KO  に下す。
96/11  WBC L・ヘビー級王座決定戦で

             マイク・マッカランを  12R判定  に下す。
97/08  モンティ・グリフィンに  9R失格  敗
97/08         〃     を  1R KO  に下す。
98/07    WBA、WBC L・ヘビー級統一戦で
     ルーテル・バーレを  12R判定 に下す。
98/11  WBA、WBC L・ヘビー級統一戦で         
     オーテス・グラントを  10R TKO  に下す。
99/01  リッキー・フレージャーを  2R TKO  にくだす。
99/06  WBA、WBC、IBFの統一戦で
    レジー・ジョンソンを  12R判定  に下す。    
00/01  デビッド・テレスコを 12R判定  に下す。  
00/05 リチャード・4ホール を  11R TKOに下す。
00/09 エリック・ハーディング を10R TKO  に下す。
01/02 デリック・ハーモンを  10R TKO  に下す。
01/07 フリオ・ゴンザレスを 12R判定 に下す。
02/02 グレン・ケリーを 7R TKO に下す。
02/09 クリントン・ウッズを  6R TKO  に下す。
03/03 WBA ヘビー級に挑戦
    ジョン・ルイスを  12R判定  に下す。
03/11 WBC L・ヘビー級
      アントニオ・ターバーを  12R判定  に下す。
04/05              〃     に  2R KO  負け.

 

ロイ・ジョーンズは防御体制を格別とるでもなく、やゝしまりのない緊張感のまるで

ないスタイルから、パワーとスピード溢れるパンチを繰り出し、対戦相手の予測を上

回って威力抜群。まさに天才肌の選手で若い頃は倒し屋であったが、次第に試合振りは

変貌して自分で満足する試合を優先してきたようである。

対フリオ・セザール・ゴンザレス戦では身体の後に両拳を隠して相手を挑発し、ゴンザレスが攻撃に出るところに右拳一閃KOに下した試合がある。


身体能力抜群で昼間はバスケットの選手として試合をこなし、夜はボクシングのタイト

ル・マッチを行い、又歌手としても活躍した。

一番輝いた試合は2003年3月WBA ヘビー級のジョン・ルイスに挑戦もので、L・ヘビー級のリミットは79.38kg、ロイ・ジョーンズは85kgに体重を増やして105kgのルイスと対決。12R大差で判定勝した。歴史的勝利であった。
しかしその後L・ヘビー級に体重を戻したが、大きな負担となって04年5月アントニオ・ターバーにまさかの2R KOに敗れ、次いでグレンコフ・ジョンソンにも敗北し一時代を画したパウンド・フォー・パウンド ジョーンズの時代は終焉を迎えたのである。

戦跡 49戦48勝38KO 1敗分(ジョン・ルイス戦まで)

(あと確か5戦して2勝3敗であるが、まるで別人となっていた) 

 

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ナジーム・ハメド

 

92/04  リッキー・ベアードを 2R  KO  に下してデビュー。
95/09 WBOフェザー級 スティーブ・ロビンソンを 8R TKO  に下し戴冠。 
96/03 サイド・ラワルを 1R TKO に下す。
96/06 ダニエル・アリセアを 2R TKO に下す。
96/08 マヌエル・メディナを  11R TKO に下す。
96/11 レミヒオ・モリナを 2R TKO に下す。
97/02 IBF、WBO 統一戦 トム・ジョンソンを 8R TKO に下す。
97/05 ビリー・ハーディーを 1R TKO に下す。
97/07 ファン・ヘラルド・カブレラを 2R TKO  に下す。
97/10 ホセ・バディーリヨを 7R TKO  に下す。
97/12 ケビン・ケリーを 4R TKO に下す。
       (アメリカ)ラスベガスデビュー
98/04 ウィルフレド・バスケスを 7R TKO に下す。 
98/10 ウェイン・マッカラーを 12R判定 に下す。
99/04 ポール・イングルを 11R TKO に下す。
99/10 セザール・ソトを 12R判定 に下す。
00/03 ブセニ・ブングを 4R KO に下す。
00/08 オーギー・サンチェスを 4R KO に下す。
00/08  タイトル返上
その後 マルコ・アントニオ・バレラに判定負けのあと引退。

 

ハメドはイェメン出身のイギリスのボクサーである。
エマニュエル・スチュワード トレーナーの元・過去に類をみない両手をだらりと下げた完全なノーガード・スタイルで相手の攻撃は総てダッキング、ウィーピングステップで

躱し、又パンチは打ちっ放し、顎はあげ無防備なスタイルで八方破れ、しかし左右ストレート・フック、特にアッパー等アクロバットボクシングであるが全階級通じての1、2
を争う威力でKOの山を築いたのである。
戦跡 36戦35勝31KO 1敗、KO率86.1%、リングに登場する時はド派手なパフォーマンスを披露しこれだけで観客を魅了した。真のエンターティナーであった。

 

尚多くのボクサーがハメドの真似をしてリングに上がったが誰一人として成功した
選手はいない。

     

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フロイド・メイウェザー

 

96年アトランタ五輪フェザー級で銅メダルを獲得し、96年10月プロデビュー

17戦全勝13KOの実績を引っさげて98年10月WBC S・フェザー級王者エナロ・フェル

ナンデスに挑戦、8R TKOに下し戴冠。

 

以降 98/12 エンジェル・マンフレディを 2R TKO に下す。
99/02   カルロス・リオスを 12R判定に下す。
99/05 ジャスティン・ジューコを 9R TKOに下す。
99/09 カルロス・ヘレナを 7R TKOに下す。
00/03 ゴーヨ・バルガスを 12R判定に下す。
01/01 ディエゴ・コラレスを 10R TKOに下す。
01/05 カルロス・エルナンデスを 12R判定に下す。 
00/11 ヘスス・チャベスを 9R TKOに下す。
                  S・フェザー級返上


02/04 WBC ライト級チャンピオン
     ホセ・ルイス・カステージョに挑戦 12R判定に下す。
02/12 ホセ・ルイス・カステージョを 12R判定に下す。   
03/04 野球選手ホセ・ソーサの弟ビクトリアノ・ソーサを 12R判定に下す。
03/11 フィリップ・スドウを 7R TKOに下す。
           タイトル返上 S・ライト級に転向 


05/06   WBCチャンピオン サンダー(雷小僧) アルツロ・ガッティに挑戦

    6R 7KOに下す。

                   タイトル返上 


06/11   ウェルター級カルロス、パルドミールに挑戦 12R判定に下す。
07/12   イギリスの人気者で実力者のリッキーハットンを10R TKOに下し

                           引 退 


11/09   復活しWBC ウエルター級のビクター・オルチスに挑戦。
    物議をかもした試合で 4R KOに下す。
12/05  WBA S・ウェルター級ミゲール・コットに挑戦 12R判定に下し

                   5階級制覇を達成 


13/09   WBA、WBC 統一戦
    サウル・カネロ・アルバレスを 2:1の判定に下す。
14/05  マルコス・マイダナを 12R判定に下す。
15/05  マニー・パッキャオを 12R判定に下す。
05/09  アンドレ・ベルトを 12R判定に下し

                     全勝のまま引退 

 

2001年この時点でS・フェザー級はWBAにキューバのホエル・カサマヨールがカウンターパンチャーのテクニシァンでいて、IBFに長身、強打のタフガイ、メキシコのディエゴ・コラレス、WBOに27戦全KO勝ちのブラジリアンボンバー アセリノ・フレイタスと4人全員が全勝で並んでいた。

 

メイウェザーの評価はボクシングは巧いが実力は3番手かとみられていた。
コラレスが体重苦でライト級への転向が決っており、その前に急にメイウェザー戦が浮上。コラレスは転向前の置き土産としてメイウェザー戦 勝利のつもりでいたが、ウェイト調整に失敗し、あげく何度もダウンを喫して10RTKOに敗れたのは誤算であった。

 

ついでライト級に転向しホセ・ルイス・カステージョに挑戦したが2、3kgの差は予想外に重くのしかゝってカステージョの体力、パンチ力に圧倒されて大苦戦を強いられ、辛うじて疑問の残る判定ではあったが、これを下した。彼の戦歴の中で最も苦しんだ試合であった。

この2試合をものにして、自信をつけたメイウェザーはその後シェーン・モズリーとの対戦での右ストレートの一撃に膝をつきかけた以外は危なげなかった。

 

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ワシル・ロマチェンコ 

 

1988年2月17日生れ ウクライナ オデッサ ビルホルド ドニストロフスキー出身。
2008年北京五輪フェザー級で金メダリ、2012年ロンドン五輪ライト級で金メダル。
アマチュア戦跡 397戦396勝 1敗、唯一負けたアルベルト・セリモフにも2度雪辱している。プロ転向2戦目にWBOフェザー級オルランド・サリドに挑戦、サリドは体重調整に失敗したが、試合は2:1でロマチェンコはタイトル獲得に失敗した。

しかしサリドは体重リミットを守れず失格、タイトルを失っている。

ロマチェンコのターゲットとしたサリドは難敵中の難敵で粘り強く、タフで不屈の魂を持った稀有の選手で、悪い相手を選んだものだ。

空位となったタイトルをゲイラー・ラッセルと戦い3戦目にWBOフェザー級タイトル

保持者となった。


2016年7月WBOフェザー級ローマン・マルチネスに挑戦、戦慄の5R KOに下して

2階級制覇。
2016年12月ドネアをKOに下した豪腕全勝のニコラス・ウォータースを8R TKOに

下してその実力を天下に示し、人気も急上昇している。


サウスポーの天才で、至近距離で闘うが相手のパンチはほとんど喰わない。
まるで氷上を滑るように、しかも最少の動きで試合を組み立て、ショートパンチを

中心に、的中率切れ味ともにプロに馴染むに従って凄みも増し見事と云うしかない

ボクシングを披露しており、今後ともボクシング界を背負って立つスーパースター

となった。
歴代アマチュアボクシング界最高の選手の折り紙付きでプロ入りしたがプロでもその

評価に恥じない選手である事を証明している。
     

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リカルド・ロペス

 

アマ40戦40勝28KO。1985年1月プロ・デビュー。

90年10月 WBCミニマム級 大橋秀行を 5R TKO勝ちで戴冠。
91/05   平野公夫を 8R TKOに下す。
91/12    李 敬渕を 12R判定に下す。
92/03   ドミンゴ・ルーカスを 12R判定に下す。
92/08   シンプラサート・キティカセムを 5R KOに下す。
92/10   ロッキー・リンを 2R KOに下す。
93/03 呉 光洙を 9R TKOに下す。
93/07 サマー・ソーチャトロンを 2R TKOに下す。
93/12 マニー・メルチョーを 11R KOに下す。
94/05 ケルミン・グアルティアを 12R 判定に下す。
94/09   ヨドシン・センガーモロコットを 1R TKOに下す。
94/11   ハビエル・バルゲスを 8R TKOに下す。
94/12   ヤミル・カラバリョを 1R KOに下す。
95/04   アンディ・タバナスを 12R TKOに下す。
96/03   アラビア・モアを 8R TKOに下す。
96/06   キティチセィ・ブリーチャを 3R KOに下す。
96/11  モーガン・ニドゥモを 6R TKOに下す。
96/12   朴 明曼を 1R TKOに下す。
97/03   モンコン・チャレオンを 12R判定に下す。
97/08   WBC、WBO 統一タイトル・マッチ
    アレックス・サンチェスを 4R TKOに下す。
         WBO王座剥奪


98/03   WBA、WBC 統一戦
    ロセンド・アルバレス 7R引分け
98/11   ロセンド・アルバレス 12R判定に下す。

                          WBC剥奪


99/12   IBF、L・フライ級 
      ウィル・グリッグスピーを 12R判定に下す。
00/12   ラタナポン・ウォラビンを  3R TKOに下す。

01/09   ソラン・ペテンを     8R KOに下す。
02/11           引 退 

 

タイトルを取ってから一試合毎に欠点を修正して完璧に近づけた。
リングに出るときはコーナーで高くガードを掲げて構え、アウトボクシングで
軽やかにステップを踏みウィービング・ダッキングも駆使、長い左ジャブで相手を
コントロール、左・右ストレート、フック、長短のアッパーをいずれも一発必倒の
切れ味を有して接近戦を許さず、クリンチや乱戦を極端に嫌い、常に自分の距離を
保って闘った。

危険を犯さずに冷静に相手の状態をみきわめて、なお70%を超えるKO率を誇った。
ニックネームは「精密機械」と評し、プロ・アマ通じて全勝のまゝ引退。


強さの為対戦相手に苦慮してファイトマネーは上らず、実力に比して名声、経済的
に必ずしも恵まれなかった。10年に亘りミニマム級の体重を維持。

試合のあとは打ち上げパーティ等は一切せずに、ホテルに引き上げて節約に努めた

という。

 

長い時間をかけて自身を精密機械に作り上げていったストイックな選手であった。
戦跡 51戦50勝37KO 1分。
    

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マニー・パッキャオ

 

1978年12月フィリピン ブキドノン出身。

1998年12月 WBCフライ級 チャチャイ・サークサンを 8R TK0で戴冠
99/09  メッグン・シンスラットに 3R KO 負
01/06   IBF S・バンタム級 リーロ・レジャバを 6R TKOに下す。
02/06   ホルヘ・フリオを 2R KOに下す。
02/10   ファーブラコム・ラキッドジムを 1R KOに下す。
03/03   エマニュエル・ルケロを 3R TKOに下す。
        返上 WBC S・フェザー級
08/03   ファン・マヌエル・マルケスを 12R判定に下す。
        返上 WBC S・ライト級へ
08/06   ディビット・ディアスを 9R KOに下す。
        返上 WBOウェルター級
09/11   ミゲール・コット  12RTKOに下す。
10/03   ジョシア・クロッティを  12R判定に下す。
10/11   空位のWBC S・ウェルター級王座決定戦
    アントシオ・マルガリートを 12R判定に下す。
        ウェルター級に戻る
11/05  シェーン・モズリーを 12判定に下す。
11/11  ファン・マヌエル・マルケスを 12R判定に下す。
14/04  ティモシ・ブラッドリーを 12R判定に下す。
14/11  クリス・アルジェリを 12R判定に下す。
15/05  WBC、WBA、WBO統一戦
    フロイド・メイウェザーに 12R判定負け
          引 退
16/11  復活 WBO ウェルター級
     ジェシー・バルガスを 12R判定に下し
     16年末でのタイトル奪冠
戦跡 67戦59勝38KO 6敗2分

 

パッキャオは  フライ級      50.80kg  98年12月
               S・バンタム級  55.34kg  01/06
                     S・フェザー級  58.97kg  08/03
                     ライト級      61.23kg     08/06
                     ウェルター級    66.68kg     09/11
                     S・ウェルター級   69.85kg  10/11

 

この間10階級にまたがって6階級を制したのである。特にS・フェザー級からS・ウェルター級まで2年間で11kgの増量を成し遂げた。都合19kgの驚異的な増量であり、

クラスを上げる度にいきなりタイトル・マッチの連続であった。

その都度もう無理と言われ続けてきた。何しろ対戦する相手が自分よりはるかに体格の

勝る選手ばかりであったのだから。

 

従来一階級上げただけでも大変な世界であった。それを準備期間をもうけて馴らした

上での挑戦の数々ではないのである。そもそもフライ級の骨格の選手からS・ウェルター級で闘うことそのものが有り得ない事態であったのである。


同じ6階級制覇であってもオスカー・デラホーヤは当初から目指しておりS・フェザー級
から始めてミドル級まで13.6kgでオリンピック金メダリストとして大切に育てられ、
対戦相手も慎重に選ばれて、御しやすい相手、名のある盛りの過ぎた相手をターゲット
とした為に順調に勝ち進んでいき、実力も次第についてきたのであるのと比べると、
パッキャオはどの試合も圧倒的不利と言われ続けるなかで奇蹟のように勝ち進んでいった全く条件の異なる状況であったのである。


デラ・ホーヤは再び現われるであろうが、パッキャオはまさに異能のボクサーで今後

決して現われる事の無いボクサーであるのは断言できる。
事実、パッキャオに有能なマネージャーが付いていれば10階級制覇となっていたの

だから。